新元号発表前の感
愈々来たる四月一日の昼、新元号が発表されることが決定した。
ツイッターなどを覗いてみると、相変らず大喜利混じりの新元号予想で盛り上がっており、こんな風にして国民が改元を迎えることはこれまでの日本史上絶無であったろうと思われるだけ、実に不思議な感じがする。数年前までは私たちも、こんな形での改元に自分たちが立ち会うことなど想像もしていなかった。歴史的なその日を体験できるということに、私たちは幸運に思うべきかもしれない。
去年から今年に掛けては、「平成最後」という言葉が盛んに繰り返され、広告などにも多く登場した。一つの時代が終りを告げようとしているのだという、どこか感傷的な気分に国民が浸っていることを、何とはなしに感じられる不思議な数ヶ月だったが、それもあと一ヶ月で終りを告げ、恐らく次には、新時代の到来を告げる言葉が勇ましく広告を彩るのであろう。
以前に聞かされた、私の母親が昭和天皇崩御の報に接したときの話が印象深いので、この機会に記しておくことにしよう。母はその日、何も知らぬままハンバーガーチェーン店のロッテリアに行ったのだが、入ってみて、店内の雰囲気が異様であることに気付いたのだという。音楽が流れておらず、店内の客たちはお喋りもせず、黙々とただ食事だけをしていた。一体何が起ったのだろうと不思議に思い、家へ帰って初めて、天皇陛下が崩御されたことを知ったのだそうである。
こうして書いてみると、まるで遠い昔の、終戦時に宮城前に跪いて泣いていた人々のことを書いているような気もするが、これも僅か三十年前のことだ。近代的で西洋的なハンバーガーチェーン店と、天皇陛下の崩御という組み合せは不思議な感覚を抱かせるし、当時ロッテリアにいた人々の、真摯な事件への向き合い方を思うと、天皇陛下への崇敬の念というものが、昭和末に至ってもいかに強かったかということを感じさせられる。こういう疑問を書くこと自体憚られる感はあるが、今後、このような光景がハンバーガーチェーン店で見られることが有り得るだろうか。平成の三十年間で、日本人の価値観というものも大きく変化し、且つ多様化したことを思えば。
以前にも書いたことであるが、平成九年生れの私は、まだ平成以外の時代を知らない。先日、明治三十六年生れのお婆さんが世界最長寿のギネス認定を受けたというニュースがあった。現在百十六歳のこのお婆さんは、四つの時代を生き、しかもあと僅かで、五つ目の時代に足を踏み入れるわけである。その間にいかに多くの出来事があり、多くの人々が生れては亡くなったかを思うと、その長い年月の凄まじさに圧倒される思いがする。
私が百十六歳まで生きるとすると、何と西暦二一一三年まで生きるということになる。流石にそこまで生きられるという自信はないが、医療技術が発達し充分な栄養が摂れる今の時代ならば、もしかしたら有り得るかもしれないという思いもある。二十二世紀が始まってから更に十二年も生きることができたらと考えると、何か期待感のようなものを感じさせられもする。その時代がどのようなものなのか、今の時点ではまだ想像もつかないが、現代と変らない多くの暗い問題が残っている一方で、私たちが思い付きもしなかった、素晴らしいものが多く生み出されてもいるのだろうと思う。未来というものに、そんな期待を抱いてみるのもいいことではないだろうか。
同じように平成の次の時代にも、多くの人々が漠然と、これまでとは別の時代としたい、という期待感を抱いているだろうと思う。何しろ平成の三十年間は、「失われた三十年」とも言われる、ひどい不景気と閉塞感の時代でもあったのだから。
数日後には新元号を知ることになると思うと、何か不思議な感じがする。その頃には私は故郷の静岡に帰っているから、そこで知ることになるであろう。何故帰るのかといえば就職活動のためで、私はこの春に大学四年生となる。余りこれについて長々と書くと元号の話題からは逸れてしまうので省略するが、時代の区切り目をこんな形で迎えた私たちの世代は、平成最後の数年間を、自分たちの青春として生涯思い返すこととなるのであろう。そう思うと改めて、平成という時代への惜別の念を感じもする。
以上、新元号発表前の自分の心持をふと記録しておきたくなり、思うままに書き記してみた。新たなる年号と時代が良いものとなることを、今はただ祈りたいと思う。(平成三十一年三月)
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