見出し画像

『普通』ノイローゼ

普通ってなんだろう。それは多分人によって少しずつ形を変えるマジョリティの姿だと僕は思う。

僕は昔から『何をやらせても他の子と同じにできない子』だったらしい。
それは僕が知っている自分よりずっと昔の自分だ。
そしてそんな僕は今でも『他の人と同じにできない人間』である。

最初のノイローゼは中学の時に起こった。
大半の人が経験するであろう受験。そこである程度描かされる将来の自分。
今何とか頑張って中学校に通っている。それは勉強というよりは精神面での努力。
遅刻をしない。嫌いな授業も出る。興味の無いことも覚える。僕は男だけど女子のフリをして女子に混ざる。女子と男子とに振り分けられることに堪える。
これから頑張って受験して高校へ行くとする。高校も同じことを耐えなければならないだろう。
そしてまた受験をして大学なり専門学校なりへ行く。
それが終わっても次に待つのは就職して働くという、まるでマトリョーシカのような人生。
何十年もそれが続いて、何かしらの圧力によって結婚をさせられ、子供を産まされ、育てなければならない。

目の前に敷かれたレール。それを進み続けるのなら僕は一生耐え続けなければいけない。今この瞬間だって辛すぎて、痛みを可視化するためにカッターを手放せないというのに。
死なずに生き続けなければならないということは、この苦痛を死ぬまで味わえということだ。
その答えに至った瞬間、心はポキリと音を立てて折れた。

2度目のノイローゼは高校在学中、ふとした瞬間に起こった。
一番後ろの席だったある日の授業中。ふと顔を上げた視界にそれは映った。
整然と並べられた机と椅子。同じ制服を着た生徒。1人の教師の声に耳を傾け、黒板を見ながらノートに纏めている。
きっと誰一人として教師の言葉を疑っていない。それが真実であり答えだという前提で授業を受けている。
---ああ。社会は宗教で成り立っていて、学校は洗脳する施設なんだ。
でも、そうだとしたら。
それを異質だと思ってしまった僕は。疑問を持ってしまった僕は。洗脳されることができなかった僕は、この先社会に出てもやっていけない。
だってみんなが前提としている物事が僕には分からない。言葉が通じない。
異質なのは僕の方だ。どうしよう、みんなと同じ世界に行けない。洗脳されなきゃいけなかったのに。何で洗脳されなかったんだろう。なんで。どうして。どうしたらいい?

3度目のノイローゼは自分が統合失調症であり性同一性障害と診断されることが不可能だと知った時。
街ですれ違う全ての人は男か女どちらかで、体と同じ性別の外見をして同じ役割をこなしている。それが自然で当たり前の形。
男は男。女は女。疑いもせずそれぞれが自然とそうしている。
その全ての人から拒絶の視線を向けられている気がした。
「お前は女なのに何故男の格好をしているんだ」
男からも女からも非難されている。異物だと思われている。どちらからも『入ってくるな』と締め出されている。
もう家の外には出られない。僕を見るとみんなが嫌な思いをする。

4度目のノイローゼは外出中に起こった。
障害基礎年金を受給しながら実家暮らしをしている身。
コンビニも、スーパーも、本屋も。
ゴミを収集してくれる人も工場の中にいる人も。
目に映る全ての人は働いている。
今食べているプリンだって、誰かが作った卵をどこかの工場で加工してドライバーが配達してお店の人が陳列してレジの人から買った物。
僕だけが働いていない。僕だけが社会に貢献できていない。年金から支払う消費税以外納税もしていない。みんなが働くことで成り立っている社会で僕だけが何もしていない。
一所懸命働いている人達を浪費し愚弄しているだけなのではないか。僕の障害は一生治らないというのに。生かされる価値が見出せない。恨まれて当然の立場なんだ。

最後は今もなお続く強いノイローゼ。
もちろん前述の全ては強いトラウマや劣等感となって根付いているけれど、発作はもう起こさない。むしろこのトラウマ以外、自分を形成している物は無いような気さえする。

今抱えているノイローゼは『今が死ぬまで続く』ことへのノイローゼ。
どんなに必死に食事をしても、翌日また食べなければならない。食事は死ぬまで続けなければならない義務だ。
同じように毎日歯を磨き、毎日入浴し、毎日眠らなければならない。死ぬまで絶対に続けなければならない。
その1つ1つをこなす度に疲労で倒れても、続けなければならない。必死に食べて必死に眠って必死に清潔を保つ。毎日、毎日、毎日。このループから脱出することはできない。
辛い。苦しい。しんどい。僕は閉所恐怖症なのだけれど、まるで掃除用具入れに使われるロッカーに閉じ込められているように感じる。
脚を曲げることも、座ることもできない。暴れることすら許されない。足の裏が痛んでくる。関節に負荷がジリジリと迫る。それでも身動きは取れない。例えば頭を自ら打ち付けて気絶したとしても、意識を取り戻せば再び地獄に戻ってくる。

辛い。しんどい。許してほしい。もう解放されたい。
それでも死ぬことは許されないし、この思考を理解されることも無い。
「衣食住が揃っているのに一体何が不満なんだ」
そう怒鳴られたことを思い出す。
普通の人から見たら僕は贅沢な身分なのだと思う。生きているだけでお金をもらい、衣食住の保証もされる。それらを必死に働いて保っている人達が僕を殺したいと思うのは当然だということも分かる。
だけど辛いものは辛い。どうしたらいいかなんて分からない。だからずっと死にたいと思っているし、死なせてほしいと願っている。
生きるために必要な物事が辛いのならば死ぬしか道はない。だけど自殺は悪いことだと言う。生きなければいけないのだと言う。
みんなと同じ『普通』という宗教に洗脳されることができていれば、少しは頑張ろうと思えたんだろうか。生きなければと戦えたんだろうか。

「辛いのも痛いのも生きていれば当たり前。みんな我慢して頑張っている」
それが幸せの形だと、どうしても思えないんだよ。

よろしければサポートをお願いします。お金は実験や工作に必要な資材の調達に使わせていただきます!