東京と後輩たちに思う

 最近は就職活動のために、静岡と東京とを幾度も往復する生活を送っている。大学では既に大方の単位も取り終え、あとは残り僅かな単位と卒業論文とをこなして卒業するのみということになってはいるが、愈々大学生活も最後の一年間に差し掛かってしまったのだということを思うと、不思議な寂しさを覚えもする。
 就活を始めれば、これまでは漠然としていた自分の、社会人となった未来像なるものも徐々に明瞭になってき、地元のまともに食事をする場所もないほどに寂れた商店街を歩きつつ、ここで生涯を過ごすことになるのかと思うと、都会での学生生活というものがいかに恵まれたものであるのか、改めてつくづくと感じさせられる。地元での就職を選んだのは自分の判断であり、この方針を変えるつもりはないにせよ、やはり東京の華やかさ、学生という存在の瑞々しさは、強く私の心を惹き付ける。
 東京一極集中が叫ばれて久しく、私が静岡へ戻るつもりであるのも人口の減り続ける地元に貢献したいとの思いのためでもあるのだが、やはり地元に戻ってきてみると、若者たちが東京に憧憬を抱き、目指すのも、余りにも当然のことであるというのがよくわかる。タクシー事務所のほかには何一つとしてない駅前、本数も少なく不便なバス、シャッター通りと化した商店街、老人がぽつりぽつりと歩くだけの通り……。一度都会へ出た学生がここへ戻ってくるのには、相当な動機が伴っていなければならないだろう。
 そんな街から東京へ戻ってきてみれば、若々しくお洒落な人々が街を闊歩し、魅力的な店が通りに並び、電車でどこへでも便利に移動することができる。東京が、危険なまでに魅力的な都市であることに疑いはない。そして大学へ行けば、そこはまばゆいほどに未来に満ちた学生たちの楽園である。
 先日、大学のサークルで新入生たちを歓迎する催しが開かれ、私も参加した。数えてみれば今年は、初めて二十一世紀生れが大学に進学してくる年である。最早高校生以下は全員が二十一世紀生れであるわけで、時代も最早そこまで来たのかと、老人のように思わずにはいられなかった。……それにしても後輩というのは可愛いものだと、この年になると深く思う。何が私にそう思わせるのだろう? 彼らの背後に見えるまばゆい未来だろうか、それとも先輩である私に見せるあの純朴さか? 彼らとて私が同輩乃至は後輩であったならば全然違う人間として見えてくるであろうし、どの辺りを充分に考慮しつつ接さなければならないだろうとは思うが……。
 後輩たちに感じる魅力は、私の中では東京という都市の魅力と、渾然一体となっている。どちらも余りにまばゆく、若々しい。そして、いつまでもそこに留まっていることができないという点でも共通している。
 畢竟、私は東京という都市に住むことにこそ躊躇しているが、東京の魅力から逃れることは最早できないのであろう。大学の友人の殆どは卒業後も東京近辺に居続けるわけであるし、この混沌とした「何でもある」都市の、正に「危険なまでの魅力」が、私を放そうとすることはないであろうと思われる。今からでさえ私は、実家の最寄駅から東京までの所要時間を測り、月に何度上京ができるだろうかと考えているほどなのである。成人式のときに会った同窓の女子は、今月は三度も東京へ行ってしまったなどと、それでも嬉しそうに零していたが……。
 もう少しで、平成時代も幕を閉じる。残された学生としての一年間を、可能な限り有効に過ごしていくことが、私にとって重要であろう。(平成三十一年四月)

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