能登半島地震を忘れない①

令和6年1月1日。能登半島は、この時期には珍しく晴れていた。
子どもたちは雪遊びを楽しみにしてたから、雪が降ってないのは残念だけど、大人にとっては過ごしやすくてありがたい年末だった。毎年同じように能登・穴水に帰省し、家族(父・母・祖母・兄弟・子どもたち)みんなで集まり5日間くらい泊まる。毎年恒例の年末年始だった。

12月31日の夜は、今日ぐらい夜更かししようと子どもたちは遅くまで起きていたけど、小さい子たちは10時くらいで眠くなり、高学年の子だけ頑張って起きていて近所のお寺の除夜の鐘をつきに行ったそうだ。1日の朝、朝ご飯に餅とあんこのお雑煮を食べながら、その子が初めて除夜の鐘をついたことを誇らしげに頼もしく話す姿に、子どもの成長はあっという間だなと感慨深く思った。

1日の朝はゆっくり過ごした。午前中子どもたちは道の脇に少し残っていた雪で雪遊びをし、私はテレビでお正月番組を見ていた。普通のいつものお正月だった。午後は、私と夫と息子の3人で七尾のほうに出かけた。当初、息子は出かけないで従兄弟たちとお留守番をしていると言っていた。そのつもりだったけど、行く直前で「やっぱり行く」と言った。いつもだったら、さっき行かないって言ったじゃんと一悶着して、結局じゃあ行かないとなりそうな場面だったけど、なぜかその時はまぁ行くなら行こう、と揉めずに了承した。お正月から揉めたくなかったからかな。

15時半ごろには七尾を出発し、穴水に帰っていた途中、夫がお腹が空いたと言ってコンビニでアメリカンドックを買っていた。もうすぐ夕ご飯なんだから我慢しなよと私と息子は呆れた。早く帰りたいなと思っていた。実家の夕ご飯はいつも早くて17時には食べ始めるから、帰省中はいつも16時くらいには帰っていたいし、夕飯の手伝いもしなきゃいけない。七尾~穴水間は本当に遠いな、海沿いの国道249号線で家まで50分はかかる。家に着くのは16時40分くらいか、やっぱり遠いな。能登で生まれ育ったのに毎回思う。穴水で遠いと感じるから、輪島や珠洲はもっともっと遠い。

道中、七尾湾から、穴水や能登町のほうの陸が見える位置がある。その日、空はちょうど向こう側(珠洲や輪島の方向)だけ、雨雲のような黒い雲がかかっていた。真っ二つに分かれた雲。七尾のほうは青空で向こう側は黒。不吉とまでは思わなかったけど不思議な雲だったから、子どもに「空見て、変な雲だよ、奥のほうだけ黒い」と声をかけた。今思えば、地震の予兆だったのかな。

中島の峠を越えたあたりのところで、スマホの地震速報が鳴った。急に鳴るからビックリするけど、正直またいつものか、と思ってそこまで気にしなかった。実際、車に乗っていたのもあって、そんなに揺れた感じがしなかった。「大丈夫大丈夫、またいつもの」と言いながら車を進めるとまた地震速報が鳴った。2分くらいたった後だったのか、その時はよく分からなかった。今度は車が大きく揺れて「やばい停まろう」と、車を道の脇に停めた。対向車がいたらぶつかってたかもしれない。横転してしまうんじゃないかと思うくらいの揺れだった。1分くらい揺れたように感じた。車から見える家が揺れてヒビが入っていた。電信柱が揺れていた。
まっすぐ行くと海のほうに行ってしまうので、一旦戻ろうと車をUターンし峠のほうに戻った。でも山がくずれたら困る。少し戻ったところの高台に企業の建物があり、休みで駐車場が空いていたのでそこに車を停めさせてもらった。大津波警報が出た。国道は私たちしか通ってなかったのかなと思うくらい他に車がいなくて、だだっぴろい駐車場にポツンと3人で取り残され大津波が来ないことを祈ることは、とても不安なことだった。こんな現実があるんだと、悲しくなった。息子に「大丈夫大丈夫」と言いながら、たぶんこれは大丈夫じゃないなと焦った。低学年の息子は、普段から災害に対する意識が高く、防災訓練を誰よりも真剣にするような子だから、その時も泣かずに次の行動のことを考えていた。

何分待っただろう。30分くらいだろうか。来た道を少し戻ったら小さな道の駅があるから、そこまで行くことにした。途中、道に亀裂が入っていた。タイヤがパンクしないかも心配だった。道の駅には他にも20台くらい車が停まっていて、あぁ人がいる、とすごく安心した。私たちだけじゃない、同じ気持ちの人がこんなにいることにとにかく安心した。

自動販売機とトイレがあった。道の駅といってもそれだけで、普段は特産品等を売っている小さな小屋は閉まっていた。飲み物を買いに車から外に出て、同じように飲み物を買っている人に「これどうなるんですかね?」と聞いてみると、輪島や珠洲のほうはだいぶひどいそうだと言う。のと里山街道のほうは通れないようだ、命が助かっただけでも良かったと思ってしばらくここで待つしかないね、と言っていた。今夜はここから動けないだろうと。そこで初めて、とんでもない事態が起こったことを改めて認識した。命が助かった。震度7の大地震が起こったんだ、ここで。まさかこんなところで。

飲み物を買って、今日はここから動けないかもしれないことを言うと、気丈にふるまっていた息子が泣いた。怖くて、不安でたまらない気持ちがあふれて声を出して泣いた。地震から1時間半くらいたっていただろうか。持っていた食料は、うまい棒3本といつも持ち歩いているアメだけ。今夜はそれで乗り切るしかない、実家には帰れない。「歯磨きしないでこのまま寝たら虫歯になっちゃう」と息子が言った。「生きてられたんだから、虫歯になっても歯医者に行って治せるよ」と私は言った。いつもなら歯磨きちゃんとしてとガミガミ言っていることは、なんて幸せな日常なんだろうと思った。命があってよかった。でもこの先どうなるんだろう、実家の家族は大丈夫なのかな、みんなどうしてるのかな、とにかく不安だった。この現実は何?お正月だよ?涙が出たけど、泣いている場合でもなかった。だんだん暗くなってきた。ガソリンの節約でエンジンを切っていたので、とても寒かった。今年はわりと暖かい冬だったけど、やっぱり夜の車は寒い。毛布も何もない。私のマフラー1枚では寒すぎた。時間が過ぎるのがとてもとても遅く感じた。

つづく


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