一昔前の長期高校留学のこと(後編)
前回の記事に引き続き、約20年前にオーストラリアの高校に一年間留学した話を書こうと思います。
前回は留学しようと思ったきっかけや、実際に留学が決まるまでのことを中心に書きました。
今回は、オーストラリアに着いてからのことを書こうと思います。
※ 前回の記事はこちらからご覧ください↓
オーストラリアに着いてから
各国の留学生と合宿
ついに出発日を迎え、成田空港から直行便でオーストラリアに移動しました。前編にも書きましたが、わたしにとっては初めての海外です。
着いてから最初の数日はまた合宿でした。
日本での合宿は異文化理解やコミュニケーションの勉強でしたが、今回の合宿は生活上の心構えやルールを学ぶことが目的だったと思います。
日本人だけではなく、ほかの国からオーストラリアに来た留学生もいっしょでした。
特にドイツからの留学生が多かったのを覚えています。
ほかの国からの留学生はすでに英語が上手で、わたしを含む日本人グループはちょっと焦りを感じていました。
各自ホームステイ先へ
合宿を終えたあとは、いよいよほかの留学生とも離ればなれになって、各自のホームステイ先へ移動します。オーストラリアは広いので、さらに飛行機で長時間移動する留学生もいました。
わたしのホストファミリーはシドニーの郊外在住で、合宿先からもそう遠くはなかったので、車で迎えに来てくれました。
その日から一年間いっしょに過ごすことになる、第二の家族ともいえる人たちです。
それまでのやり取りは文面のみだったので、やっと会えたことの喜びを感じました。
最初の日は、お家の庭でごちそうをいただいたことを覚えています。
ホストファミリー
わたしのホストファミリーは4人家族で、アメリカからの移民でした。
そのため家庭での文化は多分オーストラリアというより、アメリカ寄りでした(ほかの家庭を知らないので比較が難しいですが…)。
少なくともベジマイト(独特なペースト状の食べもの)は家にありませんでした(笑)
また、わたしのホストファミリー(特にお父さん)は料理を作るのが大好きで、毎日手の込んだおいしい料理を作ってくれました。
いつも夕食の時間が楽しみでしかたなかったです。
食材の買い出しには毎回ついていきました。
オーストラリアでは、野菜も果物もお肉も新鮮でおいしく、値段もお手頃でした。
果物だとマンゴーが特に甘くておいしかったです!
高校生活
高校はホストブラザーと同じ私立高校に通わせてもらいました。
前編にも書いたとおり、当時の交換留学だと基本的に公立高校に行くことになるのですが、わたしの場合はホストファミリー側の意向もあり、ホストブラザーの通う高校が受け入れてくれることになりました。
中高一貫校でそれなりに規模は大きかったのですが、自分以外に日本人は一人もいませんでした。
授業は基本的に最初から、現地の高校生と同じように受けました。
いままで聞いたことがないくらい速いスピードの英語を聞きながら、英語で手書きのノートも取らなくてはいけなかったので、それはもう大変でした…!
週5日、朝から夕方までずっとそうしなければならなかったので、さすがに最後のほうはちょっとは慣れましたが、最初のころはよく頑張ったなあと自分で思います。
自分が通っていた日本の高校にはない、おもしろい授業があったり(写真学、演劇学、環境学など)、数学はテストも関数電卓が持ち込み可能だったり、所属クラスという概念がなかったり、いままでの高校生活との違いがたくさんあっておもしろかったです。
学校では基本的にホストブラザーと過ごすことが多かったですが、ほかの友だちも男女問わずみんなも優しく接してくれ、休日にはパーティーに行ったり映画を観たりもしました。
つらかったこと
つらかったことも、正直たくさんありました。
言葉の壁もその一つですが、それは覚悟があったので、まだよいほうだったと思います。
一つ前の記事に書いたとおり、家族以外と生活するのはこの留学が初めてでした。
いままでの生活との違い――社会による違い、家庭による違いを理解し、自分なりに受け止めて生活しなければならなかったのですが、それがうまくできず自己否定的になりがちでした。
学校でもまた似たような状況に陥っていたと思います。
これには10代半ばの多感な時期であったことも、大きく影響していたと思います。
交換留学中の一年間は、原則的に帰国は認められていませんでした。
当時インターネットは今ほど普及しておらず、パソコンを使う機会もほとんどなかったので、日本とのやりとりは手紙と国際電話(とても高い)だけでした。
今のようにどこにいても気軽にコミュニケーションが取れる時代ではなかったので、もしそれができたら感じ方も経験も、ちょっと変わったのではないかと思います。
実際に最近、オーストラリアに留学中の日本人とたまたまオンラインでお話しする機会があって、「今はこういうこともできるんだな」と感じさせられました。
どちらにもよいところ、そうでないところはきっとあると思うので、単純な比較はできないと思います。
だからなおさら、もし今だったらどんな日常になったか興味深いです!
余談ですが、当時シドニーの中心部に紀伊國屋書店があって、たまにそこで日本の雑誌を買っていました。
自ら望んで海外に来たとはいえ、やはりなんとなく日本の情報には触れたかったのかもしれません。
おわりに
こうしていろいろ思い出してみると、無茶した部分もあったなと感じますが、この留学はその後の自分の考え方に大きなインパクトを与える、貴重な経験になりました。
いまのわたしが日本語教育に興味を持っているのも、このときの経験(言語習得そのものというより生活全体)が強く影響していると思います。
そういえば、なぜ留学先にオーストラリアを選んだのか書き忘れていましたね。
わたしは元々自然が好きで、オーストラリア固有の動植物をこの目で見てみたいと思っていました。それが、英語圏の中でもオーストラリアを選んだ理由です。
実際にホストファミリーの家の裏庭に色鮮やかなな鳥たちがやってきたり、公園にユーカリの木があったり、日本の北の地域で生まれ育ったわたしには何もかもが新鮮でした。
星空はいつも美しくて、南十字星も見ることができました。
オーストラリアを選んだのは、今でもとてもよい選択だったのではないかと思っています。
留学してからもう20年ほど経ちましたが、それ以来一度もオーストラリアに行けていないので、また必ず行きたいです。
今度は勉強ではなく、遊びメインで行ってみようと思っています!
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