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【今日のエッセイ】死について思うこと

noteを書くのは久々になってしまいました。

でもその時、感じていること、心にあることを書き留めて行くことは、私が生きている証になるから、書くことはやめないでおきたい。

最近私の心にずっとあるものは、「死」です。

つい先日、大好きだった叔母が亡くなってしまい、どこか「あぁそっかぁ」と空を見上げながらぼんやり思うことが度々あってね。
それに加えて今、私の父が「死」というものに直面している。
厳密に言うと、父自身が今までにないくらい不安と死に対峙している状態だと思う。

外を歩きながら空を見上げたり、まだ歩きたての小さな子供たちを見たり、空を自由に飛ぶ鳥たちがいたり…

この世は命あるもので溢れている。

私はかつて娘を亡くしたことがあって、その経験は私の意識を常に「あの世」と交信させている。
亡くなったと言っても、お腹の中である日突然心臓が止まってしまったということ。
昨日までピンピンと動いていて、とにかく愛おしかった娘は、ある日突然旅立ってしまった。
その時私は直感的に「あ、命が飛んじゃったかもしれない」と自分のお腹を見て分かったんだ。
それ以来、私の中で「死」とは「命が飛ぶ」と表現している。

肉体はこの世の大地へと沈み込み、魂は空高く舞い上がる。
だから空を見上げるとそこにはたくさんの愛があって、見守ってくれていると思っているんだ。

空を見上げ、叔母さんを想う。
バーバも空にいる。
娘も空にいる。
愛猫も空にいる。

みんな空にいる。

そしてきっと皆、遅かれ早かれ空に行く。

だけど今私はこの世にいる。
電話をしたら相手がその電話口に出てくれる。

「死」は怖いことではないけれど、お互い違う世界に行ってしまい、お互いの言語でコミュニケーションを取ることが2度とできないことが寂しい。
そして、どこか心細い。

「そっかぁ。そっちの世界に行っちゃうのかぁ。」

仕方ないことだけどさ、もう電話して話すことができないのは、ちょっとね…

私はお腹の中で亡くなった娘を出産したんだけど、その時、私の脳裏には天井から見下ろす出産直後の私の姿が焼き付いているんだ。
空に昇っていく娘の目線が、私の頭の中に残っている。

不思議だよね。

不思議なのよ。

だけどさ、人間がこの世の全てをわかった気でいることの方がおかしいよね。

命があって、肉体があって、そして魂があって。

魂って言葉を連呼するととてもスピリチュアル感が強くなってしまいがちだけど、私は魂というものは「ある」と思っている。

明日心臓が動いている保証なんてどこにもないのよ。
だから、今生きていることは奇跡の塊で、ありがたいことだよね。

どうかどうか、笑顔溢れる日々を過ごすことに全エネルギーを注げますように。

だけどいっつもその大切さを忘れちゃうんだよね。
いかんいかん。



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