範馬に加勢してたはずの男が暇を持て余して範馬に楯突いた話
前回までのあらすじ
石丸氏の「ゾーン」発言からの範馬氏のポストに噛みついた⚪︎△氏。
そこに範馬氏に加勢する形で⚪︎△氏に噛み付く私 FLOW。
⚪︎△氏vs FLOW対戦の機運が高まる中で、まさかのれいあからの再・再々反論が来るもFLOWは秒で反論を返すのであった
<前回のあらすじ終わり>
プロローグ
— 時は少し遡る —
範馬氏に加勢する形で⚪︎△氏に噛み付く私 FLOWのpostが14:47に対し、
同時並行でその直後に範馬氏から⚪︎△氏に対し14:54(七分後!)「ハイパーマジレスタイム」を開始するのであった。
しかし⚪︎△氏、次回企画の他にれいあvsFLOW対決が新たな進展を迎え
完全にキャパオーバーとなった⚪︎△氏は範馬氏にレスバの延期を申し出るのであった。
そして、れいあからの再・再々反論を秒で返したFLOWは暇を持て余し、なぜか加勢していたはずの範馬に対し、このように煽るのであった。
<プロローグおわり>
石丸伸二は変態か否か
こうして始まった、範馬氏vsFLOW対決。
その論点は、石丸伸二は変態か否か。
実際の流れはXを追ってもらったほうが良いとは思いますが要約すると。
このやりとりに凝縮されていると思います。
そして範馬氏からのこのポスト
私はWEB系のエンジニアとしてWEB0の頃からネットの進化と共に自身のキャリアを積んで来ており、OSS(オープンソースソフトウェア)運動へ純粋なる興味から参加してきた過去もあり、タダ働き同然で長時間プログラムに向かい合う生活を送る姿に周りの人々から「変わり者」と呼ばれながらも、この分野で充実した活動を行ってくることができた過去を振り返ると、それが自分にとって自ら望んだ楽しく幸せな半生だったことは紛れもない事実であり、コレが自分にとって悔いのない生き方なのだという確信でもありました。
実際に、見返りを求めず、かつ純粋に自分の興味や欲で、自分の手で世の中を変えることを純粋に楽しんでいる人々が、この世界には一定数いるのです。
私が石丸伸二の活動をyoutubeで見て、そして彼の言葉を聞くと非常に強いシンパシーを感じるのは、おそらくそういうところが彼の中にあるのではないかと思ってしまうのです。
ファクト:今から過去1年間で、FLOW(の中の人)が本職とは別で関わったOSSプロジェクトは2件、
WEB3プロジェクトが3プロジェクト、DAO構築1コミュニティ
トータルの作業時間は悠に500時間は超えます。
おそらく私以上に時間をかけて活動されている方はいくらでもいる印象です。
ひとまずの決着
ここまでのやりとりのなか、範馬氏からこのような提案がありました。
というわけで、アンケート行っております。
1日で70件を超える回答をいただきました。ご協力ありがとうございます!
FLOWは何を言いたかったのか
範馬氏・れいあ氏のみならず、ジョフィー氏からもこんな言葉をいただいてしまいました。
そこで再度、上で示した私自身のファクトを示します。
ファクト:今から過去1年間で、FLOW(の中の人)が本職とは別で関わったOSSプロジェクトは2件、
WEB3プロジェクトが3プロジェクト、DAO構築1コミュニティ
トータルの作業時間は悠に500時間は超えます。
おそらく私以上に時間をかけて活動されている方はいくらでもいる印象です。
この程度で「変態」を自称するのはおこがましい気もしているのですが、おそらくOSSプロジェクトに完全にボランティアとして参加している方でこの活動量を費やしている方はあまり多くはないと思います。
ですが、一般的にはなぜ自分の時間を使って一銭にもならないこのような活動をしているのかを理解されないことも多いと思います。実際、若い頃はよく友人たちに、なぜそんなことをしているのかと不思議がられ「変人」扱いされてきた事をよく覚えています。
(OSSの文化において重要なのは活動量ではなく「自ら参加したい。やってみたい。」と思える事そのものであり、その経験そのものがインセンティブなのだと考えています。)
今回の議論の文脈においての「変態」の定義
そして今回の主題「変態」の言葉の定義。今回私はここにこだわってきました。
私は今まで、下記のような文脈で「変態」の意味を捉え使ってきました。
私にとってこの文脈での「変態」という言葉は一人のギタリストと直結しています。
彼の卓越したギタープレイや独創的な音楽スタイルから、日本のファンの間では尊敬と畏怖の意味を込めて「変態」と好意的に呼ばれていました。この「変態」という言葉は、彼の技術が常人離れしていること、音楽に対する徹底的な探求心を表現するための敬意を込められた言葉として、彼のオーディエンスに広く受け入れられています。
こちらの動画は彼の生誕から最高傑作「passion and warfare」リリースまでの30年の歴史を振り返るものとなります。
英語の動画となっていますが、彼の音楽との向き合い方。そして「変態」と呼ばれるその所以とその言葉が「尊敬と畏怖」にまでなりうる感覚を少しでも理解していただけると幸いです。
人類が言葉を生み出して以降、人類は持てる技術を世代を超えて未来に伝えることが可能になりました。
私は人が人たる所以を「言葉を持ち、自信の寿命以上の時間をかけて技術を発展させることが可能なこと」と定めています。
遠い昔は猿の仲間だった人類が、群れの中で道具を使い、文字を使ってその技術を発展させて文化を持ち、集団が力をつけることで国をなし、自らの陣営が拡大していくことで今の世界が出来上がった。
それが人類の歴史と考えています。
その歴史を支えたものはまさに「言葉と技術」。
まだどちらも完全体には程遠い代物ですが、そのそれぞれを完全体に近づけることが人類に課せられた使命なのではないかと考えることがあります。
私は自らの意思で技術の最先端に触れるべく、ネットワークの世界に飛び込みOSSに出会いました。過去の偉大な偉人が残したプログラムの数々が多くのインスピレーションを生み出す源になり、なにか新しいものを自分の手で生み出せる可能性にワクワクしていたあの日々を今でも鮮明に覚えています。
そんな日々があったからこそ、ブラック企業の最底辺とまで言われた下請けIT企業の1兵卒からのキャリアのスタートすら私にとっては価値のある経験になったのだと考えています。
まだまだ自分は「尊敬と畏怖」されるほどの成果を出せたとは思いませんが、次のプロジェクトがなにか世界のあゆみを一歩進めるなにかの一助になることができればと願います。
そんな「技術」一辺倒のわたしからみて「言葉」を操る者の頂点が政治なのではないかと思います。
そんな政治を任せたいと思う人物。
自分の生き方に照らし合わせてシンパシーを感じることができた者。それが「石丸伸二」にほかならない。
かなりカッコつけた自分語りをしてしまいましたが、ここまで私が石丸伸二を推す理由が、そういう部分にあることは確かです。
エピローグ
とまぁ、こんな感じで言いたいことは言えたので満足していたFLOWだったのですが、その後もすこしだけ続きまして。。。
それに対し
こんな感じで煽り返していたわけですが。
さすがの範馬氏。話を整理しクロージングに入ってくれました。
ここから先は是非Xを見ていただきたいのですが結論。
私の言動に失礼な点があったことについては正式に謝罪し、和解していただけることになりました。
範馬氏から頂いた言葉
最後にわたしが範馬氏から頂いた言葉で感銘を受けたものを紹介します。
範馬氏の懐の深さを感じることのできるポストでした。
絶許の皆様も含め、今後とも宜しくお付き合いいただければ幸いです。