verdure studio

こんにちは。MISAです。 植物・料理・空間・インテリア・哲学・心理学・FASHON・音楽・コーチング・ロハス 35歳になりようやくADHDの診断がおりました #オトナのADHD現在治療中 外資OL・フローリスト・i love techno

verdure studio

こんにちは。MISAです。 植物・料理・空間・インテリア・哲学・心理学・FASHON・音楽・コーチング・ロハス 35歳になりようやくADHDの診断がおりました #オトナのADHD現在治療中 外資OL・フローリスト・i love techno

マガジン

  • 10年ぶりに田舎へ帰ってきた私が思うこと。LOCOと移住者。

最近の記事

  • 固定された記事

毎日忙しい!

こんにちは。初めまして。 私はとっても普通のADHDです。普通すぎて自分がADHDである事を忘れがちですが、30歳を過ぎて中度のADHDである事が判明いたしました。 10人に1人はADHDであるといわれていますので日本の人口が1億2000万人だとすると1200万人がADHDであるとされます。10人のADHDコミュニティーを創ろうと思えば100人と出会い会話をすることになります。 是非一声かけてくださいね。

    • 2021.05.30

      確か、最後に京都府を出たのは滋賀県だったので一年ぶりに県外へ出ました。 行き先は成田空港。 Tarminal2から歩いて15分の場所で行われたTechno Raveです。 主催者のドキュメンタリーを観たので参加しました。 RAVEも一年ぶり。RAVEは五感がフル稼働するので意識は存在しません。 ネガティブばものは存在しなくなります。 Mari Sakuraiを最前線で感じた時はとても気持ちよかった。 TECHNOは集中力が続く限り永遠に踊っていられる。 気が付けば5時間経

      • ”優しい”なんて薄っぺな言葉ではなく 親切な 思いやりのある 美徳を根本とした 創造的で など。永い言葉が嬉しい。

        • あーーー。

          無事に引っ越しを終えました。 と、いきなりです。失礼。 16日火曜日に、2年住んでいた平家の一軒家を出ました。 2年??本当?? もう5年は住んでいたように。記憶を辿ると現実を見失ってしまうので辞めておく。 とは言え、この2年間を前もって独りで回想しましたので、今現在は穏やかではありませんが、荒波はございません。 これらのこと。 引っ越し以前からの仕事、WSの勉強は進めることができています。 ”ナリワイ”の伊藤洋志さんのオンライン講座に出たり、知り合いに告知したり。

        • 固定された記事

        毎日忙しい!

        マガジン

        • 10年ぶりに田舎へ帰ってきた私が思うこと。LOCOと移住者。
          3本

        記事

          verdure studio.

          今日の11時ごろ。右京区の税務署にて創業いたしました。 屋号は"verdure studio" 新緑の場所 屋号を迷うことはありませんでした。 ただ、どのように自分と関連付けて案内していけばいいのかと、 後付けで色々と思考しました。 新緑、深緑、深慮、神慮、新呂 これからも沸き立つ好奇心になるべく逆らわず、 ”植物とどのように接し、またその結果をどう伝えれば良いのか” を、やんわりと試行錯誤して発信していきたいと思います。 https://www.ffpri.affr

          verdure studio.

          (株)ブルーミスト・オランダ屋代表取締役 蓑口 猛氏 講演会「花屋が元気になる話」

          講習会に行ってきました。 noteをまとめて見たのでシェアします。 誤字脱字や至らない点が多いと思いますのでサラリと読んでみてください。 6月18日(火)
(株)ブルーミスト・オランダ屋代表取締役 蓑口 猛氏 講演会「花屋が元気になる話」
 ”立地だとか先入観に関わらず実践したら利益につながる実例
”    1、数字の管理ー重要なのは ①粗利率、②客単価・来客数
       ①粗利率ー仕入れ値の変動を毎回確認する。平均は50%でこれを上げるにはどうする
か       ②

          (株)ブルーミスト・オランダ屋代表取締役 蓑口 猛氏 講演会「花屋が元気になる話」

          出戻りの私と移住者の話

          出戻って5年目です。しつこく言いますが、購読者がいませんので当たり前です! 出戻りの私は小学校の頃から自分の立場に疎外感を感じていたのを覚えています。だからか、町内の人たちが出戻りの自分に対して異質感を感じることに違和感を感じなかったです。前回書いたように、家族も含め周りの人たちが私に合わせることが多かったのは物珍しかっただけかな。シドニーで自己主張を学んできました。 HARD CORE ROCKな自分だったのに、そうじゃなくなりましたからな。 地元に落ち着くってこうゆうこ

          出戻りの私と移住者の話

          10年離れていた故郷への出戻り。LOCOと移住者。狭いね!日本の国土って。

          今日は故郷へ出戻った私の見解を発言してみます。 初めに 田舎を出たのは高校を卒業してすぐの19歳。 京都市内の七条付近に1年間住み、その後京阪沿線の天満橋駅付近に引っ越す。枚方の大学に通いながら梅田のロフトでバイトをする生活。そのまま就活せずに社員になったりして計4年間大阪の地に住む。 そんな私、シドニー生活4年を経て故郷に帰ってきて5年。 この5年間で考えたことを書きます。 その1。久しぶりの故郷での生活。 『出戻りは辛いよ!』 田舎とゆうのは話が回るのが早い!い

          10年離れていた故郷への出戻り。LOCOと移住者。狭いね!日本の国土って。

          初めてのnote

          初めてのnoteを書いてみる。Wordも使えないのに 私。 まずは自己紹介です。 京都市内からJR嵯峨野山陰線に乗り北上したところが私が生まれた町です。車でなら1時間ほどに位置するこの小さな町で、両親と共に”町の花屋”でフローリストとして働いています。 人生の転機について大まかに話させてもらいます。 私の人生で一番大きな転機は24歳で日本を離れ、単身シドニーへ行った期間。 これが渡豪の理由になるか分かりませんが、その時は何も考えず目的も持たず行きたかったので行きました。中

          初めてのnote