人間関係にもまめなアンラーンが必要
コロナによる世の中の変化。というだけではなく、自分自身のこの1~2年の身の置き所が大きく変化したせいか、
いつのまにか、随分遠くまできたなぁ…という感覚を最近おぼえている。
例えば、久しぶりに、数年ぶり数十年ぶりに会うような友人、知人と話をしながら、
以前は感じたことがなかった、ちょっとした「違和感」を感じたり、
あるいは、相手の知らなかった面(私には見えていなかった面)を発見したり。
これは、もちろん、相手が変化したということがあると思うが、
同時に、というかそれ以上に、自分自身の変化、自分の視点や視野の変化の方が大きく影響しているように思う。(特に今回に限っては…)
当然ながら、自分も相手も、時と共に常に変化し続けているのだから、
「前と同じだろう」とこちらが勝手に想定して(ある意味「決めつけ」て)相対するのがいけないんだろう。
人間関係にもまめなアンラーンが必要。ということだ。
例えば、
学生時代の先輩・後輩関係、新人の時の直属の上司や先輩、先生と生徒の関係など、
一旦両者の関係性が固定してしまうと、互いが大きく変化しても、その後長きにわたりなかなか最初の関係性を変えにくい。というものも多い。
特に、日本は目上の者を(少なくとも表面的には)尊重し敬う文化が残っていて、目下の者が安全に意見を言いにくいという「権力格差」が大きい文化。
こういう場合、互いにその硬直した関係性を窮屈に感じ、後々反感を持つようになったり、段々と疎遠になってしまうケースも多いと思う。
考えてみれば、それはとても勿体ないことだ。
だから、本来は、時と共に変化する互いの関係性のずれに気づき、互いに少しずつ、修正していく必要があるのだろう。
特に「目上」の立場にある人は、このことに留意した方がよいと思う。
変化を「老い」と捉えれば、苦しいことかもしれないが、「成長・成熟」と捉えれば、人はいくつになっても可能性の塊だなと思える。
自分で自分をも決めつけ、縛りつけるのはよそう。
毎回、新鮮な気持ちで人に会う。
互いの旧い関係性の紐をほどき、新たな気持ちで結びなおす。
そうすれば、その紐(関係)は良好な状態で長持ちするだろう。
…なんぞと、つらつら考えている。初夏のような5月の終わり。
今月は以上です。
※写真は初夏の「麦秋」。これが刈り取られると景色は水田へ一変します。