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ジンくん『The Astronaut』と星の王子さま 備忘録

「いちばんたいせつなことは、目に見えない」

『星の王子さま』p.108

 大変よく知られている言葉です。出典はもちろん、サン=テグジュペリの著した小説『星の王子さま』。

 この小説の本質を言い表す言葉として非常に有名なのですが、そのあとの一節は案外知られていないような気がします。

「きみは忘れちゃいけない。きみは、なつかせたもの、絆を結んだものには、永遠に責任を持つんだ。きみは、きみのバラに、責任がある……」

『星の王子さま』p.109

 責任、というこの一語は、サン=テグジュペリの思想の最も重要な一部分をなします。それは彼のエッセイ、『人間の土地』を読めばわかります。

 ジンくんの「The Astronaut」のMVを見たとき、私の脳裏に浮かんだのはこの責任、という言葉でした。

王子さまと〈ぼく〉

 真面目な文体疲れちゃったからここからは雑に書こうかな。苦手なんですよね堅苦しいの。

 というわけで以下はいつも通りただの備忘録です。真面目な考察が読みたい方はすみません、これが私のスタイルなので……

 とりあえずティザーを貼っておきます。ワッ サムネのお顔がかわいい~! これだけでテンション上がっちゃいますね。

 映っているのはヘルメットを傍らに三角座りする(かわいい)ジンくんと、炎上する宇宙船。

 いや墜落しとるやないか。

 みなさん思いませんでした? 私は思った。おもくそ墜落しとる。このサイズのものが大気圏外から飛来したらおそらく周辺の土地は無事ではないと思うのですが……メチャ軽い金属とか使ってるのかな。地球にはない感じの。

 同時に思ったのが、星の王子さまみたい、ということです。この思考にはふたつの意味が内包されています。ひとつ目は「小さな王子さまみたい」という考え、そしてもうひとつは「〈ぼく〉みたい」という考えです。

 宇宙からやって来た異邦人という意味では、この宇宙飛行士(ジンくん)は『星の王子さま』に出てくる小さな王子さまみたいでした。誰もいない広大な土地で膝を抱えている姿は、初めて砂漠に降り立った王子さまに重なるように思えます。

 あるいは、不時着したという意味では『星の王子さま』の語り手、〈ぼく〉のようでもあります。〈ぼく〉は飛行機のパイロットです。ジンくんも、宇宙飛行士……ということはパイロットということですよねたぶん。

 だから、この宇宙飛行士はまるで小さな王子さまのようでもあるし、王子さまと出会う〈ぼく〉のようでもある。そう思いました。


 この曲が、というかMVが、本当に星の王子さまをモチーフにしているかどうかはわかりません。けれどネット上でそういった説がささやかれているのは事実です。それはMAP OF THE SOUL ON:Eコンサートでジンくんが披露したソロ曲、『Moon』が星の王子さまをモチーフにしたものであったという過去がひとつの理由となっているようです。

 ネットで流布していることが正しいとは言えません。間違えていることのほうがずっと多いです。ただその見解が誰かを害するものでないかぎりは、考えてみるのは自由です。

 以下では、つらつらとこのMVに見える星の王子さま要素について考えてみようと思います。


 そもそも王子さまとは何なのか。モデルはいるのか。これはいくつか説があります。説というか解釈ですよね。要するに作者のサンテックス(サン=テグジュペリっていちいち打つのめんどくなっちゃったからもうニックネームで書いちゃお)は正解を明らかにしていません。

 〈ぼく〉に関しては、砂漠に不時着して奇跡的に生還する、というエピソードがサンテックスと被ることからおそらく作者自身がモデルなのだろう――というのが通説になっています。

 では王子さまとは? 主な解釈は(私の知る限り)みっつです。ひとつはサンテックスが16歳のときにリウマチで亡くなった2歳年下の弟がモデルになっているという説。ふたつ目は、列車の中でたまたま見かけた美しいポーランド人の少年がモデルだという説。もうひとつは、幼いころのサンテックス――アントワーヌと呼んだほうがいいでしょうか、彼自身がモデルである、という説です。

 ふたつ目の説は今なんかあんま関係ない気がするな。ひとつ目の説については後で触れます。今問題にしたいのはみっつ目。王子さまのモデルが幼いころのアントワーヌ、サン=テグジュペリであるなら、〈ぼく〉と王子さまは同一人物であるということになります。

 とすると、宇宙からやって来て人間の土地に不時着した宇宙飛行士は、王子さまであり、同時に〈ぼく〉でもある、と言えるかもしれません。

 もちろんぜ~んぶ仮定の話なんですけど。


待っていてくれるあの数々の目

 『星の王子さま』のストーリーはむずかしくはありません。自分の星でバラと喧嘩をした王子さまが、様々な星を放浪し、地球に辿り着き、最後にはバラのもとへ戻る(戻ろうとする)お話です。

 この、「戻る」という行為が大きな意味を持っています。なぜ王子さまはバラのもとへ戻るのか。その理由を王子さまは以下のように説明しています。

「ぼくはあの花に責任があるんだ」

『星の王子さま』p.137

 この「責任」という言葉は、同じ作者の著したエッセイ、『人間の土地』でも繰り返されます。

人間であるということは、とりもなおさず責任をもつことだ。

『人間の土地』p.63

 これは、サンテックスの僚友ギヨメがアンデス山中で遭難したのちに生還したエピソードを振り返って書かれた言葉です。サンテックスは言います。

彼の偉大さは、自分に責任を感ずるところにある。自分に対する、郵便物に対する、待っている僚友たちに対する責任、彼はその手中に彼らの歓喜も、彼らの悲嘆も握っていた。

『人間の土地』p.63

 またギヨメ自身は、死と隣り合わせのアンデス山中で自らを駆り立てたものについてこう説明したと言います。

ぼくも眠りたかった。だがぼくは、自分に言い聞かせた、ぼくの妻がもし、ぼくがまだ生きているものだと思っているとしたら、必ず、ぼくが歩いていると信じているに相違ない。ぼくの僚友たちも、ぼくが歩いていると信じている。みんながぼくを信頼していてくれるのだ。それなのに歩いていなかったりしたら、ぼくは意気地なしだということになる

『人間の土地』p.57

 念押しでもうひとつ引用しとこうかな。以下はサンテックス本人がリビア砂漠に不時着して死を覚悟したときの言葉です。

――ぼくが泣いているのは、自分のことやなんかじゃないよ……」(中略)そうだ、そうなのだ。耐えがたいのはじつはこれだ。待っていてくれる、あの数々の目が見えるたび、僕は火傷のような痛さを感じる。すぐさま起き上がってまっしぐらに前方へ走り出したい衝動に駆られる。

『人間の土地』pp.182-183

 めちゃはっきり書いてますよね。王子さまは、ギヨメは、サンテックスは、待ってくれている人に対して責任があるから戻るんです。

 人はすべてのものに責任がある、というのがサンテックスの考えです。とりもなおさず、自らが絆を結んだものに対しては大きな責任が。彼らが待っていてくれるのならば、信じていてくれるのならば、なんとしても戻らねばならない。それが『星の王子さま』の根幹に流れている考えです。

 星の王子さまの話はひとまず置いて(長……)、The AstronautのMVに戻りたいと思います。

 ワッまたお顔がカワイイ~!! あっすみません。MVのリンク貼るの忘れてたので今貼りました。行き当たりばったりで書いとるので……。

 MVのストーリーは、地球に不時着した宇宙飛行士が、愛する人たちのいる地球に残る決心をする……というもの。これはジンくんの口から直接語られたことなので間違いなさそうです。

 ただMVを見てみると、この「残る」という選択が同時に「戻る」という選択でもあったことがわかります。

 宇宙から迎えが来た(?)ことを察して宇宙飛行士は一度は宇宙船のもとへと駆けつけてます。チャリで来たを地でやっててしびれちゃうな。

 このとき、宇宙飛行士は女の子(宇宙飛行士が地球で出会った愛する人)に自らのヘルメットを手渡しています。いくつか解釈はできますが、私は「これから自分はいなくなるから自分の代わりにこれが彼女を守ってくれるように」という意味合いだったのでは……と思います。

 要するに宇宙飛行士は、一度は地球を去ることを考えたのではないかと思うんです。でもそうはしなかった。彼は「地球に残る=愛する人々のもとへ戻る」決意をした。

 私はなんだかこれが、星の王子さまやサンテックスと被るような気がするんです。

 気がするだけなのでまったく関係ないかも。でももしそうだとしたら、このMVにもうひとつの意味が浮かび上がってくるように思えます。

 それは宇宙飛行士ではなくジンくん自身のことです。早い話が、この曲は「兄弟たちやファンのもとへ戻ってくる、というジンくんの約束」を表しているのでは、と。

 都合のいい解釈ですかね。でもそう考えたいんです。それは責任、という言葉がジンくんにあまりに似合うからかもしれません。

 グループの長男として、様々な責任を背負い込んできた人のように思えます。それはときに悲しいことでもありますが、しかし人柄なのだとも感じます。だからジンくんが私たちファンに責任を感じてくれているのなら、悲観するのではなく享受するべきなのだと私は思います。

 何故と言えば、それはサンテックスの言葉で言えば「ジンくんとファンが絆を結んだから」に他ならないので。

 そしてそれは、私たちファンもジンくんに対して責任がある、ということなのかもしれません。私たちの責任の果たし方ってなんだろう。ひょっとすると、「信じ続ける」ことだったりするのかな。

 ギヨメは言っています。「みんながぼくを信頼していてくれるのだ。それなのに歩いていなかったりしたら、ぼくは意気地なしだということになる」

 ファンのするべきことは、待つこと、信じ続けること。なのかもしれない。わかんないですけど。


小さな王子さま

 ネットでよく考察されていることのひとつに、MVに登場する女の子は何の象徴なのか? というのがあります。何だろうね。わかんないですね。でも私は、「愛する人々」の統合体なのかな~と勝手に考えています。

 それはメンバーであり、ARMYであり、彼に携わった人々――たとえば今回のクリスさんのような――であり、あるいは彼自身であるのかもしれません。

 始めにこのMVを見たとき、ああこの少女も王子さまのようだな、と思いました。宇宙飛行士が〈ぼく〉なのだとすると、〈ぼく〉が不時着した土地で出会うかけがえのない子どもといえば王子さまをおいてほかにいません。王子さまのモデルは、前述したようにサンテックスの弟、もしくは幼いサンテックス自身と言われています。

 あるいはこの少女はバラかもしれない、とも思いました。『星の王子さま』に登場するバラのモデルは(諸説ありますが)サンテックスの妻、コンスエロだろうと言われています。つまりサンテックスの愛する人、です。

 王子さまのようにも、バラのようにも見える少女。だとすると、その本質は宇宙飛行士の弟でもあり、幼いころの宇宙飛行士自身でもあり、また愛する人でもある。

 意味をひとつに絞る必要はないように思います、というかできませんし。たとえジンくんの中に確固たる正解があるのだとしても、それを確実に言い当てることは私たちにはできません。ならばいろいろな可能性を吟味するのが、私たちなりの楽しみ方だと思います。


なにをさがしているのか

 MVの終盤、ヒッチハイクしようとする宇宙飛行士を無視して通り過ぎる二台の車があります。無視されて脚蹴りあげるジンくんかわいい~

 これは何かの暗喩なんでしょうか。私はなんとなく、『星の王子さま』に出てくる列車のエピソードを思い出しました。

 王子さまが、行き交う列車を見て大人たちを悲しく思う場面です。大人たちは自分のいるところにけっして満足できない。せわしなく通り過ぎてゆくけれど、彼らはなにも追いかけてはいないし、なにをさがしているのかもわかっていない。

 宇宙飛行士(あるいはジンくん)も最初はわかっていなかったんでしょうか。

목적지 없이 흘러가는 저 소행성처럼
나도 그저 떠내려가고 있었어
目的地もなく 流れていくあの小惑星のように
僕も流れてただけだった

 The Astronautの歌詞です。これが二番では以下のように変わります。

어두운 길을 비춰주는 저 은하수처럼
너는 나를 향해 빛나고 있었어
어둠 속에 찾은 단 하나의 빛
너에게 향하는 나의 길
暗い道を照らしてくれる あの銀河のように
君は僕に向かって輝いていた
暗闇の中で見つけた たったひとつの光
君へと向かう 僕の道

 〈君〉に出会って〈僕〉は目的地を見つけられた。満足のできる居場所を得られた。そんなふうに捉えられます。

 宇宙を当てもなく放浪していたのは王子さまも一緒です。けれど王子さまも最後にはバラという目的地を見つけます。なんだかここでも宇宙飛行士(ジンくん)と王子さまが被るなあ、と思ったり。

 わかんないですけどね、制作側の真意なんて!


きみらはいずれも正しいのだ

 少し話はそれますが、『人間の土地』には次のような一文があります。

愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだと。

『人間の土地』p.243

 有名な言葉ですよね。でもこれは日本ではなんか……こう……恋愛格言として知られているような……そんな印象を受けます。

 実際はちょっと違うんですよね。この一文のすぐあとに続くのは「僚友」についての記述ですし、そもそもこの一文自体スペイン内戦について書かれた章の中に出てきます。

 つまりこの一文は、どうすれば戦争が、争いがなくなるか、異なる考え方の者同士が手を取り合えるかについて言ってるんです。今の言葉を使えば多様性、ダイバーシティについての文言です。

人間と、そのさまざまな欲求を理解するためには、人間を、そのもつ本質的なものによって知るためには、諸君の本然の明らかな相違を、おたがい対立させあってはいけない。そうなのだ、きみらは正しいのだ。きみらはいずれも正しいのだ。

『人間の土地』p.246

なぜ憎みあうのか? ぼくらは同じ地球によって運ばれる連帯責任者だ、同じ船の乗組員だ。新しい総合を生み出すために、各種の文化が対立することはいいことかもしれないが、これがおたがいに憎みあうにいたっては言語道断だ。

『人間の土地』p.251

 これは上述の「愛するということは~」に続く部分です。このnoteを書くために人間の土地を引っぱり出してきて読み直していると、この部分がどうにも胸に刺さりました。

 それはクリス・マーティンさんがアルゼンチン公演でジンくんを紹介したとき、ダイバーシティの大切さを教えてくれたこととつながるように思えたから。

「幸せそうなひとたちに共通するのは、未知のものを怖がらないということ。自分の枠外の人を恐れないこと、話を聞いてみること」
「(BTSとのコラボは)互いの違いを受け入れ、恐れないことの大切さを教えてくれた」

 そしてあるいは、ネット上で見られるアウトタグと、アウトタグを終わらせるために運動している人たちのことを思い浮かべたから、です。

 The Astronautという曲とも、そのMVとも直接かかわりのないこの『人間の土地』の一節を紹介したのは、サンテックスの言葉の真意を多くの人に伝えたいと思ったからです。きみらは正しい、きみらはいずれも正しい。この言葉の優しさを私はむずかしく思います。しかし深く共感もします。相手を否定することからは争いしか生まれないと。

 『The Astronaut』はまさに、クリスさんはじめColdplayとジンくんが「いっしょに同じ方向を見て」できた作品だと思います。

 まあ現実の二人は同じ方向見るというか超見つめ合ってるんですけどね。

 ありがて~。またしてもサムネが天才じゃないですか? グラミーにサムネ部門とかあったら絶対受賞しちゃうじゃんこんなの。たすかるな~ 生活が……。


引用
サン=テグジュペリ(河野万里子訳)『星の王子さま』新潮文庫、2006年。
サン=テグジュペリ(堀口大學約)『人間の土地』新潮文庫、1955年。

歌詞和訳参考

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