なぜ非術師は「猿」なのか
週刊少年ジャンプで連載中の「呪術廻戦」の世界線をお借りし、生きやすくなるマインドや考え方を書ければいいなと思っています。
この先、呪術廻戦の内容を含みます。
なぜ夏油傑は非術師を「猿」呼ばわりしたのか
高専時代、「いいかい悟、呪術は非術師を守るためにある」(呪術廻戦65話より引用)と言い切っていた夏油傑。
その彼が、非術師のことを「猿」と表現し蔑んだ目で見て、最終的に呪術師だけの世界を作ると、一般人に手にかけるようになっていきます。
夏油は「呪術も使えない猿どもめ」と非術師を一掃・鏖殺することを掲げ離反しましたが、その背景には、呪いを生まない術師が呪いを生む非術師を助けるために命を落としていく不条理と理不尽さに心を痛め耐えることができなくなったからです。
呪力と術式、感情と肉体
なぜ、呪術師からは呪いは生まれないのでしょう。
呪術師が扱う呪力とは負のエネルギーそのもの。
怒りや悲しみの感情と言えば分かりやすいでしょうか。
呪術師はこの負の感情を徹底的にコントロールして呪力を扱う訓練をしています。
負の感情を余すことなく呪力として放出し、呪いが具現化したもの「呪霊」を祓う必要があるからです。
言い換えると、自分の中に生まれた負の感情は自分のコントロールで全て呪霊を祓うためだけに使われる。
自分の感情を自分で消化していることになります。
その消化する行為が、自らの術式に呪力を流すという過程です。
五条が虎杖に呪力と術式の違いを説明した際、
呪力は電気、術式は家電と例えました。
電気は家電に流して初めて電気としての能力を発揮します。
電気のみだと使い勝手が悪く、人を感電させる危険性もあります。
電気=感情、家電=自分の肉体だと思ってもらえるとわかりやすいと思います。
感情のみでは使い勝手が悪い、湧き上がった感情を自分の肉体に流し活力に変える。
こうして初めて感情が機能します。
「感情」は他者に共有できない
感情は目に見えないものです。その人の思いです。
実は、「感情」は他者に共有できないものであり(一番できそうではあるのに)、自分にしか分からないもの。
自分でしか消化することができず、他者にその消化を委ねることができません。
自分の呪力を他者の術式に流すことができないのと同じです。
自分で消化せずに撒き散らすと周りに迷惑が掛かるものなのです。
電気がそのままの状態だと感電する危険があるのと同じです。
この感情を周りに撒き散らすという行為が、呪いを種を撒き散らすのと同義なのです。
「私の気持ち分かってよ!」とか、
「なんで私の気持ちは分かってもらえないの?」という言葉はよく聞きますが、
他者はあなたの気持ち(感情)は理解することができないのです。
逆も然りで、あなたは他者の気持ちを分かってあげることができません。
自分が経験をしたことのある感情と照らし合わせて、おそらくこういうことだろうという推測はできるかもしれません。
この感情を撒き散らし呪いを生む行為が非術師によってなされ、それによって徹底した感情コントロールにより呪いを生まない呪術師が犠牲になる世界。
それを「猿」同然だと夏油傑は言いたかったのかもしれません。
比較やないものねだりも要注意
相手に感情を直接ぶつけなくとも、
「あの人に比べて私は…」だとか、
「あの人にはあって、私にはなぜないんだろう」という他者と比較して生まれる感情やないものねだり、妬み嫉妬も負のエネルギーを自分から外側へ漏らしている状況になります。
「あの人は私のことどう思っているんだろう?」
「何か気に障ることをしてしまったかな」
と過剰に他者に敏感になる行為も含まれます。
じわじわと電気が漏電している状態が危険なことは誰しも想像がつきます。
それが人の肉体と感情でも起こるのです。
次回予告「呪いを生まない生活」
感情は呪力であり、感情を外へ撒き散らす・漏らす行為は呪いを生む可能性があるというお話をしました。
次回では「呪いを生まない生活」について書きたいと思います。
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