マイクロフィルムの向うに

 東京とその近隣に住むということの大きな利点の一つに、国立国会図書館に行けることが挙げられると私は思う。日本国内で出版された出版物ならば、ほぼ例外なくここで読むことができるのだから、正に知識の殿堂とでも言うべき場所であろう。
 大学二年生のときに入館カードを作って以来、私も幾度となく永田町にまで足を運び、国会図書館で知りたいことなどを調べたりしているのだが、好きなだけ好奇心を満たすことのできるこの場所は本当に素晴らしく、数時間などあっという間に過ぎ去ってしまう。
 資料は多くがデジタル化され、データベースとして館内のパソコンで閲覧することができるのだが、それを見るだけでも実に楽しいものだ。例えば或る作家の名前を検索すると、彼の処女作が載った文芸誌から、その作家の最後の作品、そして追悼記事までがずらりと目の前に並べられる。その様は正に壮観であり、紙面からありありと感じられるその時代の息吹に、人の一生というものに思いを馳せずにはいられなくなる。
 そんな国会図書館で先日、初めてマイクロフィルム資料というものを閲覧した。大方の人は知っておられることと思うが、これは劣化しやすい新聞や雑誌などの資料を、撮影しフィルムにまとめたものであり、マイクロフィルムリーダーというものを用いて閲覧する。
 閲覧したのは『文章倶楽部』や『改造』『新潮』などの昔の文芸誌で、或る作家の作品を確認するために利用した。更に後日、この作家が当選した懸賞小説の載っている『万朝報』も閲覧した。大正時代に活躍したこの作家は昭和に入ると間もなく夭折したので、閲覧したのはどれも大正時代、今から百年近くも前の記事であった。
 館内パソコンから申し込んだ二つの資料が到着し、受付でマイクロフィルムを受け取ると、片方は箱に入った、ロール型のフィルムであったが、もう一方は透明のビニールのケースに入れられた、平らなフィルムであった。それが封筒のような紙の袋に更に小分けされ、約一年分ほど、ビニールケースにどっさりと収められている。
 マイクロリーダーの脇に置かれているマニュアルによって知ったのだが、これはマイクロフィッシュという名のフィルムであり、ロールフィルムとは異なるらしい。マイクロリーダーは既にデジタル化されており、パソコンに附属する、プリンターやスキャナーのような機械となっている。スクリーンに映して閲覧する、昔ながらのリーダーも置かれていたのだが、大部分はモニターで閲覧する型のものとなっており、印刷もしたかったので、こちらを利用することにした。
 確認してみると、マイクロフィッシュは細切れにしたフィルムを横向きに並べて一枚にしたようなもので、マニュアルによると右上乃至は左上から始まり、下へと向って見ていくものだという。モニターの設定を終え、リーダーの硝子板にフィルムを挾むと、画面に紙面が大写しになった。
 フィルムの袋には、「元資料の劣化のため、不鮮明な箇所がある場合があります」と記されている。確かにその通り、大正時代の文芸誌はその汚れもそのままにフィルムに記録されており――撮影がいつかは不明だが、今からはもう百年も前の紙面だ――それがまた、この書物が作られた時代と、私たちのいる現代とを隔てる、厚い歴史の重みを私に感じさせた。紙面には多くの人々の名前があり、自分たちが生きている時代を、それぞれの文章で表現したり評したりしている。しかしもう、この内で今も尚生きているものは誰もいないのだ。全ては百年の年月の彼方へ去ってしまった。……
 後日閲覧した『万朝報』は、マイクロフィッシュではなくロールフィルムであった。これを閲覧するには、マイクロリーダーに附属している二つの輪の内の片方にフィルムを嵌め込み、その端を伸ばしてもう片方の輪の切れ目に插し込む。あとは把手を廻せば、進んだり戻ったりしながら、順々に閲覧していくことができるのだが、回転するフィルムが映し出された画面は、さながら古い映画か、走馬燈のようだった。墜落した外国人飛行士の記事、自死した美女の記事――当時の新聞はこういう時、美女であることを強調して書き立てていたようだ――……そして募集広告欄には、苦学生募集、女中募集、そんな時代がかった文句が並んでいる。そしてその全ては今や古び、歴史の仲間入りをして、フィルムの中に静かに眠っているのだった。
 いつか自分たちも遠い未来、こんな風にして眺められる時が来るのだろう、そんなことをふと私は思った。これほどに今、生き生きとして自分の周囲に躍動しているこの時代も、やがて生き証人の死に絶える日がやってくる。そして記録された資料だけが残り、マイクロフィルムの向うに、古ぼけた遠い時代として、眺められる日がやってくるのだろうと……。(平成三十一年二月)

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