シン・新・3大 カンチェラーラの衝撃のスパート(個人の意見です)
2016年に引退し、現在は母国スイスのUCIプロチーム、チューダーのオーナーを務めているファビアン・カンチェラーラ。
所属スプリンターのアルフィト・デクレインが昨年ミラノ~トリノを制し、今年もパリ・ニース第2ステージで勝利。チームはジロ・デ・イタリア出場権も手にするなど、2019年設立のチューダーは、早くも自転車ロードレース界での存在感を増しつつある。
どうやらカンチェラーラは、オーナー、経営者としての才覚にも恵まれているようだ。
今でも、元気のないときにはテレビ下のラックからJ SPORTSのDVDを引っ張り出してカンチェラーラのレースを見る。
何度も何度も繰返し見ているビデオだが、その度に新鮮な気持ちで見ることができる。
そのくらい、ファビアン・カンチェラーラが好きである。
カンチェラーラのアタックを見ると、心がスカッとする。こんなライダーって後にも先にも、いない。
カンチェラーラのベストレースと言えば、2010年の北のクラシック。
ツール・デ・フランドルかパリ〜ルーベのどちらかという意見が大半だろう。二度にわたってフランドルの王者トム・ボーネンを完膚無きまでに叩き潰し、圧勝した。
彼の圧倒的な強さは、2014年6月放送のマツコ&有吉の怒り新党で「新・3大 カンチェラーラの衝撃のスパート」として取り上げられ、自転車ロードレースに馴染みのない一般の視聴者にもカンチェラーラの名が知れ渡った。
「3大」のあと一つは、マイヨ・ジョーヌを着用しながら残り1kmで自ら先頭グループを捕まえに抜け出し、ロングスパートでスプリンター勢を振り切って勝利を飾った2007年ツール・ド・フランス第3ステージ。
これも、なんとも衝撃的な勝利であった。
さて「3大」を選ぶとして、この選出にさほど異論はないが、カンチェラーラのレースを数多く見ていくと、その他にもベストレースと言えるものがあることに気づく。
さらに身も蓋もないことを言えば、2010年のフランドル、ルーベはもう何度も繰り返し見過ぎて、飽きてしまったのである。
たぶんそんな方、私以外にもいるはず。
そこで今回はたいへんマニアックではあるが、カンチェラーラの個人的ベストレースについて語ってみたい。
三つ挙げるが、そのうち二つはカンチェラーラが負けたレースである。
だから、カンチェラーラベストハイライト、みたいな動画には載っていないことが多い。
でも、これがめちゃくちゃ面白いんだな。
むしろ負けたレースこそ、カンチェラーラの強さが際立つんじゃないか。
そんなふうに思わせる二つのレースから、話を始めるとしよう。
2011年のファビアン・カンチェラーラ
2011年 ツール・デ・フランドル
2011年。この年のカンチェラーラは、ひょっとしたら前年、2010年のときより強いのではないか、と密かに私は思っている。
この年のツール・デ・フランドルでも、カンチェラーラはトム・ボーネンを引きちぎるアタックを見せた。
ひとつ言っておきたいが、カンチェラーラを「怒り新党」やネット動画で知った人間は、しばしばボーネンをただの引き立て役のように軽んじてしまうことがある。
だが、ボーネンはまさにベルギーの英雄。とくに2000年代にはベルギー周辺で開催されるフランドル・クラシックで圧倒的な強さを誇っていた。
トム・ボーネンがどれだけ偉大なサイクリストであるのかを理解しないと、カンチェラーラの強さもまたわからない。
ボーネンはスプリンター/クラシックスペシャリスト。
とくに石畳系のフランドル・クラシックでは無類の強さを発揮しパリ~ルーベ4勝(最多タイ)、ツール・デ・フランドル3勝(これも最多タイ)を記録している。
クラシックレースの最高峰であるモニュメントレースを計7勝。これはカンチェラーラと並ぶ偉業である。
さらに、2005年ロードレース世界選手権を勝ってアルカンシェルを奪取。2007年にはツール・ド・フランスでポイント賞獲得と輝かしい戦績を残している。
キャリア通算の獲得ポイントも、procyclingstatsの集計ではカンチェラーラより上位である。オールタイムランキングでボーネンは26位、カンチェラーラは33位(2024年3月30日現在)。
ボーネンは2005年から2009年にかけてフランドル・ルーベを計5勝。
ヨハン・ムセウの系譜を受け継ぐフランドルの王者として、ベルギーではアイドル的な人気を誇った。
2008年こそルーベでカンチェラーラの逃げ切りを許したものの、E3やヘントなどのセミクラシックも含め、フランドルクラシックではボーネンが最も強いということは明らかだった。
それが、例の2010年のカンチェラーラ圧勝劇によって全く覆ってしまったのである。
そんなカンチェラーラとボーネンのライバル関係だが、前年に続き2011年もカンチェラーラは絶好調。
ボーネンのいないE3ハレルベーケでは舗装区間でよくわからないアタックを仕掛けると先に抜け出していたタンキンクを悠々と捉え、後ろからはなんにも来ない。16kmを独走、2010年に続いて衝撃の勝ち方を見せつけた。
一方、ボーネンはヘント~ウェヴェルヘムを勝ち、こちらも好調。
ついに「クラシックの王様」ツール・デ・フランドルでは両者の直接対決が見られることになる。
4月3日、珍しく晴れ渡ったベルギー北部、フランドル地方。
200名超のライダーたちが、美しい街並みの古都ブルージュをスタートする。
この年移籍したカンチェラーラのチーム、レオパード・トレックが序盤から集団をコントロールする展開。逃げ集団とのタイム差は最大8分あったが、プロトンからクイックステップのルーラー、シルヴァン・シャヴァネルが抜け出し、単独での逃げを成功させる。
レースが佳境に差し掛かった残り50km、逃げ集団とプロトンとのタイム差は30秒。プロトンにはカンチェラーラ、ボーネン、ジルベール、フレチャらの有力選手がしっかりと残っている。
モーレンベルクでは静観の構えだったが、その後の舗装区間でボーネンが突如アタック。だがカンチェラーラ、フィリッポ・ポッツァート(チーム・カチューシャ)がこれをチェックし独走を許さない。
すると今度はカンチェラーラがカウンターアタック。ボーネンによって闘志に火をつけられたのか、グングンと飛ばし、ポッツァートがついてゆけず脱落。
上りがあるとはいえ、石畳の無い舗装区間。ボーネンを振り払うのは容易ではないと思われたが、まさに鬼神のような推進力でついにボーネンを引き離し、単騎となってシャヴァネルまでのロングアプローチが開始される。
J SPORTSの中継では当時39歳、解説者として脂の乗ってきた栗村修さんが名フレーズを連発する。
その後カンチェラーラは逃げるシャヴァネルを捉え、二騎になって高速巡航モードに入る。チームの指示によりシャヴァネルは付き位置をとったため、カンチェラーラは単独で牽くことになったが、それでもタイム差は60秒にまで拡大した。
このままカンチェラーラはプロトンを引き離し、あとはどこかのタイミングでシャヴァネルを料理するだけ。そんな結末が見えていた。
しかし、カンチェラーラには落とし穴が待っていた。
この時期としては珍しい気温の高さによる喉の渇きと、実力者シャヴァネルが後ろにピッタリとマークしているというプレッシャーは、確実にカンチェラーラを消耗させていた。
さらにBMCレーシングチームらの牽引によってペースアップしたプロトンは、カペルミュールを前に急速にカンチェラーラとのタイム差を詰めていく。
60秒あったはずの差はみるみるうちに縮まり、残り16kmの難所カペルミュールを前にして、ついに集団が追いつき、一つになる。
それでもなんとかカンチェラーラは先頭で頂上に辿り着いたものの、後続に差をつけることが出来なかった。
この時点で、カンチェラーラにはエネルギーが残っていなかったのか。
つづく最後の山場、ボスベルグの登りでフィリップ・ジルベール(オメガファルマ・ロット)のアタックについてゆけず、苦悶の表情でフラつきながらペダリングするカンチェラーラ。
「終わりましたね」とは栗村修さんの弁。
20kmものあいだ風を受けて先頭で走り続けたことが、裏目に出てしまっただ格好だ。
だが、カンチェラーラはこれで終わらない。
ボスベルグを抜けた残り10km、平坦区間でジルベールは10秒のタイム差を守ることができず吸収され、もう一度集団が出来上がる。
最終局面に生き残ったのは12人。
その中にはシャヴァネル、ボーネン、ジルベール、フレチャ、ゲラント・トーマス、バッラン、そしてカンチェラーラ。有力選手がクライマックスで勢ぞろいという激熱の展開。
平坦かつ舗装路の区間が続くなかで、集団からの抜け出しを決めたのは何とカンチェラーラ。一体どこにそんな力を残していたのか。シャヴァネル、ニック・ナイエンス(サクソバンク・サンガード)がチェックし、この三人が後続との差を離していく。
残り300mを切り、後方から迫るボーネンの影に怯え、自らスプリントを開始したカンチェラーラだが、ナイエンスはこれを冷静に見ている。
早駆けしたカンチェラーラに、もう力は残っていなかった。ナイエンス、そしてシャヴァネルがタイミングよく腰を上げ、僅かの差でナイエンスが先頭でゴールラインを駆け抜けた。
レースの中で目立たず、じっと息を潜めるようにしてメイン集団に生き残り、最後に優勝をかっさらっていったナイエンス。
ベルギー人にとってツール・デ・フランドルを勝つということは、地球上のどのレースを勝つよりも重大なこと。
じっくりとチャンスを窺い、好機をものにしたことでナイエンスは人生最高の栄光を手にした。
一方で、完全な包囲網の中、最も力のあるところを見せながら、3位に敗れたカンチェラーラ。
「どんなに強い者も負けることはある」
優勝者ナイエンスのすぐ脇でこんな発言をするカンチェラーラ。
口惜しさの中にも、充実感を覗かせる表情であった。
2011年 パリ~ルーベ
さて、次に挙げるレースは一週間後、同年のパリ~ルーベである。
パリ近郊のコンピエーニュから、ベルギー国境に近いルーベまでの250km超のコースを進むレースは「クラシックの女王」と呼ばれる。
パリ~ルーベの最大の特徴は、レース後半に登場する激しく荒れた石畳(パヴェ)。
ロードバイクでその上を走ればガタガタと振動が全身を突き抜け、脳は揺れ身体は軋む。レースが終われば選手たちは砂埃でドロドロになっている。
そのあまりの厳しさから、「北の地獄」という異名も持っている。
その独特の魅力から、憧れのレースに挙げる選手も多い。
前年はカンチェラーラが46kmを独走。
後続に2分という圧倒的な差をつけて優勝した。
果たして2011年はどうなるのか。
この日も天気には恵まれた。
しかしコンピエーニュをスタートし、レースが始まると北のクラシックの雄、クイックステップ勢はボーネン、シャヴァネルに落車・トラブルが相次ぎ早々にリタイアという波乱の展開。
カンチェラーラとしてはライバルのボーネンが脱落し、今度はトル・フースホフト(ガーミン・サーヴェロ)との対決となる。
フースホフトはノルウェー出身のスプリンターで、当時の世界王者。
グランツール通算13勝の実績に加え、ワンデーのクラシックも得意としている。
石畳にも適性があり、前年のパリ~ルーベ2010では2位。ルーベ周辺の石畳ステージとなった同年のツール・ド・フランス第3ステージを制している(この時カンチェラーラはチームのエース、アンディ・シュレックのために先頭グループを牽き倒して6位)。
アルカンシェルを身にまとった現・世界王者が相手となったわけだが、フースホフトはカンチェラーラを異常に警戒し、エース同士であるにもかかわらずほとんど付き位置に徹し牽こうとしない。
フースホフトとしては、カンチェラーラをどこまでもマークしていけば、スプリントで負けることはない。カンチェラーラのアタックを封じ込めることができれば、勝利に近づくというわけだ。
こうした徹底マークに遭い、逃げ集団とのタイム差を詰められず、業を煮やしたカンチェラーラが、フースホフトの所属チーム・サーヴェロのチームカーにいる監督に抗議までするシーンがある。
タフな局面を何とか打開しようとするも、カメラバイクに前を塞がれてしまうトラブルなどもあり再三のカンチェラーラのアタックは決まらない。
そうこうしているうちに最後の難関、五つ星のカルフール・ド・ラルブル区間を抜け、フースホフトを振り払うチャンスはほとんど無くなってしまう。
こうしてサーヴェロの作戦は結果的に実を結び、逃げグループの中から抜け出したチームメイトのヴァンスーメレンが独走、勝利に近づく。
厳しいパヴェの区間は終わり、レースの大勢は決したと思われた。
しかし、カンチェラーラファンとしては見どころはここから。
ルーベのヴェロドロームへと向かう残り3-4kmあたり、わずかな坂(1%ほど)になっている舗装路区間で、カンチェラーラが渾身のアタック。すると誰も着いていかず、グングンと加速。単独になって前を追い始める。
フースホフトとしては逃がしてはならない、必ずチェックしなくてはならない場面なので、いわゆる「お見合い」ではない。それだけカンチェラーラのアタックが強烈だったということか。
今までの鬱憤を晴らすかのような快走。
結局カンチェラーラは二番手グループまで飲み込み、競技場でのスプリントを制して2位を確保。
優勝したヴァンスーメレンとの差は19秒にまで迫っていた。
他チームの徹底的な包囲網の前に連覇は阻まれたが、カンチェラーラらしい強さを十分に発揮したレースだった。
優勝したのは地元ベルギーのヨハン・ヴァンスーメレン。前週フランドルのナイエンスに続き、伏兵とされた中堅選手の優勝となった。
単独先頭で競技場へと入り、ゴールラインでは197cmの長身をいっぱいに伸ばして、喜びを表現する。
ボーネンのリタイアで意気消沈していたベルギーのファンにとっても嬉しい勝利。
これで彼の名は、歴史あるモニュメントレースの勝者として永遠に刻まれることになった。
容赦のない徹底マークで自分を苦しめたライバルチームのサーヴェロへのストレスは溢れるくらい溜まっていただろうに、笑顔でヴァンスーメレンを祝福するカンチェラーラが清々しい。
圧倒的な王者であり、敗れたときにはグッド・ルーザーになれるのがカンチェラーラのもつ人間的な魅力と言えるだろう。
ちなみにトル・フースホフトは現在ノルウェーのプロ・チームであるウーノ・エックスの監督を務めている。
監督と、オーナーと。立場は変われど、2000年代を彩った二人のライバル関係は今なお続いている。
2016年 リオデジャネイロオリンピック 男子ロードレース タイムトライアル
さて、「シン・新・3大 カンチェラーラの衝撃のスパート」。
もう一本はカンチェラーラの最も得意とする個人タイムトライアルから。
2016年リオデジャネイロオリンピック。
カンチェラーラの引退レースである。
2010年代に入ると、カンチェラーラはそれまで圧倒的な強さを見せていたタイムトライアルでの成績に陰りが見え、トニー・マルティン、ブラッドリー・ウィギンスらの後塵を拝することも多くなっていく。
中でも4歳年下のドイツ人選手、トニー・マルティンが台頭し、なんと三連覇を含む世界選4勝を達成する。
カンチェラーラは、タイムトライアルの絶対王者の地位から降りた。
これは、おそらくカンチェラーラのクラシック・ライダーへの変貌の結果だと推察される。
その代りに、2010年から2014年のあいだにカンチェラーラはモニュメントレースで5勝を積み上げ、ボーネンと並ぶ通算7勝という記録を打ち立てた。
だが、引退を決意した2016年のカンチェラーラはオリンピック・個人タイムトライアルの金メダルを目指して、再び「クロノマン」としての身体作りを行った。
彼の2016年シーズンは、すべてこのレースを優勝するために逆算して考えられていたのではないか、そんな推察が可能だ。
主な戦績を挙げれば、3月初旬のストラーデ・ビアンケを勝利したものの、フランドル・クラシックはE3ハレルベーケ、ヘント~ウェヴェルヘムはともに4位、ツール・デ・フランドルはペテル・サガンに完敗し2位と、カンチェラーラとしては物足りない成績が続いた。
やはりカンチェラーラのピークは疾うに過ぎている、引退の年なのだからそれも道理だと、誰もが思ったことだろう。
しかし彼は、オリンピックの個人タイムトライアルに向けて狙いを定めていたのだ。
8月、リオデジャネイロオリンピック。個人ロードレースを34位で終えたカンチェラーラは、その4日後いよいよ個人タイムトライアルに臨む。
個人タイムトライアルのコースは、リオデジャネイロの海岸沿い、美しい砂浜の連なるプライア・ド・レクレイオ。
海からの激しい風に加え、4度組み込まれた山岳ポイントがライダーたちを苦しめる。さらに、スコールが降ったあとの路面の濡れた難しいコンディションの中のレースとなった。
アップダウンの激しいコースだけに、カンチェラーラにとってはタイムトライアルスペシャリストだけではなく、山岳を得意とするグランツールライダーのオールラウンダーも強敵になる。
ツール連覇中のクリス・フルーム(イギリス)。そして翌年ジロを制することになるトム・デュムラン(オランダ)。いずれもタイムトライアルを得意とする。
この二人の脂の乗った選手を相手に、どんな走りを見せることができるか。
ランキングによってスタート順が決定するため、後半になると有力選手が次々と登場してくる。
マツィエイ・ボドナル(ポーランド)、まだ元スキージャンパーと紹介されているプリモシュ・ログリッチ(スロベニア)らがタイムを縮めていく。
さらにゲラント・トーマス(イギリス)が中間計測で好タイムを叩き出すが、それを上回ったのがローハン・デニス(オーストラリア)。2018, 19年のITT世界王者である。
デニスは快足を飛ばし第二中間計測ではカンチェラーラやデュムランらを上回り全体一位。この時点では16秒以上のタイム差をつけていたが、オーバーペースが祟ったのか、徐々にペースが落ち、不運なことにメカトラブルも重なって失速。最終的に5位に沈んだ。
デニスとは対照的に、カンチェラーラのペースは全く衰えない。
二周目に入ってもペースは緩まず、安定したフォームで淡々とタイムを刻んでいく。第3中間計測ではデニスを逆転、トップに立つ。
多くの選手がスタミナを奪われ、苦しむ中で、急勾配の坂路をモリモリ登ってゆくカンチェラーラの姿は感動的でさえある。
カンチェラーラのダウンヒル、そしてコーナリングの巧さにあらためて驚かされる。
一方で有力選手のひとりトニー・マルティンはアップダウンの多いコース形態に苦しみ、タイムが伸びない。
先にフィニッシュしたカンチェラーラは、デュムラン、フルームの結果を見届け、2008年北京オリンピックに続く二度目の金メダルを獲得する。
歓喜と、涙と。
対照的な二つのカンチェラーラの表情が見られるのもファンにとってはたまらない。
こうしてカンチェラーラはキャリア最後のレースを最高の結果で飾ることになった。
さて、このレースの模様はオリンピック公式You Tubeチャンネルでフル動画を見ることができるのが、なんともうれしいところである。
カンチェラーラのスタートは1:37:14~。
J SPORTSにツール・デ・フランドルが帰ってくる!
「シン・新・3大 カンチェラーラの衝撃のスパート」、いかがだっただろうか。
さて、個人的な好みではあるが、筆者は数日から数週間をかけていくつものコースを辿るステージレースよりも、その日一日の一発勝負であるワンデーレースの方が見ていて楽しい。
中でも、本稿でも挙げたツール・デ・フランドルこそが最高峰!
クラシックの王様、と呼ばれるこの歴史あるレースでは毎年名勝負が繰り広げられ、チャンピオンが決定する。
そしてなんと、今年はJ SPORTSに8年ぶりにロンド・ファン・フラーンデレンと名を変えてフランドルが帰ってくる!
これでJ SPORTSは3大グランツールに加えて5大モニュメントレース(+ストラーデ・ビアンケ)まで完全中継!なんという幸せ!
自転車ロードレースのオフシーズンもケチらず契約料払っててよかった!