「ふるこんぼ」という作曲家がいた
「ふるこんぼ」氏は、インターネット上に様々な楽曲を発表していた人物である。フォロワー数や投稿作品の再生数などを見ればわかるが、有名な人物というわけではなかった。詳しい年齢や身分は不明であるが、平成一桁生れ辺りの二十代前半であったことは間違いないようだ(https://twitter.com/fullcombo5500/status/1015402866301759488)。
彼の楽曲はコンピューターの打ち込みによって作成されたもので、その多くはユーチューブのアカウント「fullcombo5500」から、動画として投稿されている。
見ると「ふるこんぼのオリジナル曲 My Original Songs」として三十二本、「ふるこんぼのボカロオリジナル曲 My Songs Feat. VOCALOIDs」として十三本の動画が投稿されている。令和二年の現在では彼のアカウントには三千百人の登録者がおり、ボーカロイドの動画なども二千から三千回ほどの視聴回数を表示しているが、彼の生前にはこれらの楽曲も、それほど多く視聴されていたというわけではなかったようである。
「ふるこんぼ」氏は令和元年十月十五日午前九時二十分頃、香川県高松市のJR高徳線木太町駅から特急列車に飛込み、自殺した(https://web.archive.org/web/20191022032958/https://www3.nhk.or.jp/lnews/takamatsu/20191015/8030004924.html)。自殺直前にツイッターに投稿した文章が、死亡後に一時の注目を集めた。
ツイートを溯ってみると、前日十四日の午後四時半にはベースを演奏した動画を普通に投稿している。翌日十五日の午前八時半に、突如として次のツイートが投稿された。
これは「すこっぷ」のボーカロイド楽曲「クライヤ」の歌詞の一部である。連続して、次のツイートがなされていった。
自らを「欠陥品」と表現した投稿の七分後、遂に決意を固めたことを窺わせるツイートが投稿された。
ここに投稿された「笑顔」という楽曲は、現在でもダウンロードし視聴することができる。自殺の僅か九日前に発表された「檻の中」という楽曲とこの「笑顔」の二つが、ふるこんぼ氏の遺作と呼んでよい作品であろう。
その後、最後のツイートがなされた。
高松市の鉄道駅が選ばれたのはこの投稿通り、生れ故郷であったためのようで、氏のツイッターアカウントや投稿を見ると、在住していたのは岡山県であったことがわかる。自殺の決意を固めてのち、恐らく瀬戸大橋を渡って香川県へと向ったのであろう。こうして「ふるこんぼ」氏は、約二十年の人生を終えた。
彼を自殺へと追いやったものは何だったのか?
遺された投稿を見ると、かなり早い段階から氏は、強い厭世観を抱いていたようである。そして作品にも、その厭世観は如実に表現されており、平成三十年二月三日に初めて投稿されたボーカロイド楽曲の題名は「醜い人間の子」である。
ある日 私は生まれ落ちた 普通の人の中にひとり
混じる異端者こそが私 これが 全ての始まり
この歌詞から始まる「醜い人間の子」は、周囲に虐げられる「私」の苦しみを痛々しいほどに語った曲であり、次の歌詞で終る。
こんな厳しいこの世界 そこに生まれ落ちた僕
何でここで過ごすのだろう 何で僕は生きるのだろう
僕をここまで狂わせた 人が憎くてたまらない
復讐の意味も込めて 僕はホームに降り立った
驚くべきことに、処女作のボーカロイド楽曲で既に、鉄道自殺を明瞭に描いているのである。平成三十年二月といえば氏本人の自殺の一年八ヶ月も前であるが、この時点で既に、希死念慮と、死ぬならば鉄道自殺という思いが存在していたのであろうか。この曲には「どちらを選んでも、少年は生きられない。」というキャッチフレーズのようなものが付けられている。
「ふるこんぼ」氏が遺したボーカロイド楽曲を、キャッチフレーズを付して一覧にしてみたい。
・醜い人間の子 / ふるこんぼ feat. 鏡音リン・レン(平成三十年二月三日)
「どちらを選んでも、少年は生きられない。」
・止まったままの僕の時計 / ふるこんぼ feat. 鏡音レン(平成三十年二月十二日)
「僕だけ抜け出せないままで。」
・難題 / ふるこんぼ feat. 鏡音リン(平成三十年四月八日)
「いつまでも、その難題を解くことができずに...」
・置き去りの僕 / ふるこんぼ feat. 鏡音リン(平成三十年六月二十四日)
「仮面と鎧の内側で、僕は壊れていく」
・ありふれた殺人鬼 / ふるこんぼ feat. 鏡音リン(平成三十年九月十四日)
「静かに命を蝕んでいる。」
・思い出が邪魔をする / ふるこんぼ feat. 鏡音リン(平成三十年十月十七日)
「終わらせたいのに、作ってきた思い出が邪魔をする」
・シークレット・モンスター / ふるこんぼ feat. 鏡音レン(平成三十年十二月十六日)
「人間たちに混じって生まれ落ちた、あるモンスターのお話。」
・ロストエモーション / ふるこんぼ feat. 鏡音レン(平成三十年十二月二十八日)
「失った感情と、その代償」
・仮面舞踊 / ふるこんぼ feat. 鏡音リン(平成三十一年四月二十六日)
「狭い狭い世界の日常。」
・欠陥 / ふるこんぼ feat. 鏡音リン(令和元年七月九日)
「欠陥だらけのこの私には、全てがあまりにも厳しすぎたようでした。」
・ANTI WORLD / ふるこんぼ feat. 鏡音リン(令和元年八月四日)
「異を唱えるその声は、絶対に止めない。」
・赤いままのランプ / ふるこんぼ feat. 鏡音リン(令和元年八月二十八日)
・檻の中 / ふるこんぼ feat. 鏡音リン(令和元年十月六日)
「いつからか檻の中に閉ざされて、ずっと身動きが取れないで。」
令和元年十月三日に投稿された動画「ふるこんぼとは? 2019.10【作った曲のまとめ】」という動画によれば、「欠乏症と依存症」という未発表曲もあったようで、「まだまだ満ち足りなくて、どこまでも求めてしまう。」というキャッチフレーズが付けられているが、こちらは未発表のままに終り、その極一部をしか聴くことはできない。また、同じ動画で「笑顔」のキャッチフレーズが「笑顔を見せてと謳う曲が嫌いな僕が書いた、笑顔がテーマの曲。」であったことを知ることができる。
私は、ふるこんぼ氏の発表されたボカロ曲はその総てを聴いた。彼が販売した唯一のアルバム「深淵旅行」も購入して聴いた。因みに、ここにはYouTubeでは聴くことのできない「ENDLESS LONELINESS」「画一世界の中で」「無意味な鼓動」「出発」という四曲ものボカロ作品が収録されており、中でも「ENDLESS LONELINESS」「出発」は素晴らしい曲であると思う。YouTubeにある動画もそうだが、このアルバムもいつ削除されて購入不能になるか知れないので、是非とも聴いてみてほしい。
ふるこんぼ氏の曲は、その殆どが自身の孤独、人間不信、劣等感、疎外感を主題としている。それは彼の、作り物ではない心からの叫びだった。彼が自殺した今、これらの曲は一層真実味を帯びて、深く私の心に喰い込んでくる。どれを引用すればよいのかわからないほどに、どの歌詞にもその叫びが溢れている。
中でも注目に値すると思われるのが、平成三十年九月十四日に投稿された「ありふれた殺人鬼」である。
私のもとにも とあるスクープが飛び込んだ
昨日 あの子が特急電車に飛び込んだ
周りの人たちは 「どうして死んでしまったの?」
そう言って 胸が引き裂かれたらしい
余りに明瞭に、ふるこんぼ氏は一年後の自分の死を予告していた。そして、最早「救助信号」を出すこともこの時点で諦めてしまっていたようである。
どうせ救助信号なんか出しても 誰も救ってくれやしないし
救助信号なんてものを出す意味 あるはずがないからな
何故自殺を遂げたのかについて、ふるこんぼ氏は明確な言葉を遺してはいない。しかし最後のツイートや歌詞からするに、人間関係に深刻な懊悩を抱え、何度も人に裏切られ、疎外される中で絶望を蓄積させていったのであろう。
しかし彼が平成三十年二月から令和二年十月の自殺まで投稿し続けてきたボカロ曲、その絶望を昇華させた作品群は、今も私の心を強く打つ。中でも私が好きなのは、YouTubeに投稿されたものとしては最後の曲「檻の中」、そして「赤いままのランプ」、「欠陥」である。
ダメなところが積もりに積もった本当の私なんかが
認めてもらえないことなんてさ とっくに知ってるよ
(中略)
「こういう人って嫌だよね」 会話の中でいつも耳にする
そうやって聞くたびに私は 指をさされた気分になる
自分を「欠陥」品と呼ぶ投稿が、氏の最後のツイートにもあったことを想起させられる。
たった二年間の間にこれだけの傑作を生み出し続けた氏の才能には感服するばかりであり、もしも生きてくれていたら、今後どのように開花していったかと思えば、そういった意味でも、強い哀惜の念に堪えない。
一方で彼の素晴らしい作品群は、常に死の危機にある深い絶望感なしには成立し得なかったのかもしれない、とも私は思った。
最後に述べておきたいことは、氏が出したアルバム「深淵旅行」の最後の一曲「出発」だけは、彼の歌詞の中で唯一と言ってよい、前向きな心情が記されていたということである。
もうここにはいられない いつしか湧いてきたこんな感情
いつまでもここにいたら 過去に囚われ何もできないな
狭苦しい関係も 投げ出したくなるようなこの傷も
煩い周りの声も もう全部置いていってしまおう
生まれ育ったこの街で 暗い記憶の中に籠った
このままの僕でいいのだろうか
この街を後にしよう 僕の決意は揺るがない
醜い記憶には 鍵をかけてしまおう
いいことばかりじゃない そんなこともう分かってる
でも試してみる価値はあるだろう
「深淵旅行」の最後に納められた、「出発」。ここに記された思いもまた、彼の一つの決意であり心情であったのだろう。
今回、ふるこんぼ氏の死から一年が経つに当って、彼のこと、そしてこれらの作品群の存在を少しでも多くの人に知ってもらいたく、私はこの記事を書いた。
最後にふるこんぼ氏の御冥福を、心よりお祈り申し上げます。
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