「御手の中で」〜とある老司祭の生涯‥8
〈連載8回目です。2011年3月の終わり、西日本のとある市で一人“孤独死”を遂げていた実在したカトリックの老司祭。彼の魂がなぜか、震災後の東北と思われる場所に飛び、そこで一人の女性と出会った。。これまでに使用した挿絵は、司祭自身が書き残していた回顧録の木版画(リノリウム)を転載したものですが、これからは筆者撮影の写真も使用していきたいと思います。今回の写真は東日本大震災後の約1年後の福島(福島第一原発近くの被災地)で撮影したものをイメージ写真として使いました。なお、連載の1回目は無料で読めますのでよければ読んでみられてください。ではきょうはここからが本編です〉
Ⅳ章 気高き惨状
教会の重い扉を開いた二人は呆然と立ちすくんだ。一面に広がる泥の海、瓦礫の山‥‥。昨夜は暗くて司祭にも見えなかった惨状の細部を、神々しいまでに輝く朝の光が照らし出していた。ここが、住み慣れた、あのふるさとの光景なのか。今日子は惚けたように変わり果てた世界を見ていた。現実なのか夢なのか。しかし、最初に口から出たのはなぜか、「きれい‥」という感嘆詞だった。
どうしてこの惨状が美しいのか。美しいはずがないのに。それでもそこは美しかった。瓦礫の山々さえもキラキラと輝いて見えた。そして、目だけでなく、耳にまでも、美しいさえずりが聴こえてきた。チュルチュル、ピピピピ、キュルキュル‥‥。鳥たちだった。こんなにたくさんの鳥のさえずりをいっぺんに聴いたのは、今日子も司祭も初めてだった。
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