富田敬彦

小説や随筆を書いたり、電子書籍を出したりしています。《カクヨム》https://kak…

富田敬彦

小説や随筆を書いたり、電子書籍を出したりしています。《カクヨム》https://kakuyomu.jp/users/FloralRaft 《ブログ》http://floralraft.hatenablog.com/

マガジン

  • 細流雑記

    取り留めのない随筆集です。表題は乏しいながら湧き出てくるものはあるものの、上手く摑み取ることが出来ず流れ去っていく様を表しています。それでも掬い取った僅かなものがここに並べられております。

  • その他雑録

    ネット小説の感想など。

最近の記事

小学館「P+D BOOKS」に於ける大量の校正ミス

 小学館の「P+D BOOKS」は、絶版となっていた昭和の文学作品を電子版とペーパーバックで復刊するという試みのシリーズである。この叢書のことを知って私もこの仕事に大いに意義を感じたから、先日、福永武彦の『廃市』と『夢見る少年の昼と夜』を購入して読んだ。しかし読み始めてすぐに、校正がきちんとなされていないのではないかと思うに至った。  というのもこれら二冊は、旧字旧仮名で刊行されていた単行本を底本として新字新仮名に直されたものであったのだが(末尾にその旨について記されている)

    • 令和三年四月―五月 石川の旅(六)

       ここまで書き忘れていたが、私は三日目の晩に延泊の手続きをとっている。本当は三泊四日の予定であったが、それではやはり足りなかったことに気付いたのである。岡山・香川旅行(令和二年三月)でも福岡・佐賀旅行(二年十二月から一月)でも四泊以上はしており、既にこれほどの日程でなければ不足する性質になってしまっているのかもしれない。今後も長期休暇が安定して取れる保証はないので、余り喜ばしいことではないのだが。因みに宿を転々とするのは非常に億劫であるので、いずれの旅行でも一つの宿のみを拠点

      • 令和三年四月―五月 石川の旅(五)

         四日目の五月二日、私はかほく市へ向った。ここに石川県西田幾多郎記念哲学館があることを、調べて知ったためである。文学館を含め、記念館というものが中々に面白いということを知ったのは、この旅行の三日目に私が得た大きな収穫であった。  西田幾多郎は「善の研究」で知られる哲学者であり、私もその著書と共に名前だけは知っていたが、詳細については殆ど知識はなかった。恐らくこの記念館がなければ、今後も殆ど接点はないままであったろう。  この日私は北上して最寄の宇野気駅で降り、かほく市の地を踏

        • 令和三年四月―五月 石川の旅(四)

           三日目、五月一日の目的地は金沢市内の「にし茶屋街」であった。茶屋街と名付けられてはいるものの、要は嘗て遊廓があった界隈である。目的はこの遊廓街で生れ育った作家、島田清次郎の資料館である。  島田清次郎、通称島清については各自調べて頂いたほうが早いと思うが、大正時代に『地上』という青春小説を二十歳で出版し一世を風靡、だが傲慢不遜な言動で次第に不評を買い、遂には統合失調症を発症して精神病院に入院、昭和五年に三十一歳で歿するという、嵐のような人生を駆け抜けた作家である。遊廓で育っ

        小学館「P+D BOOKS」に於ける大量の校正ミス

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        • 細流雑記
          15本
        • その他雑録
          2本

        記事

          令和三年四月―五月 石川の旅(三)

           モテル北陸を後にした私は、再度歩いて動橋駅へと戻り、加賀温泉駅で降りた。ここは加賀温泉郷の玄関口であるのだが、意外にも大勢の高校生たちが電車に乗り合わせており、私と共に大勢がこの駅で降りて行った。この辺りは住宅街も多いようだったが、観光客よりも高校生たちを大勢見るとなると、何か不思議な心持にさせられる。  昼飯を摂らぬままに丘を登ったり下りたりしたので、私は非常に空腹を覚えていた。駅前の南口にアル・プラザ加賀というショッピングモールがあったので、そこへ入ってマクドナルドでハ

          令和三年四月―五月 石川の旅(三)

          令和三年四月―五月 石川の旅(二)

           二日目の三十日、私が向った先は加賀市であった。加賀市というと加賀国の中心地であるように聞えるが、特にそういうわけではない。昔に加賀郡という名前であったのは現河北郡であるし、加賀国の国衙があったのも、今の小松市であると考えられている。加賀市がある地は嘗ての江沼郡であるので、本来であれば江沼市という市名を付けるのが自然であった。加賀市というのは、所謂僭称市名である。  JR北陸本線の、動橋駅という小さな無人駅で私は降りた。イブリハシという非常な難読駅名である。駅前には古い石倉が

          令和三年四月―五月 石川の旅(二)

          令和三年四月―五月 石川の旅(一)

           四月二十九日、私は石川県への旅行に出た。去年の年末から今年初めに掛けて、私は九州を旅行したのだが、それが中々に満足のいくものであったので、時間ができたらまたどこかへ行こうと以前より考えていた。しかしいざ計画を立てる段になると、行先が中々決らなかったのだが、結局は北陸に決めたのである。理由については追々述べていこう。  東京駅から北陸新幹線に乗り込み、車輛が走り出すと、私はいつもながらの旅の昂揚感に包まれた。愈々初めての北陸の地を踏むことができるのだ。因みに計算違いだったの

          令和三年四月―五月 石川の旅(一)

          「選択的夫婦別姓」に関する私的見解

           最近騒がれている夫婦別姓推進論について、一度書いておこうと思う。  私が憂いているのは、同性婚やらこの夫婦別姓やらに関しては、反対する者は他者の人権を侵害する人間の屑であるという風潮が、あたかも当然のことのように罷り通っていることである。報道機関もこれらに関しては推進寄りであるから、反対する者の意見などは碌に取り上げようともせず、時代遅れな頭の凝り固まった者とのレッテルを貼り、攻撃に終始する。そこに建設的な議論の生れる余地はない。  さて、今になって何故、夫婦別姓にしなけれ

          「選択的夫婦別姓」に関する私的見解

          「ふるこんぼ」という作曲家がいた

           「ふるこんぼ」氏は、インターネット上に様々な楽曲を発表していた人物である。フォロワー数や投稿作品の再生数などを見ればわかるが、有名な人物というわけではなかった。詳しい年齢や身分は不明であるが、平成一桁生れ辺りの二十代前半であったことは間違いないようだ(https://twitter.com/fullcombo5500/status/1015402866301759488)。 彼の楽曲はコンピューターの打ち込みによって作成されたもので、その多くはユーチューブのアカウント「fu

          「ふるこんぼ」という作曲家がいた

          諸星モヨヨ『待てど、暮らせど』感想

           諸星モヨヨ氏の新作短篇「待てど、暮らせど」に登場する、良太という少年はひどく奇妙、且つ、不気味な存在である。シングルマザーの友美の息子である彼は、「今年の四月から小学3年生」になる歳であるから、通常であれば歳相応の思考判断能力は具備している筈であるが、その精神年齢はさながら幼児同然である。  彼が作中で何をしたかと言えば、転倒事件以後の一連の行動は勿論、店内で走り廻り商品を破壊、四度も外出前に母に頼まれながら最大風量でエアコンを放置、と、最初からその「ダメさ加減」は次々と描

          諸星モヨヨ『待てど、暮らせど』感想

          ブラジル人から聞いた国語改革の話

           十一日の午後三時頃、ツイッターを丁度開いているときに、フォローしていないアカウントからメッセージを受け取ったので開いてみると、「日本語を勉強している外国人」を名乗るアカウントからのものだった。ツイートをグーグル翻訳に掛けてみると、ポルトガル語である。彼は丁寧な挨拶ののちに、「どうして君は漢字の旧字体を使っていますか。それに、旧字体から現代漢字の形までの変遷の歴史を説明するサイトを薦めていただけないでしょうか。」と述べていた。因みにこの記事は、彼から許可を得た上で執筆、掲載し

          ブラジル人から聞いた国語改革の話

          【感想】諸星モヨヨ『薔薇のカルペディエム』第三話―第四話

           現在「カクヨム」で連載されている、諸星モヨヨ氏による『薔薇のカルペディエム』の第三話から第四話までが更新された。私は以前から読んでいるのでここからの感想になるが、その前に、この小説の梗概を述べておく必要はあるだろう。  とはいえ短く設定をまとめることは難しい。ごく搔い摘んで言えば、貴族の少女たちが「アイアンメイデン」なる鋼鉄の巨人に乗り、宇宙から飛来した怪獣と戦うという物語である。詳しくはリンク先の用語集を参照して貰いたい。令嬢たちと鋼鉄の巨人、怪獣という組み合せ……、非常

          【感想】諸星モヨヨ『薔薇のカルペディエム』第三話―第四話

          口角を上げる

           世の中には、人の表情から勝手な邪推を繰り広げる人間というのが大勢いるもので、非常に面倒に感じることが屢々である。  例えば私のバイト先の四十代ほどの男であるが、事ある毎に人に睨まれていると感じるらしい。或るとき従業員の女性の一人が、何か彼に質問をして、男はそれはどうだったっけなどと言いながら他の人間に尋ねたりなどしていたのだが、やがて答えながら振り向くと、苦笑い混じりに「何で睨んでんの」とその女性に言った。 「え、睨んでないです」と女性は驚いた表情で返したのだが、「早く答え

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          東京と後輩たちに思う

           最近は就職活動のために、静岡と東京とを幾度も往復する生活を送っている。大学では既に大方の単位も取り終え、あとは残り僅かな単位と卒業論文とをこなして卒業するのみということになってはいるが、愈々大学生活も最後の一年間に差し掛かってしまったのだということを思うと、不思議な寂しさを覚えもする。  就活を始めれば、これまでは漠然としていた自分の、社会人となった未来像なるものも徐々に明瞭になってき、地元のまともに食事をする場所もないほどに寂れた商店街を歩きつつ、ここで生涯を過ごすことに

          東京と後輩たちに思う

          新元号発表前の感

           愈々来たる四月一日の昼、新元号が発表されることが決定した。  ツイッターなどを覗いてみると、相変らず大喜利混じりの新元号予想で盛り上がっており、こんな風にして国民が改元を迎えることはこれまでの日本史上絶無であったろうと思われるだけ、実に不思議な感じがする。数年前までは私たちも、こんな形での改元に自分たちが立ち会うことなど想像もしていなかった。歴史的なその日を体験できるということに、私たちは幸運に思うべきかもしれない。  去年から今年に掛けては、「平成最後」という言葉が盛んに

          新元号発表前の感

          マイクロフィルムの向うに

           東京とその近隣に住むということの大きな利点の一つに、国立国会図書館に行けることが挙げられると私は思う。日本国内で出版された出版物ならば、ほぼ例外なくここで読むことができるのだから、正に知識の殿堂とでも言うべき場所であろう。  大学二年生のときに入館カードを作って以来、私も幾度となく永田町にまで足を運び、国会図書館で知りたいことなどを調べたりしているのだが、好きなだけ好奇心を満たすことのできるこの場所は本当に素晴らしく、数時間などあっという間に過ぎ去ってしまう。  資料は多く

          マイクロフィルムの向うに