呪術廻戦 261話を読んで

2024年5月27日 ジャンプ掲載の内容です。
コミックス・アニメ派の方はここでUターンをお願いします。


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五条悟の復活を心から望んでいた私ですが、この形は想定はしていたものの、実際目の当たりにすると辛すぎるものがあります。

しかし、器(肉体)と魂はイコールであってほしいというのは、人間のエゴなのかもしれない。
この事実を辛いと感じる感情も、すごく人間的な感覚なのだなと。
その器が息をして動いているという奇跡に喜ぶべきなのかもしれない。
そもそも生まれてきた時点で、器と魂がイコールである保証もない。ジェンダーが一致していない人がいるように、何か乖離して生まれてくることはある。
もしかしたら、今存在している私たちもイコールなようでイコールではないのかもしれない。

高専側で、五条の肉体に適応し得る魂を持っているのは乙骨だけだと思います。
同じ特級であるいうことも重要なのだと思います。
五条の呪力や術式を扱えるだけの魂であること。

それにしても乙骨のように死を考えるほどどん底を経験している人間は、こんなにも潔く自分の器すらも捨てられるのか。
自分の肉体への執着心ほど当たり前に存在しているものはありません。
この地球では、肉体という器がなければ生命活動ができませんから。
とてもじゃないけど、簡単には理解できない領域です。

昔から、歴史・政治等において、「すり替わる」現象は起こっていたと思います。
本当は死んでいるのに、生きているように見せたり、歴史上何百年も生きた記録がある人は、伝説ではなく本当に器を転々としていたのかもしれない。
他人の真似をするということを超えて、本当に魂や脳の構造を入れ替えることをしていたのだとしたら。それが外科的な手法を使わなくても、エネルギー上の目に見えない領域で行えたとしたら。
真実が何であるかなんて重要ではないのかもしれません。

今の自分すら、器と魂が一致しているかどうかなんて分からない。
分からないものをぐるぐる考えるほど無駄なこともない。
だとしたら、今の自分の器と魂をサレンダーして受け入れるしかない。
今後変わるかもしれないけど現状の自分はこれだと受け入れるしかない。
その上で、この肉体と魂をどう使って生きていきたいかを私たちは問われているのだと思います。

脱線しましたが、261話を読んで、肉体と魂が一致しているかどうかも当たり前ではないことに気付けたので、記録しておきます。

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