イベントに参加していないのにアフターに行った
昨日は所謂夏インテの日だった。
私はこのイベントに現地参加しなかったが、地方から参加したフォロワーにアフターに誘われた。暑い中なんばまで出ていき大阪の繁華街の道案内をしてきた。
平たく言えば、インテのために来阪した人とイベント後に遊んだのだが、インテ不参加ということに負い目を感じた。
行けばいいじゃないかと思うが、欲しい本はないし、交通費に加えて入場料もかかる。会場は暑くて人が多い。行ったという実績作りの代償が大きすぎる。そういうわけでフォロワーの買い物が終わるまでは涼しい場所で待機していた。
フォロワーはわざわざ地方から来たのに、これと行って目当ての本はなく、歩いていて気になった本を購入していったそうだ。
あの暑さの中で判断ができるのは精神的にも肉体的にも強いと思う。
私も参加した実績を作るなら一見買いをしてもいいかもしれない。以前は自カプの本を絨毯買いしていた時期もあった。そのとき買った本は殆どを手放してしまったので、自カプの書き手の存続に一時的に貢献したと思っている。これは最大限に誇張した自己正当化である。
自カプだから買う。誰が書いたかは気にしない。
果たしてそのような購入動機は嬉しいのだろうか。175でなければ、遠回しに自身の作家性を否定されているように聞こえはしないか。
なお私は限界底辺だったので売れさえすればよかった。1冊でも手元に残らならいように部数を絞り、売上0冊を回避しようと必死だったので絨毯勢は重宝した。逆に絨毯勢に避けられると引くほどキレていた。
……これは各サークルがどのような本音で活動しているかによることだろう。
いまは活動していなさすぎて、自カプと呼べるようなものがなく、過去のような情熱も金銭的な余裕もないし暑いのや混んでいるのに耐えられないのでぶらっと即売会に行くことは難しい。
フォロワーを待ちながら無力感を覚えていた。
いま、何かしらにハマりたいと思っている。できればメジャーで供給が多く、自分も創作すれば土俵に上がられるものにハマりたい。
承認欲求の行き着いた先に驚いている。
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