口角を上げる

 世の中には、人の表情から勝手な邪推を繰り広げる人間というのが大勢いるもので、非常に面倒に感じることが屢々である。
 例えば私のバイト先の四十代ほどの男であるが、事ある毎に人に睨まれていると感じるらしい。或るとき従業員の女性の一人が、何か彼に質問をして、男はそれはどうだったっけなどと言いながら他の人間に尋ねたりなどしていたのだが、やがて答えながら振り向くと、苦笑い混じりに「何で睨んでんの」とその女性に言った。
「え、睨んでないです」と女性は驚いた表情で返したのだが、「早く答えろよ、って顔してた」などと男は尚も言い、女性は仕方なく、口をつぐむほかない様子であった。
 実は私も以前、この男にあれこれ細かい説教じみた指導を受けた後「睨まなくたっていいじゃん」と、このときと同じ半笑いで言われたことがあった。尤も、このときは私も相当に苛々していたので、そんな感情を抱いて相手を見つめたそのときの視線は、睨むと言うに相当するものであったかもしれないが。ともかくこの気の毒な女性を見て、この男は表情に注意を払いながら接さねばならぬ種の人間であるらしいということは呑み込めてきた。
 しかしこうした人間の都合に合せるというわけではないにせよ、相手から見ていい印象を抱かせるに越したことはない。私はどうも表情を制禦するのが苦手であるらしく、自分が意図していたのとは異なる印象を与えてしまうことがよくあるようである。そのため、随分と前から無愛想な印象などは抱かれぬよう注意してはいるのだが、どうも先述の男のような妙に敏感な相手と対することとなると厄介である。
 これは余談であるが、そのくせこの男は非常に言葉をぞんざいに扱うので、不愉快な思いをさせられることが折に触れてある。恐らくあの女性も、一再ならずそういう思いはしているものと思われる。相手の表情や態度に敏感な人間が、他人に繊細な配慮を以て接するとは限らないようだ。この男の場合、自分が相手に睨まれるに値するような態度をとっているという無意識の自覚があるために、あのようになっているのかもしれないが……これ以上は本題から外れるのでやめておこう。
 さて、そんなことを考えていた矢先、大学の我がサークルに一人の女子が入ってきたのであるが、見ると彼女はいつも口角を僅かに上げて、にこやかな柔らかい表情を浮べている。その表情の作り方や雰囲気が高校時代の某教師と似ていたのでふと思い出したのだが、確かに世の中にはこうした表情を常に保っている人が大勢いる。所謂「外向けの表情」なのかもしれないが、与えられる印象は確かに非常に好ましく、安心させられるものがある。試しに真似をしてみるのも悪くはなさそうだと、以来思って実践してみている。
 以前何かの文章で、人は笑顔でいると不幸なことを考えにくい仕組になっている、と読んだことがある。科学的根拠があるものなのかどうかはよくわからぬが、そう言われてみると、笑顔を浮べた状態で陰惨なことを考えるのは、中々難しいように思えないこともない。口角を上げ相手にいい印象を与えると同時に、否定的な感情を抑制できるとすれば、正に一石二鳥であるが、果して上手くいくものであろうか。(令和元年五月)

#日記 #エッセイ #随筆 #表情

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