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【恋愛】帰ってくるけど、心配性

雪林檎です。
今日も今日とて軽く恋バナしましょう。



一言

我が家のフリンライダーが独りぼっちになってしまっています。


別行動

人間二人いれば、そういつもいつもくっついて行動できるわけではないですよね。それが社会人であれば尚更でしょう。

彼氏のC君と別行動を日常的に行う中で、雪林檎がいつも考えることがあります。考えて「しまう」と言った方が正確かもしれません。

それは、「C君がちゃんと無事に帰ってくるだろうか」ということです。

要するに、心配性が顔を出すことが多々あります。これは、とっても心配性な母譲りかもしれません(苦笑)



わかっている

本気で「帰ってこないんじゃないか」「帰ってこなかったらどうしよう」とパニックになるわけではないのですが、きっといつも通り普通に帰ってくるとわかっていても、漠然と心配になってしまうんですよね。

そして、時には自分がこんなことを考えること自体が、それこそ「変な胸騒ぎ」とか「直感」というやつなのではないかなんて変に勘ぐったりもして(苦笑)

実際のところ、そんなことはないんですけどね。

例えば、車と、とか。自転車と、とか。不審者に、とか。変なテロの爆発に、とか。特に帰省するときの長時間の移動のときは心配します。無事に出発したか、無事に実家に着いたか、と気になります。家に帰ってくるときも、無事に玄関のドアを開けて部屋に入ったか、と心配したり。

目に見えない状態では、最寄りの駅に着いただけでは安心できないんですよね。



別の心配

上の心配とはまた少し違った観点での心配もあるんですよ。

雪林檎とC君は、お互いに一人時間が結構大事な人なんですけど、それを欲していないか、という心配です。つまり、雪林檎が鬱陶しくなっていないか、という心配です。

もう少し耐えたら引っ越すことができる予定なのですが、現在雪林檎とC君は一人暮らし用の家で二人で生活していて、率直に言ってかなり手狭です。二人になった途端に実感するのですが、やはり一人用の部屋は一人用ですね。一人で暮らしているときに快適でも、二人になった途端に大分不便です。

それでもなお、一緒にいたいという気持ちが勝っていますし、一緒にいる楽しさが不便さを上回っているので一緒にいます。

一人の時間が大切な二人が、不便を押してでも狭い部屋に二人でいるという事実は、雪林檎にとってもC君にとっても非常に稀有けうなことです。本当に有難いなぁと思っています。

二人用の部屋に引っ越すことができたら、きっと今よりは快適になるはずなので、引き続き大きな喧嘩もなく過ごしたい所存です。今揉めていないことが奇跡みたいです。



いつだって、でも、いつもとは

基本的に、ここまで書いてきた不安たちはいつも全部杞憂に終わるんですよ。「頭の中で考える心配事の9割は現実にならない」とはよく言ったものです。

でも、それでも、現実に「なってしまった」という出来事は世界中で、日本中で起きているわけです。

書くことさえはばかられますが、「帰ってくると思っていた人が帰ってこなかった」は、現実に起こっています。「あの言葉が最後になるなんて……」と悔やんでいる人も実際にいるわけです。

これは、綺麗事でもなんでもなく、「この言葉が最後になるかもしれない」という意識は大切だと思います

もちろん、忙しい現代において、毎日一分一秒この意識でいろというのは無茶な話です。喧嘩が必要なときだって、討論が必要なときだってあるでしょう。そんなときに「ここで発した言葉が最後になるかもしれないから、この言葉は飲み込んでおこう」なんて、それこそ野暮なことかもしれません。はっきり言った方がいいとき、言うべきときはたしかに存在するんだと思います。

でも、大切な人との挨拶においては、どんな挨拶でも大切にしたって損はないと思うんです。出会いと別れの挨拶は元来とても重要な言葉のはずで、忙しさにかまけて疎かにしていいものではないと雪林檎は考えています。

突然ですが、小説家の有川ひろさんの小説に『ラブコメ今昔こんじゃくという作品があります。そこの中で、自衛隊の結婚式での定番のスピーチがあると言います。たしか他の作品でも書いていたような気もしますが、その点は曖昧です。他の情報源でも書いてあって「あ、この話は本当なんだ」と思ったのかもしれません。

そのスピーチは、簡潔に言うと「どんなに酷い喧嘩をしても、翌朝の自衛官の出勤日には笑顔で送り出してほしい」というものです。それは、自衛隊の仕事が常に危険と隣り合わせであり、その日も無事に家に帰ることができるかは不透明であるからです。これは、警察官や消防隊員にも当てはまるかもしれません。更には、職業に関わらず、生きている限りどんな人にも当てはまると雪林檎は考えています。

事故も病気も、いつ誰にどんなことが降りかかるかは未知です。だから、朝見送る挨拶やその他の挨拶は、大切にするべきものだと思うのです。

正直、雪林檎が内部取材をしたわけではないので、このスピーチが今でも定番のスピーチなのかはわかりません。でも、そこはあまり重要ではありません。今すたれていようと、今でも使われていようと、この言葉はとても大事な本質を持っています。

これまで何度も記事の中で書いてきたので、見飽きた方もいるかもしれません。しかし、何度だって書きたいんです。自衛隊での定番の言葉が雪林檎はとても好きです。「好き」というのは不謹慎なのかもしれませんが、この言葉は生涯胸に留めていたいと思っていて、とても素敵な心構えだと思います。

「医者がいない=要らない世界が本当は望ましいのだ。」「自分(=医者)の仕事なんて、本当はなくなった方がいいのである。」というのと同様に、この決まり文句もない方が「良い世界」なのかもしれませんが、残念なことにこの世界は「良い世界」ではないようなので、雪林檎はやはりこの言葉が好きです。



ありがとうございます

久しぶりにワイヤレスイヤホンケースの蓋を開けてみたところ、バッテリー切れでした。

今日はこれくらいにしましょうか。
それでは、またお会いできればと思います。

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