ホワイトちゃん

適応障害を発症し、新卒で入った会社を休職中。 保育士資格/幼稚園教諭1種免許 興味分野…

ホワイトちゃん

適応障害を発症し、新卒で入った会社を休職中。 保育士資格/幼稚園教諭1種免許 興味分野:社会的養護,FH,サードプレイス,居場所支援 幸せとは : 不安なく笑って過ごせること フォローしていただけると嬉しいです☺️

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自己紹介

1.経歴 私は小学校を地元の公立校で過ごし、その後中学受験をして中高一貫である女子校のミッションスクールに進学しました。 大学は幼児教育を学べる女子大に進学し、保育士資格と幼稚園教諭1種免許を取得しました。 大学で関心の強かった分野は、社会福祉や社会的養護で、「FHの生活実態」というテーマで卒業論文を執筆しました。 2.興味関心 ・音楽 小学4年生からブラスバンドに入り、中高の部活では吹奏楽部だったことから、音楽が日常のひとつという生活をしていました。 ・子ども 高校

    • 【適応障害】眠れない夜 #11

      適応障害と診断されてから約4ヶ月が経とうとしている現在。 前回の『適応障害になってから3ヶ月半』に書いたように、今は少しずつ動けるようになってきた。世界も明るく見えてきた。 ということで… 少しずつ社会復帰にむけて努力していこうという志のもと、ボランティア活動を始めてみた。 これは大学の教授に紹介していただいたもので、とても安心な環境のもとでの活動。 とは言っても、悩みこんだり、全力投球してしまったり、完璧主義、のような性格が変わったわけではないので、また休職する前に状

      • 適応障害になってから3ヶ月半 #10

        適応障害の6割の方が3ヶ月〜4ヶ月で回復するらしい。一方で6ヶ月〜1年ほど、かかる方もいるらしい。 私はいつ回復するのだろうと思いながら過ごす日々。 今は少しずつ世界が明るく見えてきて、動けるかもと思えるようになった。しかし、ずっと課題として頭をよぎるものがあった。 それは、精神科のお医者様に「好きなことから始めてみて」「好きなこと見つかった?」と「好きなこと好きなこと」と言われ続けたのだが、私は一向に「好きなこと」が見つからないのだ。 もしくは、気づいていないだけで、見

        • 適応障害になって気づいたこと #9

          自分は何をしているのだろう。 今まで目標に向かって走ることが当たり前だった私は、適応障害になり、家で過ごすようになり、なんのために生きているのか、自分は何者なのかと問うことが増えた。 そんな時、『ぼくにはなにもない』という本に出会った。 この本から私は、自分は「何もない」と勝手に思い込んで気づけていないだけで「たくさんある」ということに気づけた。 せっかくなので、適応障害になって全てを失ったと思い続けていたが、適応障害のおかげで身についたことをあげてみることにする。 1

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          適応障害から3ヶ月経った今 #8

          これは1ヶ月ほど前のある日のメモ きっとどんな症状だったのか、冷静に見るためにメモを取ったんだろう。 このメモを見るとほんとに生死を彷徨う日々を過ごしていたのがわかる。よく生き残ったとでも言いたいくらいしんどい日々が続いた時期だった。 1ヶ月ほど前に薬を変えてもらい、少しずつ効果が見え始めてきたのか、安定した暮らしを今はできるようになってきた。 コンビニも行けるし、人と会話もできるようになった。 前大好きだった本もまた読むようになり、活動が少しずつ増えてきた。 今すごく

          適応障害から3ヶ月経った今 #8

          適応障害になってから2ヶ月 #7

          早いもので適応障害の診断を受け、休職してから2ヶ月が経った。 2週間ほど前にお金関連のことで両親と真剣に話し合ったり、専門家に相談したり…なんてことをして自分にとってすごく労力を使ったせいか、また初期段階の毎日がしんどくて死にたくて暴れる日々に戻ってしまった。 小さいことでいっぱいいっぱいになってしまうそんな自分にも嫌気がさしてさらにしんどくなって。 そんな時、普段2週間に1度訪れる精神科で薬を変更してもらった。 すると自然と心も落ち着いて安心したのか、1日中寝てる生活

          適応障害になってから2ヶ月 #7

          適応障害と闘って1ヶ月半、心境の変化 #6

          私は休むことに慣れていなかった。 突然何もしないことを求められ、毎日葛藤しながら過ごしていた。しかし、やっと休むことにも慣れ、休むことが苦ではなくなった。 <診断前から今に至るまで> ・常に緊張状態にあり、体が休まらず、不眠になった。自殺願望も強くなり、泣きながら出社する日々。家に帰っても物に当たったり、泣き叫んだり、外に裸足で飛び出したり。大切な人にもとことん当たって、どんな言葉をもらっても死ねに聞こえるという錯覚を起こし、心も体も限界状態に。 ↓ ・ある日朝起きたら体

          適応障害と闘って1ヶ月半、心境の変化 #6

          【適応障害】発信できることへの感謝 #5

          私のnoteを読んでくださったみなさん、本当にありがとうございます。 今日は日常の「なんか苦しい」を書いてみました。 NGのオンパレード 私は仕事の関係で、私生活におけるかなりの制限を設けられています。 例えば、 ・勤務先の身バレNG ・外食NG(するとしても個室で) ・SNS発信NG ・仕事内容を家族に伝えることNG ・服装や髪色の制限 ・キャラクターNG etc... これは義務とか絶対とか言われているわけじゃないけれど、間接的に伝わってきたことでよくある暗黙の了解

          【適応障害】発信できることへの感謝 #5

          社会人1年目の休職から1ヶ月 #4

          5月中旬に身体的不調、精神的不調により適応障害と診断されてから1ヶ月が経ちました。 心の中 社会人になる前、自分がこんなことになるなんて全く想像もしてませんでした。 そりゃそうだよね?!だって学生時代は夢も目標もあってそれに向かって努力ができていたんだもの。 この1ヶ月、自分の何が悪かったのかと考える毎日。早くこの状況から抜け出したいと策を練ると、症状は悪化し、振り出しに戻る毎日。 社会人1年目ということもあって、定期的に友達とは会う機会があり、感謝。 そこでは仕事の

          社会人1年目の休職から1ヶ月 #4

          【適応障害】何者にもなれない自分 #3

          適応障害と診断を受けてから1週間ちょっと、休職してから3週間が経った。 基本的には寝たきりで動く気分になれた時だけ動く。動くって言ってもスーパー行ったり百均行ったりそんなもん。 実家と家を行き来するときとか、病院に行くときとか、電車に乗る時間がある。 その時、街を歩く人たちを見て思うんだ。  「みんなすごいな。手に職をつけて一生懸命働いてるんだな。」って。 その度自分の無力さにがっかりして、何者でもない自分を恥ずかしく思って。 資格も持ってるんだし経験もそれなりにあ

          【適応障害】何者にもなれない自分 #3

          ちょっと重たい話 #2

          人間ってさ、案外もろいと思うんだよね。 今日、彼の友人が電車の人身事故で遅刻したって話を聞いて、その人身事故自殺だったらしいの。 前の私だったら、自殺なんてなんでするの?信じられない。って否定的?というかー、うーん、 命を大切になんでしないのかなって思ってたんだけど、 自分が適応障害になって、日々死にたいって心に思いがあって、それを経験した今は前のように思うことはできない。 割と自分ごとっていうか。 自殺した人は悪くないんよなって思うようになった。それだけ苦しかった

          ちょっと重たい話 #2

          心の変化 #1

          時間が経ってこの文章を読むと、なんでそんなに必死だったんだろうって思う今日この頃。 いつもお世話になってるトレーナーさんが気づいてくれたことなんだけれど、自分を責めたり、人の言葉がとことん怖く感じたり、ネガティブになったりするのは「呼吸がうまくできていないから」なのではないかと教えてくれた。 その日から、毎晩時間をかけて呼吸をしっかりして、そして二酸化炭素濃度計を部屋に置き、空気の入れ替えもしっかりし、体も部屋も整えた。 すると、苦しさが半減した。まだ落ち込んだり、考えす