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なぜ本を処分できないのか?その②<完結編>

前回の投稿の続きです。

本を山積みにして片付けがスタックしている間に、とある対話会に参加しました。そこで、「最近困っていること」として「本の片付けが進まなくて苦しい」ということを話したんです。

その際に、他の方から言われたのが、

「どうしてそんなに本を処分しなくちゃいけないのか?苦しいというのは何の限界なのか?読む時間?収納する空間?」

「処分するのが苦しいんだったら、そのまま本棚に戻してもいいんじゃないか」

「本を整理するのは人生を整理すること。今は人生観、仕事観などに向き合おうとしているときなんだと思う」

「そのうち捨てられるときがくるんじゃないか。割り切れるときに割り切ればいい」

というようなこと。

そこでハッと気づいたのです。

「そもそも”本の片付け”が目的になってた?片づけはあくまでも手段で、本来の目的はなんだ?自分は何を手に入れたくて片づけをしているんだろう?」

本を本棚から出して、カテゴリーごとに分けて、残すものと処分するものを仕分けるという段階で、作業に向かえずにストップしている間、

「どうして私は本を処分できないのか?」

ということばかり考えてぐるぐるしていたのですが、

「これからどうしたいのか?そのために何をするか?」

が大事なわけで。

で、ふと思い出しました。

こんまり式片づけに取りかかる前に「理想の家のイメージ」というのを考えたことを。それさえも忘れていた(笑)

私は家にそんなに多くのことを望んでいないので、いたってシンプル。

<片づいた家とは?どうしてそう思うの?>
 どこに何があるか探さなくても把握している状態
 床に直置きのものがない状態
 無駄なく生活できるから

<理想のインテリアは?どうして?>
 シンプルで必要なものが、必要な場所にある
 効率がよいことが気持ちいいから

<その家でどんなふうに過ごしたい?どうして?>
 リズムよく、効率よく、クリエイティブに、快適に過ごしたい
 生産性が高く、気分がよいから

そもそも片づけに取りかかったときのニーズというか動機は、本棚の奥と手前に二重に本が入っている状態をどうにかしたいと思っていたこと。本を半分処分すれば、二重収納じゃなくなって、本のタイトルが全部目に入り、いつでも手に取れる「本が活きた状態」になるはず。

だったら「目当ての本がいつでも手にとれる状態であれば、無理に本を処分しなくてもいいんじゃないか?」と考えが変わったのです。

とはいえ、本棚に限らず、大きな家具はこれ以上増やしたくない。
だけど本を処分しない限り、二重にしまわざるをえない。

そこで、間をとって(?)、小さな本棚を増やすことにしました。

本が減ったらすぐに処分できるくらいの低価格で、他の用途にも使える棚であれば将来的に問題ないだろうと考え、いろいろな用途に使えるフリーラックを2つ購入。

ということで、本を“ときめき”で仕分けることは手放して、10に分けたカテゴリごとに本棚にしまっていくことにしました。

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ちなみにこの写真は自分の部屋のデスク横の本棚。ファシリテーションとか経営とかの本。ところどころ二重になっているけど、基本同じカテゴリの本なので迷子にはならない。

自室の本棚2つと、リビングの本棚1つ、さらにリビングに追加したフリーラック2つにしまい終わるのにかかった時間は90分くらい。

いやー1カ月半くらいぐだぐだぐるぐるしてましたが、しまい終わってみると、なんとまあ気持ちのよいこと!

あらためてわかったのは、おととしの年末に引っ越しをした際に、ちょうど修士論文の最終執筆に追われていたため、荷造りがかなり乱雑で、ゆえに開梱時も応急処置的に本棚に本をしまってしまい、本のカテゴリが結構バラバラになった状態のままであったこと。

さらに、引っ越しのタイミングで本棚を変えたので、キャパ的に入りきらず本が二重になってしまい、余計にどこに何の本があるかすぐにわからないという状態になってしまい、それが大きなストレスになっていたということです(いや、そんなのもっと前に気づけよ!という話なのですが)。

今回、本の数はそんなに変化していなけれど、カテゴリごとにしまってあるだけで、あの本はここらへんとすぐわかるので、それだけでストレスは解消されました。結局ほとんど処分をしてないんだけど、理想の状態に近づいたのです。

結局、私が本の山放置期間にやっていたことは、「なんで片付けられないんだろう?片づけられない自分はダメだ」、という「妄想のプール」に浸かっていただけだったような気がします。

本を読んだのに覚えていないとか、本を買っても全然読んでいないという罪悪感も、「じゃあこれからどうしたいのか?そのために何をするか?」と考えればいいだけ。過去のことをあれこれ思い出しては自己否定する必要はどこにもない。

なので、本を読み終わったら、

大事なことをいつでも参照できる状態にしてあるといい
そのためにevernoteに、自分にとって重要な箇所を入力しておく

といういたってシンプルなルールにして、
それを今取り組んでいるTrelloのカードにして、
と、自分なりに納得のいくパターンができてきました。

本を残す、処分する、ということをなんだかすごく一大イベントのようにとらえていたけれど、実際は「あ、もうこの本はいいや」と思ったときに処分すればいいことで。

「どうしたいのかを考えて、今できることをとっととやろう」

という自分の基準が刷新された、というのが今回の本の片付けにまつわる結末でした。

こんなの、仕事とかではいつも言ってるのに、なにぶん自分にとって本は特別な存在なので(イメージ的には人生を泳ぐ浮き輪のようなものなので)、その片付けを大分こじらせてしまいましたが、自分なりの基準や仕組みを持っておくと、「妄想プール」に落ちても、とっとと脱出して「人生の海」に戻りやすいのだなと思います。

本の片付けと並行して、ちょうど初期仏教について学んでいたことも、考え方の変化に影響を及ぼしたのですが、それはまた壮大な長さになりそうなので、改めて。


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