修行する身になって思うこと
わたしは今、ドイツの花屋で フローリスト の修行をしています。
ざっと説明すると、
ドイツには アウスビルドゥング という職業専門教育システムがあって、
企業や会社が人を雇い、国が設営している専門学校に通わせながら、人材を一人前に育てていく仕組みになっています。
鍵屋、パン屋、靴屋、仕立て屋、そして花屋、色々な業種のマイスター(師匠)がいて、彼らがアズビ(弟子)を働いている会社で育てます。元々は職人社会だったドイツに残る師匠と弟子の現代版です。
マイスター自身が店を持っていることもあれば、店がマイスターを雇っている場合もある。14歳くらいから修行を始めることもできるし、大学出てからの人もいます、が稀です。(職業教育を受ける人って、大学に行くことのできなかった人という何らかもあるのかなーと思う時もあります)とりあえずこれらはHandwerkerと呼ばれる、技術を売り、育て、残していく職人の世界だと言える気がします。
雇われた人(弟子)は 学校では理論 を、会社では実技 を主に学ぶことになり、専門職の国家試験を合格すると1人前(ゲゼレ)となります。するとヨーロッパ全域で使える免許を持っているし、会社を経営することもできます。 私は今この国家試験に向けて修行中です。
マイスターというのは、一人前のゲゼレが後に、職人学校(マイスターシューレ)に通って、弟子をとってもいいよ とか、もっと専門的に習ったよ っていう証拠が付いて来たものって感じです。
ちなみにこの アウスビルドゥング はよく日本語で「職業訓練制度」と呼ばれています。
業種により様々ですが、大抵のアズビ(弟子)の給与はフルタイムで働いて、ゲゼレの半分以下であると思います。2年から3年の修行期間です。
では、私、モッピーは今どこで、どんなことしているかというと
私は現在、ミュンヘンの花屋に雇われています。
一人前のフローリストを目指す職業訓練生の2年目です。
1週間のうち 4日は会社(花屋)勤務で、1日は学校に通っています。契約書には週40時間勤務と記載されていて、学校がある日も勤務時間に換算されます。1年目は、3日出勤で、2日は学校でした。
昨年までのマイスター(師匠兼店長)が先月1月末に定年退職されたと同時に、24才の新星スターフローリストが私の師匠兼店長になりました。
始める前は、どうなってるんだろうこのシステム?え。ゼロから技術学べるって凄いじゃん。っとワクワクでした。し、その通りです。
ドイツ語へのストレスと、ちょっと切ない給与明細に慣れると、給与をもらいながら資格の取れる画期的なシステムだと思います。
学校の授業はもちろんドイツ語です。中学高校で習った数学や社会をドイツ語でやり直している気分の時もあれば、植物学などは本当に専門用語ばかりですが、興味深いテーマばかりです。こちらでまた時間割なども公開できたらいいな。と思います。
これは、語学を学びながら、やりたい仕事ができるっていう本当にリクルートもびっくりのデュアルシステムだよね!
30才。一通りちょっと働いてみた、けどチャンスがあるならやってみたい仕事があった私にはぴったりでした。確かに思いきった決断になりますが見方を変えると、贅沢な経験だと思います。だからこそ給与は少ないのですが。
大変な時もありました。本当に何度も何度も日本にいたほうがよかったかなとか、つらいなとか。何が残せるのかな。とか。考え出したら終わり。
でもそれ、日本でも、一緒かもしれないなと思います。
じゃあ なんでドイツにいるんだい? なんですが
30歳でワーキングホリデーを使い、2018年の5月にミュンヘンにやって来ました。最後のチャンスを使ってみたくなっちゃったんです。
国際系の学部で学び、ツアーコンダクターとして働く傍、いつも、「うーーーーーん、住んでみたい。働いてみたいぞ。どんな感じなんだろう。」もう、この好奇心に歯止めがきかなくなりました。
「もういいじゃん、結婚してから旅行で行けば。」とか、「もういいじゃない、いっぱい行ったでしょ」じゃあ止まらなくってごめんよお母さん。
ワーキングホリデー協定国の中にある都市を比べたり、ちょっと行ってみたりして、30才になってやっぱりワーホリ行く!それには安全第一。仕事するなら保険大事。はい、ドイツ。とそんな理由でドイツに決めました。
そしてドイツ大使館に行き書類をもらい、上智大学の公開講座のドイツ語を受け(たぶん週一だったと思います。)カラオケでひとり発音の練習したりして、半年くらい準備をしました。
当時の私のとても素敵な婚約者はフランス人で、私がドイツに興味を持っていることをちょっと怪訝な目でみながらも、「止めてもあとでなんか言われるんでしょ」とか「ドイツなのはわかんないけど、何かに打ち込むのはいいよね」とかもう本当熟年夫婦のように見守ってくれて、むしろ外に行きたいという私を止める両親を説得すらしてくれるのでした。
その頃の私は興味というよりは、
実は「このまま人生終わるんか。私は彼が倒れた時にも共倒れするんか。私、何にもやりきってないじゃんよ。まだいっぱいやってみたいことあるよ。」
って思ってました。ツアーコンダクターって家を離れる仕事だから、やめなきゃとか。何を持ってやりきるのか、何を持って満足なのか、そんなのは分からず、ただ漠然と。
「今までみたいに好き勝手できなくなるよ」
これが、もう何なのかわからないくらい怖かった。
素敵だけど、何か変わるんだよね?
結婚したら変えなきゃいけないんだよね?
って 多分、そんなことはなかった。それはそれでものすごく幸せだっただろうと思いますが。
ええ、そして色々あったドイツでの一年が過ぎてワーホリの期限が切れる頃、
私は、「もう少し挑戦していたい。今終わらせて帰っても、なんの意味もない」と思っていました。
日本に置いて来てしまった婚約者にはもちろん半年経ったあたりで別れを告げられていて、両親にはいいから帰って来て頭下げて元に戻れと言われ(当然です)ていました。
ドイツ語もわからないまま無鉄砲にドイツにやって来た私。手元にあるのはB1レベルのドイツ語。と海外の日本料理屋での接客経験。(B1は、掲示板や音声を聞いて間違えないで電車を乗り継いでゴールにつける程度と考えてください)コミュニケーションが取れているっていう実感はないドイツ語で日本に帰る意味は無いな、と思ったんです。
そしてあの婚約者の「夢を頑張るあなたを応援してる」って言葉を思うと、もっともっとやるしかねーって燃えたり、落ち込んだり。
それで、ビザの切替と同時に自分の働き方を考えて、日本でやって来たような仕事のミュンヘン支店や某大手企業などに話を聞くと同時に、職業訓練をすれば、やってみたかった仕事のプロになれるんだぞって思ったらなんかワクワクが止まらなくなって来て、
言語レベル、興味、様々な選択肢の中から フローリスト(花屋) の職業訓練の求人を探し始めました。
実は時計修理士の職業訓練に本当に心が奪われたのですが、数学と相性が悪いので、諦めました。
すでに一度雇用主を変え(後に記事にします)
給与は保険や年金などが引かれて手元に残るのが日本円で6万くらいです。
確かに生活必需品は高くないですし、病院もタダですから、住むところがあれば、どうにかやっていけます。でも実際30を越えてから、この給与に下がるのは、
つらいよ。
いや、結構こっちの日本人の友人にも「まーやっていけなくはないね」「何に使うの?」とか言われるんですけど、こんだけエネルギー使って、これって
単に虚しいんですよたまに!
今日の記事にオチをつけられない。二度目の投稿はこんな感じで。
明日も6時半におきて仕事です。
これも、当時の自分が想像していなかった、「やってみたら辛かったこと」
朝毎日同じ時間に起きて仕事にいく。
新橋のサラリーマンを見ては、うわぁ、ゾンビみたいって思っていた当時の自分に言いたい。
当たり前が大変なんだよね。