新聞白旗6号:新しいあきらめ感
伝えたいことがたくさんあるのに、どこから話し始めていいかわからない。というか、これを伝えるには、そのまえにこれを伝えなくちゃで、それを伝えていくとなると必然的にこの話になるわけで。。。でも誤解してほしくないからこの話もしなきゃで。。などとつらつら考えていると文字通り「果てしなさ」が自分の中にやってきて、「ああ、もういいや。やっぱり何も言わずにいよう」ってなる。
そのような状況がここしばらく続いています。
面倒くさがらずに伝えよう、と思うのか、やっぱりそこまでわかりあおうとするのはあきらめよう、と思うのか、の分かれ道。
けどこんなふうに、わかりあうのをあきらめよう、と思うのって、自分としては新しいです。あきらめることなんかない、きっとわかりあえるんだ、とずっと信じてきたようなところがあって。
でも、ここへきて、なにか、「もう、いいや」という感じが出てきてる。
これって「投げやり」なのとは違う気がするけど、紙一重しか違わないかな。。
ただ、エネルギーの使い方という意味での努力の方向性が、前と少し違ってきていていて、もっと自分が楽でいることを自分に許せるようになってるような気はしていて。
これは、もしかしたら、いいことなのかも、という予感がほんのり。
言葉のレベルで全部わかりあえなくても、とりあえず自分が自分でいることに安らいでいられたら大丈夫なのかもしれなくて、相手が相手のようでいることに安らげるのかもしれない予感。
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その昔、親元から離れて欧米文化圏(英語圏)で思春期から成人すぎまでを過ごした私は、母が癌になってやむなく帰国したのですが、当時父から「しばらくは日本にいるように」と言われ、なんというか、ぞっとしたのを覚えています。鳥かごの中の鳥になったような絶望感がありました。そのくらい、当時の私は日本が好きではありませんでした。
今思うと、あのタイミングで帰ってこれて本当によかった、という想いしかないのですが!
7年くらいぶりの日本での暮らしは最初から、おばあちゃんと一緒でした。そこで、おばあちゃんの「言葉」の使い方が違うという圧倒的事実を目の当たりにしました。
欧米文化圏で暮らしてきた自分にとって、言葉とは「意味を運ぶもの、想いや考えを伝えあうためのもの」でした。何事も言わなければ伝わらない、何も言わずにそこに居ると「居ない者」としてカウントされてしまう、そういう体験を重ねてきて、私は言葉を多用する人になっていました。
でもおばあちゃんにとっては、まるで違っていた。「言葉にして言わないとわからないくらいなら、いい」。おばあちゃんにとっては、言葉にする以前のところでわかりあえるかどうかのほうに意味があって。何も言わずに行動で示すことのほうに重きが置かれていて。
そのせいで永遠にすれ違っているように見えるおばあちゃんと母との関係を見かねて、私はふたりの間に入って言葉を紡ぎまくっていたのだけれど。
いくら私が言葉を重ねても、ためにはならなかった。。というか事態はとくに変わりませんでした。
言葉への信頼度が、そもそも違っていたからかな、と思います。私の言葉自体がたぶん、おばあちゃんからみたら薄っぺらだった。言葉を多用しすぎてきた弊害というか。。
言葉以前のところで「察しようとする」というのは、「空気を読む」というフレーズが広く認知されているのに象徴されているように、日本という文化圏では当然のことのようになされていて、そのことの弊害もいまやもちろん広く認識されてるわけですが。
そして察しようとしても間違うことも多いんだから、ちゃんと言葉にして伝えあうほうがクリアーだし建設的だよね、とも確かに思うし、今まで無言が貫かれてきたことにようやく声が上がるようになって、ほんとうによかった、と思うこともたくさんあるのだけど。
おばあちゃんの「言葉の使い方」、やっぱり、なんか好き。
言葉をどう選ぶか、以前に、そもそも言葉を発するかどうかを選ぶ。言葉を発しないことそのものにメッセージがあって、「言葉がない=何もない」ではないこと。。そして言葉と言葉のあわい、間合い、語尾のかすかなニュアンスに宿るものの大きさ。。
そちらに向かうのは時代錯誤かもしれません、とわかりつつも、自分は日本で過ごすうちに、そしてアレクサンダー・テクニークを学ぶなかで「無理して作り上げてきたっぽい自分像」に気づいていくうちに、(身勝手かつ思い込み満載の)「まっとうなアジアの人」になることに憧れを募らせ、英語文化圏で構築した自分のありようを解体しだしたのでした。
ほぼすっかり解体するまでの数年間は、ずっと、ビルとビルのあいだの暗い吹きっさらしに居るような感じがしていました。英語文化圏というビルと、日本語文化圏というビル、どちらのビルに入っても、自分の一部は失われてしまうので、自分でいられるのはその吹きっさらしの空間だけのように感じていました。
それでも日本語と英語という言葉を使うことでしか人のお役に立てるような仕事ができなかったので、「英語を使っているときでも日本語文化圏の中に留まる」ことに意識的に取り組むようになって、何年か経つうちに、わたしは吹きっさらし生活を脱していました。
あんなに日本が嫌で日本に帰ってきたくなかった自分が、日本語文化圏にいて温もりと幸せを感じられるようになりました。(もちろん、政治から慣習まで、これってどうなんだ、と感じる部分も普通にいろいろありますけども。。)
おばあちゃんの言葉の使い方。おじいちゃんの書いてた俳句。ひいおじいちゃんが残した俳句や書きもの。それらが指さしてるのは、言葉になっていないところにあるものだったり、言葉と言葉のあいだの静けさだったり、ある空間というか場というか、広がりだったりするわけなんですが。
その一見すると何もないところに満ち満ちているものへの感性を、失いたくないと強く思う。。
現にこうやって言葉をたたみかけて酷使しつつも、言葉にならない「それ」を見失いたくないんだーと、切に願っているところがあります。
(英語と日本語という比較でみると、それらの言葉の使われ方には今書いたような全般的な違いがあるとは思うのだけど、一人ひとりの個人の言葉の使い方はそれぞれに独特で、それぞれに味があるということも、もちろん書き添えておきたいです。)
(上に書いたことは、わたしがこれまで経験してきたことにもとづいた、ごく主観的な印象ですが、印象として片づけてしまうには具体的でありすぎる体験でもありました。。)
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ひるがえって、最近の「言葉で全部を伝えあうことへのあきらめ感」が、もしかしたら、いいことなのかも、という予感は、たぶん。。。
言葉にならない「それ」への信頼を深めていく一歩になりそうだから、でしょうか?
出来事や存在や、いろんな事象に、わたしの意識や注意はさーっと集まって。一度集まると、わりと持続的にそこに集まったままになりがちなで。結構とことん突き詰めていきたくなって。そしてこだわっていき。。度がすぎると、わだかまっていく。。ので、もう少し軽やかに流れ続けていくようになりたい、という憧れが芽生えている今日この頃。
軽やかさが、ふつうに、あっていいんだ、っていうところから、この「あきらめ感」がひとつの軽やかさに感じられている、というのがありそうです。
ただ、ずっと翻訳・通訳業に携わってきて「言葉の職人」たるべく細かく言葉にこだわりまくってきたのに、ここへ来てのこの「あきらめ感」。。。いいんだろうか、というのはあります。
ずいぶん違う境地に入ってしまうようで、ちょっとどうなのか。。でもひょっとしたら、おもしろい変化なんじゃないかー?
一方へ傾きすぎたら、別の方向へ傾きだすのが、バランスの法則。
そして馴れていない新しい場所は、はじめは妙な感じがするし心もとないのが、変化の法則。
それと。。言葉の意味とは別レイヤーの部分(トーン、間合い、語順、語尾のニュアンスなどなど)の情報量の豊富さや、それらがどれだけ言葉にならない「それ」に意識を向かわせてくれているかに自覚的になれると、AIによる機械翻訳の精度が上がってきているいま、翻訳・通訳業を続けていく意味を見失なわずに済むのかな、という気もしています。