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カシミアニットとバーストラウマ

私よりもちょっとだけ背の高い友人が、ニットを一枚ゆずってくれた。ルビーのような美しい赤のカシミアニットであった。

身長149cm、5号サイズは決して標準寸法ではない。服の一枚を探すのに埋蔵金を探すくらい苦労する。果たして彼女は、洗濯した際にまんべんなく縮ませてしまったらしく袖丈まで私にぴったりだった。今後とも彼女の卓越した洗濯技術に期待したい。

そんな心優しい友人へのお礼に、セッションをひとつオファーした。

生活の中で大変に不便を強いられているのだと、彼女はそんな状態をひとつまな板にのせた。いらっしゃい。

どんな状態であれどんな症状であれ、その状態を作りだすことで伝えようとしているメッセージがあります。

本当は大切なメッセージを伝えてくれているものだったのだけれども、いかんせん私たちは毎日忙しくて、なかなかゆっくりと話を聞いてあげることもできないまま、気づけばメッセージの聞き取り方を忘れてしまっています。そして痛かったり辛かったりして不便を感じ、その症状を疎ましく思ってしまう。

それはどこでどんな姿で何を伝えようとしているのでしょうね?

Zoomモニターごしに彼女の筋反射をとると、0歳出生時のバーストラウマのようでした。

遠隔で筋反射って最初は不思議だったけども、習得してみれば全然不思議ではなかった。エネルギーってそういうもんだ。

時間とか距離とか関係ない。

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出生ってそれはそれは、大変な出来事なのです。

人は【死】を怖れるけれど、それは無に帰るということや、肉体を失うということがどんなものであるか、生きている間は見当もつかないから。

生まれるということはそして、1つだったお母さんから引き離される体験です。それはぬくぬくとこたつで過ごしていたところを突然、身ぐるみひっぺがされて家から放り出され、冬空に路頭に迷うほどに恐ろしいものでしょう。

当然ながら社会経験なんてゼロの胎児だった私たちは、なすすべもない。

さらに出産というものは、母子ともに生死のぎりぎりのところを彷徨うものでもあります。赤ちゃんだってどうなるかわかんないけども、お母さんだって命がけなのである。

そんな生まれる瞬間の強い恐怖とか悲しさとか切なさとかが、そのまま消化されず続いてしまうのがバーストラウマなんですね。

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さてセッションでは、体の中にあるそのぎゅっと縮こまったエネルギーのかたまりと対話をしてゆきます。一歩ずつ一歩ずつ深く潜ってゆくとそこには、ぱーんと弾ける愛がありました。それは誕生ということへの大きな大きな祝福であり、無事であったことへの喜びであり涙であり、小さな命への熱烈な大歓迎だった。

毎日を当然のように生きていると全然忘れてしまうけども、実は【生まれる】ということそのものが、宇宙の創造主からの愛なのでした。

そして投げ出したくなったとしても、【いま生きている】ということも同じだけ、愛が注がれているものなのでした。

セッションを通して時折こんな、壮大な宇宙のしくみみたいなものが垣間見えます。それはいつだって、驚くほどにまばゆくてそして穏やかです。

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