”現実”に閉じ込められてしまわないために
「愛している。」
朝、起きぬけのまどろむ意識の中で聞こえた。自分の声として聞こえた。でもわたしは生きていてこのかた、愛っていうのがよくわからなくて「愛している」という言葉をこんなふうに言えたためしがない。だからこれは自分の声に聞こえたけど自分の声じゃないな、と感じた。
自分のじゃない声が、自分の声色で意識の中で聞こえてくること。これは、直観的異種間コミュニケーションを学ぶ過程で、実地で学んだこと。正確には、直観的異種間コミュニケーションを学ぶ過程で実地で確認できたこと。
愛してもらっているんだ、ありがとうございます、と思った。本当にありがたいな、と感じた。そのとき、本当にこころから「ありがとう」と感じることがめっきりなかったことを自覚した。このところの不調期のあいだ、ずっと。
それから、愛することは愛されること、というイメージがやってきた。猫の両頬を両手で挟んで撫でているイメージが来た。そうやって私が撫でているとき、私自身が愛をもらっている。自分の中の猫、あるいは猫としての自分、を同時に撫でている。だから愛は減ることがないんだな。差し出しても、増えるばかり。
安心する。それからコンセンサス・リアリティ(いわゆる世間で同意されている”現実”)に閉じ込められたところから、ほんとうのありのままの現実、もっとふくよかな本来の現実に抜け出るために、直観的コミュニケーションや、音楽や、アートがあることを感じた。
直観的異種間コミュニケーションを学ぶ中で接した、あるメイティ(カナダのファーストネーションとヨーロッパ人をルーツに持つひと)の若い学者さんの言葉を思い出した。彼女はアカデミックな世界で生きてきて、あるきっかけで直観的異種間コミュニケーションを学術的に研究している教授に出会ってその道に入ったのだけど、その道に入って初めて、「長老たちが言っていた、”生きものたちの声を聴く”という言葉は比喩ではなかったんだ、文字通りのことだったんだと悟った」と言っていた。
比喩ととらえてきたことが、比喩でなく文字通りのことなんだ、となる、そのパラダイムシフトはなかなかにパワフル。今読んでいる「神と人のはざまに生きる」(アンヌ・ブッシィ著)という本で、「白狐の神さん」を体におろして言葉を伝えるオダイ(お代)として生きてきた中井シゲノさんの言葉を読んでいて、日本列島のそここで出くわす滝や池の龍神とかお稲荷さんとか、お狸さんとか、そういったさまざまな神さんたちが”比喩”ではない世界線を体験させてもらっていて。それらはこの狭いコンセンサス・リアリティからはみ出したところにあるけれど、リアリティの別の層をふくふくと構成していて、コンセンサス・リアリティに多大な影響をもたらしてもいるんだと感じた。
そうした神さんたちも、人の世と関わって、人を守護する仕事に励んでいること。人はそれを知っていて、それらの神さんたちを祀ってきた歴史があること。ここにはお互いさまの関係性があったこと。
このリアリティの層は、切り離して忘れて、「ないこと」にしていい層ではないな、と感じた。そんなふうにしても、あり続けているのだから。
オーストラリアのアボリジニの長老が、4万年続いてきたアボリジニ文化に伝わってきたことを語った「Story about Feeling」(Bill Neidjie著)という本も、同じことを語っていると感じた。「注意深く耳を傾ければ、スピリットがフィーリングに入ってくる、感じ取れる。誰でもそうだ。私は感じる。私の身体もあなたの身体も同じ。私たちの大地は変わることがないから、これを伝えている。私たちの場所、私たちの地球、星、月、木々、動物、どんな種類の動物も、鳥や蛇も……動物はみんな私たちと同じ。私たちの友」と。
大学などでアボリジニの歴史、政策、比較哲学を教えてこられたアボリジニのMary Grahamさんの対談を聞いたときにも強く印象に残ったのは、「西洋では”I think, therefore I am(我思う、ゆえに我あり)”とデカルトは言ったけれど、アボリジニの文化では”I am located, therefore I am(我はこの地にいる、ゆえに我あり)”なのです」という発言。「I am located」は「我はこの地に置かれている」とするほうがもっと正確かな。この大地との関わりの中で初めて自分が存在するという実感。大地との関わりから切り離されたところでひとり「think」する、そういうありようとはだいぶん違う。
わたしは思春期以降、日本列島を離れて”西洋”の教育システムの中で過ごすことになってしまったため、大人になってから戻ってきて、まず”東洋”のありように馴染み直すまで、少し時間がかかったことを自覚している。白黒くっきりの視界になるメガネをはずして、もっとあわやいニュアンスの色あいが微細に広がる世界をみていたいと思ったことを覚えている。
でもそれも、アレクサンダー・テクニークというオーストラリア移民の末裔の白人の人が考案したメソッドを学ぶなかで、”西洋”で身に付けた習慣(処世術)を脱学習するなかでのことだった。アレクサンダーさんは、「抑制」という概念を打ち出していて、ものごとに即座に反応してさまざまな努力や取組、ああだこうだとやろうとし続ける習慣を一旦止めてみる、ということの効能を、心身両面で物理的に体感させてくれた人だとわたしはとらえていて。誤った方向の努力をやめれば、おのずとふさわしいことが起こる、という彼の言葉がすき。即座の反応を控え、誤った方向の”努力”を、ふさわしい方向の”意図”で置き換える、ということをアレクサンダーさんはずっと提唱していたけれど、晩年には「ただ静かになればいいだけだ」というような発言をしていた。
そして最近はこれが一番腑に落ちる。ただ静かになること。アレクサンダー・テクニークをもとに発展したアイボディ・メソッドというものに長年関わるなかで、アイボディのせんせいであるマティアスさんからずっと教えてもらってきているのが、「ただここにいる」ということで、これが本当に実践できた瞬間に、静かさが訪れる。そしてそのとき、私がずっとあこがれてきた「あわやいニュアンスの色あいが微細に広がる世界」を眺められる視界が、いまここで広がる。
今朝も、「愛している」ということのあとに一連のイメージが降りてきたあとで、マティアスさんの言葉が思い出されてきた。「ただここにいる。地面に支えてもらっていて、空気が鼻から入っては出ていっている。ただここにいる。何も変えようとしなくていい。何もしなくていい」。すると何かふだん閉じている感性がひらくような感じで、視界がひらく。
何も変えようとしない、しようとしない、とはすなわち、アレクサンダーさんのいう「抑制」の態度。さまざまなものごとに反応し続けるのをいったん保留すること。欲から手を放すこと。ただ、今ここのありのままをそのまま認めている状態。こうやってありのままを眺め認めると、全容が入ってくる。
こうやって全容を入れているとき、何にも努力して取組もうともしていないので、くつろぎがある。
くつろいでいて、目覚めている。
くつろいでいて、目覚めているところにいると、体の中を巡り始めるものを感じた。その体感を感じながら、ああ、氷山が解け始めたな、流れはじめたな、と安堵した。
認めることは認められること。全容を自分に入れることは、全容に自分を入れてもらうこと。そこからぴったりとした対応を柔軟に選ぶことができる。というか、ぴったりとした対応がおのずと選ばれていく。
「”自由”とは、いったん立ち止まって選ぶことができるということ」だと、先日モンテッソーリ教育の入門講座の中で教わったとき、アレクサンダー・テクニークと同じだなと思った。自由とはなんでも好き勝手にするということのように思われがちだけれど、気分の奴隷になることは自由ではないですね、と。
ずっと、今の状況に対して「どうしたらいいかわからないの!」と嘆いていた自分がいました、ここしばらく。焦りがつのって、どうにかしようとし続けて、でも迷走してこんがらがって、くたびれ果てて。
いまここにいる、この地に置かれているということを、忘れちゃってた。いったん立ち止まることを、忘れちゃってた。
思い出せたのは、”西洋”発祥のいろんなメソッドのおかげ。それも心に留めている。
アラスカとユーコンのファーストネーションをルーツに持つジョー・コパージャックさんは、いま私のもっとも尊敬する人のひとりだけれど、彼が”考案”した土地計画・土地開発のためのモデル「Land and Peoples Relationship Model」では、”西洋”の科学的知恵と先住民の伝統的知恵を、川の流れの両岸ととらえていて、川の流れが細くなっている場所では「両岸から橋をかけることができる」としている。つまり、2つの知恵は、独立してあり続ける。そしてたまにふさわしい場所場所では、橋を渡って行き交う。
橋は、行っては戻ることができる場所。
橋を渡って向こう側へ行って、また帰ってくる。お互いにときどきそんなふうにする。白狐の神さんとオダイ(中井シゲノさん)の相互の関係性も、同じだと思った。
行き交うことができることができる地点で行き交うこと、大事だな、と思った。閉じ込められてしまわないために。ただ、行き交うことは必須ではない。必要がない人もいるだろうとも思う。必要がある人には、この橋は命綱なんだろうなと思う。