ブラジル人から聞いた国語改革の話
十一日の午後三時頃、ツイッターを丁度開いているときに、フォローしていないアカウントからメッセージを受け取ったので開いてみると、「日本語を勉強している外国人」を名乗るアカウントからのものだった。ツイートをグーグル翻訳に掛けてみると、ポルトガル語である。彼は丁寧な挨拶ののちに、「どうして君は漢字の旧字体を使っていますか。それに、旧字体から現代漢字の形までの変遷の歴史を説明するサイトを薦めていただけないでしょうか。」と述べていた。因みにこの記事は、彼から許可を得た上で執筆、掲載している。
私はツイッターのアカウントで、旧字体及び歴史的仮名遣いを常用しており、これは戦後に文部省が行った国語改革に反対しての行為である。そのため彼には、戦前から漢字廃止を目指していた者たちが中心となって、新字体や現代かなづかいの制定を拙速に行ったことや、「觸獨濁」「拂佛沸」から「触独濁」「払仏沸」になったように、元は同じであった旁がばらばらになってしまったものなどがある旨を述べ、私が旧字体を使用している理由の説明をした。
更に幾つかのサイトのアドレスも送り、彼も喜んでくれた様子であった。それから私が、彼にどこの国の者かを尋ねると、ブラジルに住む、ポルトガル語を母語とする人であることがわかった。更に彼は、「ブラジルで話されたり書かれたりするポルトガル語にも公式の変遷がありました。主な理由は、ほかのポルトガル語が母語の国々と統一することです。」と説明をしてくれた。日本で行われたような、公権力による国語の表記変更が、どうやらブラジルでも行われたらしい。しかもそれは、他国で使用されるポルトガル語との、統一を図ってのものであるらしい。日本人からすると、中々に想像のしづらい話である。
「そうなのですか、政府によってスペルが変更されたのですか? 別の国々と統一なんてできるものなのでしょうか。」と思わず私が尋ねると、彼は「その企画の公表は二十年以上前のものです。政府はゆっくりと成立させました。」「統一したかどうか決めるのはまだ早いと思います。それにしても、それは確かに大きな挑戦ですね。アジアでもポルトガル語の国々がありますね。マカオと東ティモールは、ある期分に、ポルトガルの植民地からでしょう。」と答えてくれた。
更に彼は、次のようなことを教えてくれた。
「過去には『薬局』は英語の書き方のように『ph』を使って『pharmacia』で書いてありました。現代は『farmácia』と書いてあります。」
そこで私は、「今の若者たちは、『pharmacia』を見てすぐに『薬局』のことだとわかるのでしょうか? 昔の本はそのために読みにくくもなったでしょうね。」と尋ねてみた。返ってきた答えは次のようなものだった。
「残念ながら古ポルトガル語で書いてある本はほとんど売られていません。確かによむのは挑戦です。言葉の選び方も全然違うでしょうね」「『pharmacia』は多分わかります。でも、活字離れのせいでたぶんわかりません。本当に人それぞれの場合ですね。」
殆ど売られていないというのがどの程度であるのかは、中々に判断のしづらいことではありが、考えてみればこの状況は、日本でも同様である。例えば夏目漱石が書いた通りの、歴史的仮名遣いで書かれた作品を書店で探しても、見つけることは難しい。文庫本は軒並み新字新仮名に直されており、当て字ですらが仮名に直されて、原文とは大きく異なっている。全集は勿論歴史的仮名遣いであるが、最近のものでは最早旧字体は使用されておらず、旧字旧仮名のものを読みたければ、図書館や古本屋に頼るしかないのである。
若者が古い綴りの文章を読めるのかという問題についても、彼の返事を見る限り、日本とそれほどの差はないのかもしれない。政府が国語の表記を変更することにより、過去の文献との断絶が生れるという問題も、やはり遠い異国で、我が国と同じように起っていたのだ。国語改革の問題を再認識すると共に、ブラジルという地球の裏側にある国に対し、親近感を感じさせられる出来事であった。(令和元年八月)
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