司教様とのお別れ。。
何度か書きましたが、わたしはカトリック信者です。カトリックとは、普遍的な、という意味でもちろん全世界共通、バチカンにおられるローマ教皇、今はフランシスコ教皇を最高指導者とするキリスト教最大の教派です。
教皇は代々「ペトロの後継者」であり、教皇の下には枢機卿と呼ばれる位の人たちがおられて、教皇が亡くなられたりして次の教皇を決めるときには、全世界から枢機卿がバチカンに集まって「コンクラーヴェ」(新教皇が決まると白い煙が出る)と呼ばれる会議が開かれるのは割りと有名ですよね。
そして枢機卿団(過去にはおられましたが、現在、日本に枢機卿はいません)の下には、各国に司教団がおられ、日本には今26人の司教様がおられます(2014年カトリック教会現勢より)。司教はバチカンから任命され、役割としては神父さまよりも上の、信徒も含め、教区のみんなをまとめる「良き羊飼い」のような方が司教様です。
その中で、5年ほど前まで四国四県を束ねる「高松教区」の司教を務められ(日本は16教区に分かれ、それぞれに司教様が何名かずつおられます。四国には一人)、その後は「名誉司教」の肩書きで、京都に「望洋庵」という黙想の家をつくられて、何よりも大切に思われている若者を励ますための布教活動をされていた溝部脩司教様。「若者」ではないわたしですがーー;、娘ともども高知においでるときから本当によくしていただきました。
お若い頃、イタリアの神学校に進まれ、トリノで司祭叙階を受けたというだけあって英語はもちろん、イタリア語もラテン語もフランス語もなんだって堪能。お酒が大好きでワインはもちろん、芋焼酎やウイスキーも。娘が大学に進学したときも喜んでくださって、東京でも何度か食事に誘ってもらって、イタリア料理店では最後のグラッパまで楽しく食べて飲んで。本当に、本当はものすごく偉い方なのに、まったく偉ぶることなく、誰に対しても分け隔てなく接してくれる人間味あふれる方でした。祭服を脱げば、優しいおじいちゃん。。↓↓4年前?東京にて。。思い出の写真。
そんな優しい司教様が昨年から原因不明のがんに侵され、お加減がよくないと聞きながら、結局一度もお見舞いにも行けなかったわたし。。そして2月29日に亡くなられたときにも、覚悟はできていたから、「喜んで天国に逝かれたんだろうなあ」と思ったぐらい。そのときは東京(埼玉)にいたので、結局、京都と高松の両方であったお通夜にもお葬式のミサにも行けずじまいでした。なんて恩知らずなわたし。今思えばなんとしても最期のお別れに行くべきでした。。
そして、きょうは朝10時半から、高松教区の司教座が置かれている高松桜町教会で溝部司教様の49日の納骨を兼ねた追悼ミサがあるというので、これはいかねばならぬ‥と、早起きして高速で高松へ。
カトリックなのに、49日?とか思われそうですが、カトリックはその国国に合わせて柔軟に行事を行ってよいので(特に1962〜65年に開かれた第2バチカン公会議以降)、亡くなった方の弔いも、日本では日本の慣例に合わせて行うことが多いのです。
ミサでは、わたしたち人間が、神の呼びかけに心静かに耳を傾けることを願い、中でも、若者たちに向けて心と心の対話を続けてこられた司教様の生涯があらためて語られました。「教会の肩書きをすべて脱ぎ捨てて、苦しみ、悲しみを分かち合ってくださった」。本当にそうだと思いました。。
♪♪主は水辺に立った。わたしに声を掛けた。み言葉で漁に出た。
おお主よ わたしを見つけた あなたが呼ばれたから。
水辺に船を捨てて み言葉で漁に出よう♪♪
司教様にぴったりな、このわたしも大好きな聖歌が流れる中、御聖体拝領や、ミサの後の焼香の列に加わり、御遺影を眺めて頭を垂れると本当に涙が出て、止まらなくなりそうでした。溝部司教様、本当にありがとうございました。
そう。カトリックでもお焼香があるのです。
納骨は。なんとお御堂の前の祭壇のすぐ左。歴代の司教様のお骨はここに収められているのだそうです(知らなかった!)
はじめにその場所を現司教様(溝部司教様が後を委ね、バチカンによって高松教区の司教となった諏訪榮次郎司教様です)が祝福されます↓↓
溝部司教様、お疲れ様でした。どうか天国で心置きなく休まれてください。本当にお会いできて、たくさんの優しい言葉をいただけて幸せでした。いつの日か、天国で再会できることを祈って。。
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