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和解

12年経った。
実家と絶縁して。
父は私を自殺に追い詰めた。
母は性的少数者の私を嫌悪する言葉を吐いた。
だから正確には父にはこちらから絶縁して、母にはあちらから絶縁された(と思い込んでいた)。
それでいいと思った。
子どもの頃からこの両親は精神的虐待をしてきたし、心療内科の医師も実家とは距離を置いた方が良いと言っていた。
それでも。 そんな親でも、愛されたかった。 抱きしめられた記憶もないし、八つ当たりの怒鳴り声しか浴びせられなかったけれど、それでも、それだからこそ、飢えていた愛情を少しでも満たしてほしかった。
けれどそれも、絶縁して一年、また一年と年を重ねる毎に、父母への憎悪が膨らんでいった。

実家の父からは手紙やメールが届いた。
詫び状だった。
言い訳にしか見えなかった。
手首の傷跡は一生残る。
親のせいで未成年から患った精神病だって一生治らないのが通説だ。
どの口が、悪かった、なんて言うのか。

実家は、仏教を信仰していた。 私も生まれながら信徒として信仰していたが、絶縁してからは仏壇の扉を開けることもなくなった。
あんな親が信じているものに、どんな真理があるというのかと。
なんの利益もないではないかと。

たった一つだけ親に感謝することがあるとすれば、今は亡き愛猫リオを私に与えてくれたことだ。
リオは夫と同じくらい、私にはなくてはならない存在となった。
だが、喪ってしまった。 言葉にならないほど悲しんだ。
死んだリオに何をしてやれるか。

閉め切っていた仏壇の扉を開き、リオの遺骨と遺影を置き、自然と手を合わせるようになった。
死んだ子にしてやれるのは、もしあの世があるなら、そこで幸せに過ごせるよう祈ること。
次第に祈る時間が増えていったが、決定打になったのは死んでも見えていたリオの影が私の病気による幻覚だとわかった時だ。

朝晩三十分ずつ祈っていたある日。
去年の5月だった。 リオのことを思い祈っていた時、ふっとぽっかり頭が空になった。
祈るとは念じることだから、そういうことは滅多に起こらない。
その空になった時、言葉が降ってきた。
「和解しよう」
自分で自分に驚いた。
あんな親と和解? ふざけてる。 どれだけ酷い目にあってきたか。
なのに、まるでその言葉はリオからのメッセージのように思えてしまった。 

悔しくていきどおろしくて祈りながら泣いた。 

けれど、それはもう私の中では決まったことになってしまった。
あんな親でも、リオのことは可愛がってくれていたのだ…。

ゴールデンウィークを過ぎた休日、夫と車に乗っている時、和解しようと思っていることを打ち明けた。
夫は賛成してくれた。 最後の親孝行になるね、とも言われた。

弟経由で父が癌になったこと、手術をしたこと、数年後癌が転移してまた手術をしたこと、腸捻転で死にかけたこと、いまは体重が30数kgしかないほどやせ細ったことなど聞いていた。
ざまぁみろとまで思った。
これが本当の因果応報だと思った。

だから実家に行くのに渋り続けて、5月に決意したが実際に行ったのは11月だった。
絶縁したのは12年前だが、そのもっと前から実家には行ってなかったので、玄関に立ったのは15、6年ぶりだろうか。

玄関を開けてもらうと、両親が2人揃って迎えてくれた。
父は「よく来たねえ」と驚くほどやつれた笑顔で言ったが耳を疑った。
結婚して実家を出て里帰りした時でも出迎えなんて当然しないし、挨拶しても無言で頷くだけだったのに、「よく来たねえ」?
続けて言われた言葉に更に驚いた。
「辛い思いをさせて申し訳なかったねえ」
そしてあの父が、泣いた。
母はもう言葉にならない感じで私を凝視し、父が泣いて初めて
「お前があんな言葉に傷つくなんて...そんなつもりじゃなくて...」と何を言ってるのか自分で分かっているのかなんなのかな状態だ。

とりあえず「あぁ、うん...」と私も曖昧に返事をして、お仏壇に手を合わせに行った。
  
リオの子猫の頃の遺影があった。
 
それがもうダメだった。
涙が出た。
これで良かったんだよねリオ、と心の中で呟いた。

 
父と母から受けた仕打ちは絶対に忘れられない。
死ぬつもりで切った左手首の2本の傷跡同様、一生ゆるせはしないだろう。 

だけど、その記憶を横に置いておくことは出来る。 横に置いて、新しい関係をここから始めることが出来る。

私たちは、和解した。