すいませんをありがとうに置換する
僕は常々謝っている。
「すいません」
「申し訳ない」
最早これらは口癖のように考えるより先に発してしまう。
一方で他者からそう言われると
「いやいやこちらこそ申し訳ない」
「あー謝らせてしまった申し訳ない」
「こっちが勝手にしたことなのに申し訳ない」
と申し訳なさ度が跳ね上がる。
と、いうことは。
僕が口癖のように言っている謝罪の言葉も、もしかしたら相手の申し訳なささを跳ね上がらせているのかもしれない。
これじゃあ誰の為にもならないし、誰も喜ばない。
しかし流石に身に染み付いた癖を直すのは難しい。
思うより先に発してしまうものはどうすることもできない。
そこで考えたのが『打消し』と『置換』。
置換は個人的には最終目標くらい先の話で、今は打消しを頑張っている。
先述の通り「すいません」という言葉は考えるよりも先に出てしまう。
しかし、「あー今言ってしまった!」と気付くことはできるので、気付いた段階で「ありがとうございます」を付け足す。
すると、自分の罪悪感からくる「すいません」を言えたのと同時に相手に「ありがとうございます」と感謝を向けられるので何となく打ち消せたような気持ちになる。
本当のところがどうなのかはもちろん相手にしか分からないし、何なら相手によるしTPOにもよる。
しかし謝罪ではなく感謝で終われるのは僕みたいな謝り倒し人間にはとても大きい。
「今ありがとうって言えたぞ!」「感謝できたぞ!」「これで少しは相手の申し訳なさ度が下げられたかもしれない!」
という思い込みは想像以上に自分に効く。
ここ数年続けた結果、最近は
「あーすいませんありがとうございます!」
とワンセットでよどみなく言えるようになった。
最初は全然言えずに、後々になって
「あの、さっきの助かりました」
「あの時はありがとうございました。全然感謝できなかったなって思ってて」
みたいに取り繕うのがやっとだった。
時間差で感謝された相手は多分戸惑っていたと思うけれど、まあ元々を知っている相手なら「うん?うん」みたいに水に流してくれていた気がする。
謝り倒し人間の多くは、「自分なんかが」「自分なんかに」といった自己否定の前提があり、そこを踏まえて省略した結果「申し訳ない」になると思う。実際僕がそれ。
頭を下げることが当たり前を超えて頭を上げたことがないレベル。
それって自己否定が悪いのはもちろんだけど、何よりも相手に
「良かれと思ってやったのに申し訳ないな」
と思わせてしまう。それが先に書いた誰も喜べない状況を呼ぶのだと推測している。
何なら多分、誰かが誰かの為に何かをする時というのは多かれ少なかれ『喜ばれたい』からだ。
成人君主、仏だ神だでない限り、多少の見返りを期待するのが普通。
しかし謝られてしまうと
「喜んでもらえた」から「悪いことしちゃったかな」に変わってしまう。
こちらが感謝しているのにも関わらず、というのが重要なポイント。
なので本当に相手のことを慮っているなら
「ありがとうございます」
がベストなのだ。そこにこちらの事情をねじ込んだ結果が「すいません」になる。
ここまで言うと、なんか自己否定は度が過ぎると自己中心的なんだなと反省すらしてくる。というか僕はした。凄くした。
でもそれは謝り倒し人間から打消しを始めて少し経った頃初めて至った念であって、謝り倒し人間の頃はそんなことは浜辺の砂粒ほども考えなかった。
まだ脊髄反射で感謝は言えないけれど、打消しを続けてきたことで心なしか自分の気持ちも軽くなった気がしている。
それは多分、相手が笑顔で返してくれるから。
なので、もし僕と同じように謝り倒しているアナタが少しでも興味を持ってくれたら、是非試してみてほしい。
そして少しでも心が軽くなったら幸いです。