岬で不思議な爺さまに遇った話
必ず島を再訪しよう。それも今年中にもう一度!と心に決めて3か月。
約束どおり、季節がめぐりやや風が冷たくなった島に再び渡った。
今度は少しゆっくり目に滞在し、時間が足りず前回観られなかったスポットをバスでのんびり回る計画だ。
予報と違いとても天気が良いので、早速、民宿に大きな荷物を置いて、岬の記念碑を目指して歩く。地図で見ると距離的には近そうだが、途中ずっと登り坂で、ひと山越えていくルートだった。
誰ともすれ違うこともなく休み休み1時間ほど。ようやく目指す地点に辿り着いたときには、冬にも関わらず汗だくになっていた。
岬で一息つきながら、石碑の説明文を読んでいたら、どこからともなくトトトトト…と音が近づいてきて、すぐ後方で止まった。
振り向くと、赤いヨレヨレのジャンパーと草履をひっかけた爺さま(齢80くらいか?)が、ボロボロの原付を停めて、「どれどれ」と親し気に近づいてくる。
石碑の説明をしてくれるのかな?と思ったのも束の間、爺さまは、戦時中の島での出来事を堰を切ったように話し始めた。
この岬の上の山中に、戦時中は砲台があって、近くを飛ぶ米軍機に向かって発砲していた。そのために、島の人たちも駆り出された。砲台の近くには防空壕もあって、住民は何かあるとそこに逃げ込んでいた…、云々。
その砲台の近くは今は鬱蒼としていて、地元のお婆が自生するつわぶきを採りに行くくらいだが、数年前、そこで首をつっている男性を見つけて大騒ぎになった…、云々。。
結構ヘビーな話を、それに不似合いなのんびりした方言で滔々と話す様子に驚き、あっけに取られてしまう。
えっ?!自殺ってことですか?? こんな綺麗な場所で…… でも人気がない場所だしちょっと怖いなあ…… と言うと、
いやいや、なんも恐いことはない。もうそれは死んでるんだから、意識はない。ただの死体なんだから。とあっさりと仰る。
これを聞いたとき、この島の美しいだけじゃない、厳しくダイナミックな自然や、その中で育まれた独特の死生観のようなものを感じ、ちょっと不思議な感覚を覚えた。
爺さまは私に、帰りにぜひその砲台に行くようにしきりに勧める。ちょっと…それは遠慮したいな~と思いつつ、分かりました-。と適当に応え、
終わりそうにない爺さまの話を何とか遮って宿に戻ることにし、そこで爺さまと別れた。
帰り路、山の上方に登っていく脇道が確かにあった。草が生い茂り鬱蒼としているが、かろうじて階段のようなものも見える。たぶん砲台へはここから登っていくのだろう。
ちょっとだけ登ってみて、あまりに鬱蒼としていたら途中で引き返そう。わすかの好奇心から10メートルほど登りかけた時、腰のあたりから足首までびっしりと「くっつき虫」が付いているのに気づいた。
焦った私がその場で「くっつき虫を」一個一個取り始めた時、再び、トトトトト…、と音が近づいてきて坂の下で止まった。
振り向くと、再び、あの爺さまだった。(ウワ!また来た‐‼)
爺さまは私が本当に砲台に行ったかどうか、気になったようだ。
「行ってみたね?」ときくので「あー、はい、まあ、様子だけ…」と朧げに応え、笑って誤魔化しながら坂を降りた。
そして、帰り道で迷わないようにと道順を説明する爺さまが、また別の話を始める前に戻らないと。と思い、兎に角お礼を言って、そこで爺さまと別れた。
その後は、また、誰とも会うことなく約30分ほどひたすら山を下り、ようやく集落まで戻ってきた。
あと10分ほどで宿という地点まで戻ったとき、遠くから「おーい!」「おーい!」としきりに誰かを呼ぶ声がする。
人気のない静かな集落で何だろう?と思い、声のする方を見ると…
果たして、畑を挟んで向こう側の古い一軒家の軒先から、さっきの爺さまと、もう一人の爺さまが、二人して私に向かって叫びながら手招きをしている。(ウワ!また出た~‼しかも増えてる‼)
内心大きく動揺しつつ、「ありがと~~!」「じゃあね~~!」と、大袈裟に手を振り返して、再び急ぎ足で宿に向かった。
その後、宿で爺さまの話をしたが、主人は「はて?誰だろう?」と、すぐには思い当たらない様子。狐につままれたような不思議な感覚が残った。
でも、それは怖いとか不快とかいうのじゃなくて、どちらかというと、座敷童に遇ったような感覚に近いのかな?(あったことないけど)
あのヨレヨレの半分仙人みたいな爺さまを通して、島からのメッセージをもらったような、自然のエネルギーを充填されたような、そんな気がしている今日この頃。。
また必ず訪れようと心に決めている年末です。
2022年は以上です。来年もマイペースで書き綴っていきますので、どうぞお付き合いください。
2023年は良いことが沢山の年にしていきましょう。🎍