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ようやくわかった気がする”心の作用を止滅する”ということ
こんにちは。
なんとも自由気ままなペースでnoteを書いていますね。
ただ、今回こそは定期的にnoteを更新していこうと思っています。
できることなら週に1本のペースで。(できるかな…でも頑張ってみる)
普段私は在宅でお仕事をしながら、小学3年生の息子を育てています。
シングルマザーだから1人で異性の成長に日々向き合っているのだけど、なんとも男児は謎だらけ。
あまりジェンダーのことを表立って言う時代ではないけれども、やはり育児をしていると男女差というものはありますね。
なので、あまり頑なにならずカジュアルに育児における男女差は受け止めていただけたらな、と思います。
とはいえ、今回は男女差についてお話ししたいわけではなく、”心”というものに関して私の気づきをお話ししたいのです。
心の作用を止滅するということ
私は日頃よりヨガを行っていて、アーサナだけでなく哲学にも興味があり、ヨガ哲学の本を読んだり、ワークショップを受けたりしています。
でもやはりどこか難しくて理解できない部分もあるのですが、私は初期段階で腑に落ちていないことがあったのです。
それが”心の作用を止滅することがヨーガである”という教えです。
「心の動きを止滅したら何が残るの?私が私じゃなくなってしまうんじゃない?」
単純に私はずっとそう思っていました。
そう。私は”心”こそが自分自身だと思っていたのです。
でもそうではなかったんですね。
ある日私は息子にこう諭したことがあります。
「あのね、心っていうものはとってもワガママなの。
心には羽根が生えていていつもパタパタ色んなところに羽ばたいてしまうのよ。
だけど、心の奥の奥の方では自分が今何をするべきかわかっているでしょ。
だから負けないで。心に乗っ取られたらダメよ」と。
なぜこの話をしたのかというと、息子の集中が切れて感情が露わになりヤケになった部分が出てきた出来事があったからです。
私はすぐさま「あ、悪い心が出てきている」と思い、先ほどのお話をしました。
その時、私は自分で言っておきながら「あ!心の作用を止滅するってこういうことなのか!」と気づいたんですね。
心と魂の関係
ここで最初にお話ししていたことに戻るのですが、私はずっと”心”こそが自分だと思っていました。
だけど心=感情というものは本当に常に変化していて、さっきまで思っていたことが、次の瞬間には真逆なことを思っていたりする。
とても忙しなくてとても不安定。
その忙しなさや不安定さがなく常にどっしりしているものが”魂”なのかな、と。
その”魂”は自分が欲しているものを知っている。
自分がどうするべきかも知っている。
だけどそれにあれやこれやと言い訳や難癖をつけるのが”心”なのかもしれない。
夏休みの宿題はやらなくてはいけませんよ。
でもめんどくさいからやらない。後回しにする。
はい。この部分は立派な心のわがままですね。
でも心の奥の方では「やらなくちゃ」とはわかっている。
そう考えると赤ちゃんは”魂”そのものな気がします。
そこから成長過程で色んなことを学び、”魂”にフィルターがかかってしまう。
でも、それが決して悪いと言うことではないと思います。
仕方ないです。この世で生きているから。そこからさまざまな学びを得るものですからね。
ただ、その心のブレ具合によって、自分自身がわからなくなり、まるで闇の中を彷徨っている感覚に陥ってしまうのも事実です。
かく言う私も彷徨った時期があります。
3年間、完全に自分を見失い、今でもその時代には2度と戻りたくないと思っています。
もしもっと早い内から心の奥の方と繋がることの大切さを知っていたら、きっと今と人生はだいぶ変わっていたでしょう。
それが経済的に豊かか否かはわかりません。
ただ今とは全く違う人生を歩んでいたことは間違いありません。
私はその気づきを息子に伝えていきたいな、と思っています。
なぜなら大好きな息子には幸せな人生を送って欲しいから。
かと言って、私は今の私の人生を悔やんではいません。
むしろ十分ラッキーな人生を送っているとさえ思っています。
そこは神様にとにかく感謝です。
ヨガをすることの意味
47年間生きてきて、いまだに”生きる”と言うことはわからないし、”自分”と言うものもわかりません。
ただ息子のおかげで気づいたことは、人には生まれ持った”魂”があって、その周りをキャピキャピ飛び回っているミーハーな”心”があると言うこと。
その”心”のおかげで生き方に勢いがついたり、人生がジェットコースターになったりするけれど、本来は魂がその”心”の手綱を引っ張っていなくてはいけない。
ヨガに触れれば触れるほど、自分の日々の暮らし方の答え合わせをしている気持ちになります。
ヨガは決してマットの上でアーサナを取ることだけではなくて、生き方なんですよね。
そして、その中での気づきを自分の周りの人々に繋げていく。
大好きなヨガの先生の言葉「半径500Mを幸せにしていく」
本当にその通りだな、と日々感じます。
そう。
”だから今日も私はヨガをする”
明日も良い1日を過ごせますように。
愛を込めて。