潜る、潜る
#あの失敗があったから
何か書こうと思った。
いろいろ考えた。そしてこう思った。
この題材を見たとき、すぐにエピソードがポンと出てきた人のみがこのハッシュタグを使う資格があるのではなかろうか。
あいにく、僕はそっち側の人間ではなかった。
そんな人ならスラスラと文字が出てくるだろう、おそらくそのエピソードは人生にとって大きな意味をなす出来事であったであろうから。
「私、失敗しないんで」とどこかの医者が言っていた。僕は自身がそんな人間であると自負しているわけでもなかった。
失敗は誰とだって日々巡り合わせで、ぼくの生きてきた20年の人生のうちにも多くの失敗との出会いがあったんだろう。が、普段は忘れている、思い出せない、もしくは思い出さないようにしているようだ。
「失敗」は不思議な言葉で、ポジティブとネガティブを秘めている。
失敗した当時はネガティブと思えても、後々にポジティブになることが多い。
それを「失敗は成功のもと」と人は表現したのではないだろうか。
では、いつこのネガティブからポジティブへの変換はおこるのであろうか。
——それは、黒歴史が語られる時である。
なかったことにしたい、あるいはなかったことにされている過去の事象を指す日本語として定着しつつある
——wikipedia「黒歴史」より
失敗をネガティブに捉えると、黒歴史に成り下がる場合が多い。
一方、失敗をポジティブに捉えると、笑い話へと昇華されることが多い。
黒歴史を語る時、深刻に語る人はほとんどいないだろう。
僕の好きなyoutuerは街角で黒歴史インタビューを行っているときがあるのだが、語り手・聞き手ともに楽しそうであった(もちろん僕も)。
語りたくないような失敗、黒歴史を笑い話にまで昇華し、エンターテイメント性を持たせる。その時初めて、語り手にとってその失敗はネガティブからポジティブへと変換される。もはや黒歴史はそこには存在しない。
ここで1つ注意しなければならないことがある。
「間違い」と「失敗」は混同してはならない。
「間違い」とは、正しくないことをしてしまうことです。
「失敗」とは、成功しなかったということです。
——「贈る言葉情報館」より
「いじめをした」「不倫をした」「虐待をした」
これらは間違いだ。
「受験で落ちた」「道で転んだ」「単位を落とした」
これらは全て失敗だ。
残念ながら、世の中ではしばしば「間違い」を笑い話にしてしまっているケースが散見される。
「間違い」は反省すべきであって、笑うべきものではない。
何が正しいとか正しくないとかを議論すると長くなるので、あえて抽象的なままに置いておき、そこは読者の判断に任せたいと思う。
さて、話を戻そう。
世の中には、大小数々の失敗が存在する。
僕にとっての失敗があなたにとっては、黒歴史か、笑い話かも分からない。とりあえず僕はここにいくつか記して見ようと思う。
黒歴史のバーゲンセールじゃ。
①
ぼくは小さい頃は色白でとっても可愛い男の子だった(自分で言うな)。
5歳頃まで女の子と見間違われるくらいだったそうだ。
きれい好きも相まって、カレーも嫌いという鼻につくガキだったそうだ。
そんな僕も幼稚園という初の社会進出を果たした。
まあ内にはちゃんと男の子もいる、鬼ごっこ、ドッチボール、ケイドロ好きなアクティブな少年だった。泥団子は嫌いだったんだが。
しかしまあ、家では女性モノに興味津々、好きな色はピンクだわ、ピン止め付け出すわ、そんな女性的な内面も兼ね備えていた。
今で言うならジェンダーレス男子ってやつ。でもまあそのときはそんな概念あるはずもなく、男の子は青色、僕も青色に例外なく染められた。
そんなある日、母親の目を盗んで僕はかねてから気になっていたマニキュアを左足の小指にそっと付けてみた。
それは夏の空のように綺麗な、水色だった。
靴下をはいて、誰も知らない秘密を抱えた。
自分だけが知っている、その危険な響きを堪能した。なんてませた少年だろう。
しかし秘密はある日、おわりを告げた。
その日少年の僕はいつものように、走り回り、上り棒のてっぺんめがけてのぼろうとした。
その時、
「あれ、floraくん、マニキュアつけてるの?」
落ちるかと思った。ああ、これが頭が真っ白になるというやつか。
不覚だった、上り棒ごときに僕の秘密がさらされるだなんて。
夏の良く晴れた青空の下、僕の水色の小指の爪はむなしく光を反射していた。
[振り返ろう]
いやー、初めにこの話が思いつくとは思いもしなかった。
失敗した時の頭から血の気が引く感覚、あのときは身をもって体感したね。
これほど先生に憎しみをおぼえたこともなかったんじゃないだろうか(笑)。その頃は「男の子は男の子らしく」が当たり前のように通る世の中で、僕もそれを受け入れていた。だからこそこの失敗から、できる限り「男の子らしく」ふるまおうと、それはそれでたいして苦しくなかったけど、時々出てくる世間とのずれにはちょっと嫌な感じだったな。特に服の好みは明らかに女子ぽいのが好きだったから、高校卒業するまではろくに自分の好きな服を着た覚えがない。大学に入って、世の中で急速にジェンダーレス化が進んでいるのが感じられた。「あ、女子っぽくてもいいんだ」と思った時、ずいぶん解放感があったな。男子でも「可愛い」を求めていい時代になったのは、僕にとってとっても素敵な世界だなと思ったのでした。
②
高校の時、修学旅行に東南アジアへ行った。
その頃はまっていたスマホゲームがあったので、海外でもかなりやりこんでいた。
食事の時、ゲームをしていたら「おい」という声が聞こえた。
気づかぬふりをしつつ、ゲームを続けていた。するともう一度、肩をつかまれ「おい」と言われた。そこには滅多に怒らない先生が、確かにぼくに怒りの色に染まった目を向けていた。それ以上何も言われなったが、僕はすべて分かった。やってしまったなというやるせなさが熱帯特有の熱さと相まって、僕にずしりとのしかかった。
[振り返ろう]
すごい恥ずかしさを感じた経験で、隣にいた人、周りの景色、食べていたものなどが写真のように強烈に残っている。海外という非日常でスマホを見ている、それがどれだけ悲しいことか。未経験を経験として享受する、そのために非日常ではできる限りスマホに触らないようにしようと決心したのはこの日があったからだな。先生、感謝だ。もう一度会ってお話ししたい。
③
ノリでサークルに入った。
[振り返ろう]
いやあ、どシンプル。まあ良くも悪くもノリは大学生の特権。ただし、サークル選び(コミュニティ選び)は違う。大学は思っているほどコミュニティが広くない。たいていの人は学科、バイト、サークルの3本柱ではないだろうか。コミュニティ拡大や人脈に自信がないなら、この3つのコミュニティ選びには慎重になるべきだと思った。学科は大学に入った時点である程度の運要素(男女比以外(笑))。ただバイトとサークルは前もって確認する機会がある。判断基準と観察眼が物を言う。鋭く、僅かな違和感を見逃さないようにしよう。僕が個人的に思ったこと、一生の親友になりたい人がいる、もしくは4年間をそのサークル活動にささげれる、この2点どちらかがそろっているなら一度入る価値はあると思う。最初が勝負だ、チャンスは一度しかないと思っていた方がいい。一度形成されたコミュニティへの門を開くのは骨が折れるぞ。
④
終電間際、笑顔で先輩に一言告げる。
「今までありがとうございました」
連絡先聞いとけばよかった、いや聞かなくて良かった。
クルクル回る思考と酔い。
[振り返ろう]
機会を失ってから敗北した気分になる。不戦敗。
まさに失敗だな。
昔は連絡先も容易に交換できなかった時代、今より一期一会を感じたのではないだろうか。だからこそ久しぶりに知人に会ったとき、ひとしおに嬉しかったに違いない。
今では容易にInstgram、LINE、Twitter、その他様々なツールで繋がることが出来るし、まったく消息が確認できない友人は滅多にいないだろう。それは死も同然。あながち間違いではないかもしれない。
友人と連絡先を1つも交換しない、そんなこと失敗だ。
だけどそんなことあったって、いいじゃないか。強がりに聞こえるかもしれないけれど、2度目の一期一会を願う。なんだか、いやにロマンチックじゃないでしょうか。
⑤
学生時代に力をいれたこと、通称ガクチカ。
さていまから何に力をいれようか。
[振り返ろう]
まさに今の、率直ななやみ。大学において、誇れるようなことはしてない。
これは失敗なのか、どうなのか。その判断も下せない。
いやあ、これって人生だな。
そんな中たどりついたあほらしい、でも案外、的を得ている気がする結論。
これについては、別途書きたいと思っている。
どうだろう、楽しんでもらえただろうか。
些細な日常の失敗(黒歴史?)を拾ってきたんだが、まあ自分で自分の痛いとこをついていて、なかなかハード!しんどい!疲れた!
思い出のアルバム、いいものばかり拾っていないで、たまには汚い部分にもふれてみてはいかが?
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