カルストンライトオ JRA史上最速の韋駄天 2004年スプリンターズステークス
2004年 雨の中のスプリンターズステークス
個性派の、他から抜きん出た特徴をもった馬というのは、なかなか忘れがたいものだ。
2004年スプリンターズステークスの覇者、カルストンライトオはまさしくそんな馬だった。
彼にこそ、韋駄天という二つ名がふさわしい。
カルストンライトオが「JRA史上最速の馬」であったことに異論を差し挟む者は、競馬ファンの中には少ないだろう。
彼は本当に速かった。
カルストンライトオが最も大きな栄光に輝いた日。それは彼にとって唯一のG1勝利となった2004年のスプリンターズステークスだろう。
その日は朝から雨が降り続いていた。
重で始まった芝コースは、昼になるころから不良と表示が変わった。
たっぷりと水分を含んだ馬場に、どの馬も泥だらけになって走っていた。
メインレースのG1スプリンターズS。
1番人気は春のスプリントG1高松宮記念の覇者サニングデール。
それにつづく2番人気には、前年秋に短距離G1を連勝した稀代の末脚をもつ追込馬デュランダルが推された。
一方でカルストンライトオは単勝8.5倍の5番人気にとどまった。不良での勝利経験があったカルストンライトオだったが、やはり1200mではトップクラスの馬ではないというのが大方の評価だった。
それが騎手・大西直宏にかかるプレッシャーを幾分和らげたのかもしれない。
サニーブライアンを駆って牡馬クラシック2冠を成し遂げた彼に、一番人気は似合わない。
「一番人気はいらない。一着だけ欲しい」
ゲートが開き、スタートが切られた瞬間から、カルストンライトオはグングン飛ばし、他馬を寄せ付けずに単独の逃げを打った。
600mの通過タイムは33.6。
不良馬場とは思えないハイペースである。
勢いそのまま、カルストンライトオは快調に15頭を引き連れて第3コーナーへと入った。
しかし、ここからは上りになる。中山のコースはコーナーの途中からすでに上りが始まっている。
「これだけ飛ばしては、直線では脚が持たないだろう」大方のフアンはそう思ったはず。斯くいう私もそうだったのである。
しかし、である。
上記の映像を見てほしい。
4コーナーから、スタンド側のカメラに切り替わった瞬間、直線の入口でカルストンライトオはむしろ後続にグッと差をつけている。
観ていた競馬ファンは
「ハッ!?」
と思ったはずだ。
「この馬、こんなに強かったのか!」
それからカルストンライトオは、後続に迫られるどころか、さらに差を引き離した。
結果、ゴール板で2着デュランダルにつけた着差は4馬身。カルストンライトオのみが突き抜け、あとはダンゴ。そんな結果になった。
不良馬場でのカルストンライトオの圧勝劇は、観ていたものを驚かせた。
アイビスサマーダッシュで見せた驚異的なレコード
1200mのスプリンターズステークスを勝ったカルストンライトオだが、彼にはもっと得意にした条件があった。
カルストンライトオは2歳時のデビュー以来短距離戦線を走り続けていたが、彼のスピードでは当初1200mでも長いくらいで、最も得意としたのは日本唯一の直線コース、新潟1000mだった。
これは2002年のアイビスサマーダッシュ。まだ第2回と始まったばかりのレースだった。
世紀の替り目、新潟競馬場には大改装が施されて2001年に左回りのコースに生まれ変わった。その際に日本初の直線1000mのコースが新設されたのである。
レース映像を見ると、外枠13番に入ったカルストンライトオはスタートから外ラチヘ向けて進路を取り、観客席に一番近いところをとにかく飛ばしに飛ばした。
そのスピードに、彼の影を踏めるものは、誰もいなかった。
駆け抜けたタイムは、53秒7。
現在でも新潟1000mのコースレコードである。
年々更新されていくJRAのコースレコードにあって、これだけ施行回数の多い条件のレコードが20年近くも更新されていないのは驚異的である。
このときカルストンライトオは残り400m〜200mの区間で9.6秒という記録をマークしている。これは時速に換算すると約75㎞/h というスピードである。
このときのカルストンライトオのスピードは、NHK「チコちゃんに叱られる」でも取り上げられた。
その題目は「世界で2番目に足の速い動物は?」というもの。
その答えはプロングホーンという北アメリカに生息するトナカイのような見た目の動物なのだが、その比較対象、日本の競走馬代表として、カルストンライトオが引き合いに出された。
言うなればカルストンライトオは、公共放送お墨付きの日本最速馬なのである。
それにしても引退から14年、こうして人気番組に取り上げられるなんて、カルストンライトオファンとしては感涙ものの出来事だった。
ヘロド系の貴重な血脈 アメリカ競馬史上最高の馬マンノウォーの系譜
韋駄天・カルストンライトオの快足の秘密はどこにあったのだろう。
カルストンライトオの父はウォーニングという。
英国産の競走馬で、のちに日本に輸入され種牡馬となった。
カルストンライトオのほかに、サニングデールというこれもスプリントG1の勝ち馬を輩出したように、主に短距離戦線において強さを見せた。
ちなみに、ほかの産駒には珍馬名で有名なウォーニングムスメがいる。
血統を遡ると、ウォーニングの六代父は、マンノウォーという。
このマンノウォーこそ、20世紀アメリカ初期におけるスポーツ界の英雄なのである。
マンノウォーの通算戦績は、なんと21戦20勝。ただ一度、アップセットという名の馬の2着となったのみで、それ以外は全て圧勝だった。
禁酒法時代が始まり人々が日々の不満を溜め込んでいた1920年代のアメリカにおいて、マンノウォーは競馬という枠組みを超え、アメリカ中の英雄となった。
カルストンライトオは、そんな世界的名馬の血を引いているのである。
しかし、この血脈も絶滅の危機にある。
ヘロド系、そしてマンノウォーという稀代の名馬の血脈を伝えるウォーニング。
産駒カルストンライトオやサニングデールの活躍もあり、短距離に強い血統だというイメージがゼロ年代には定着していた感があったが、やはり異端の血脈であったことも響いたのか、有力な後継種牡馬は生まれず、その直系の血脈は途絶えようとしている。
ゴドルフィンアラビアン系の血脈はこのウォーニング系の活躍を最後に、すでに風前の灯となっている。カルストンライトオのようなずば抜けた快速馬を生み出すポテンシャルを持っていた血統だけに、それが途切れるのはなんとも惜しい。
カルストンライトオ、声に出して呼びたくなるような、良い馬名だ。
そんな彼のことを、この季節が来るたびに思い出す。
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