ナルシストであれ
ノーベル賞を受賞した科学者が講演でよくこんなことを言う。
「教科書を疑いなさい。偉大な発見はそこから始まる」
あるいは、起業して急成長を遂げた企業の社長も口を揃えてこう言う。
「常識を疑え。それが成功の秘訣だ」
断言する。彼らはみな、超絶ナルシストである。
自分は頭が良いと信じて疑わない連中である。
では僕はそんな彼らの悪口を言うためにこの記事を書いているのか?
真逆である。
僕は、そんな彼らを見習ってナルシストとして生きるべきだ、と言いたいのである。
※なお、僕はナルシストという言葉を、自分の知性や潜在能力に対して圧倒的な自信を持っている人、といった意味で用いている。
その理由を、デカルトを例にとって説明したい。
ルネ・デカルト(1596-1650)
僕はデカルトは人類史上でもかなりのナルシストだと考えている。
デカルトは17世紀フランスの哲学者で、近代哲学の父とも目される極めて偉大な人物だ。
「われ思う、ゆえにわれあり」という言葉はあまりにも有名である。
僕がデカルトはナルシストであると言う理由を今から説明する。
彼は、確実な真理をみつけるための方法として、あらゆるものを疑うことが重要だと説いた。その手法は「方法的懐疑」と呼ばれる。
冒頭に挙げたノーベル賞受賞者や起業家と同じようなことを言っていることがわかると思う。
そしてデカルトは、自分の周りにある森羅万象を疑っても、「疑っている私」だけは残る、と主張した。
ここで立ち止まって考えたいのだが、この発想、「私」に対する圧倒的な自信がないと出てこないのではないか?
世の中に溢れている人や情報をすべて疑ってかかり、何を信じていいかもわからなくなったとき、「疑っている私」の知性だけを信じて生き抜いていく。
これはどう考えてもナルシストの考え方だ。
だから僕はデカルトはナルシストだ、と言うのだ。
そして繰り返しになるが、僕はデカルトのようなナルシストをdisりたいのではない。
むしろ、デカルトの思想は人間の理性に対する信頼度を高め、科学が発展する一端となったと評価されている。
どんな分野においても、その発展に携わった人は自分自身に対する圧倒的な自信が備わっているに違いない。
だから我々も、デカルトを見習ってナルシストになろう。