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意味ある批判

その批判はただの文句になっていませんか?その批判には自分なりの根拠、知識を含んでいますか?

自分は批判できる人がすごいなって思います。批判ってただ自分勝手な都合から出る不平不満とは違いますし、自分の意見、知識があって、なおかつその対象とする事柄を分析し、意見を言うことだと思います。その批判が例え間違いであったとしても、その批判には十分な価値、生産性がありますし、その事柄に対して考え、伝えることは大変重要だと思います。

その反面、自分はよくいろんな意見や考え方をなんでも素直に受け入れる方だと思います。悪いことではないと思っています。ただ、悪く言えば流されやすい、とか自分なりの意見がないなんて言えもできます。でも否定もできません。
でも最初はそんな姿勢でいいのかなと最近考えるようになりました。その理由はまた後半に話します。

自分は何かの事柄に対してどう考えるか聞かれると大抵自分なりの根拠ある意見が出せないと思います。なぜなら知らないことが多いからです。
Twitterなどいろんな意見がある場所は特にそうです。最近では政治関連の政策とかについていろんな意見や批判があって、これらについて自分はどう思うのだろうと考える時があります。
答えは「わからないから何とも言えない。」興味がそこまでありませんでした。
しかしそれはすごく怖いことだと気づかされます。自分達の生活に関わる様々なことを任せている政治なのに何も知らない、知ろうとしなかったって怖いなって最近実感するようになりました。だからこそ最近は政治の勉強もしなきゃと思い知らされることが多いです。税金だって何に使われているとか何も知らないままだと都合よく利用されていたとしても気づくことはありません。
じゃあ知っていれば何か政治に良い影響があるかと言われれば、そんな自分の意見なんてネットでつぶやいたりするくらいで終わりってことが多いかもしれません。でも選挙という権利を有効に使えるものになります。
最近は政治の不信感もあちらこちらで言われますし、国会での喧嘩のようなものばかり見たら当然不安になります。確かに私も不安には思うけど、考えてみると、実際何の議題について話していて、どの点において論争しているのかさえよく知らないのです。マスメディアの情報もかなり歪曲されますし、実際本当に重要なことを必死に討論しているだけなのに、メディアの情報操作で印象が悪く見えているだけかもしれません。重要なのは印象や上辺だけの情報ではなく、中身・内容だと思います。
実際政治について文句を言っている人たちは本当に知識、根拠があっていっているのでしょうか。あって言っているのであれば、日本の選挙投票率だっても低くなるはずがありません。
知っている気になって、批判しているつもりで、実は無知のまま文句を言ってるだけが一番生産性も価値もない声だなと思いますし、子供のわがままととんだ大差ありません。

例として政治を挙げて、話はかなりそれましたが、この批判する・意見を言えるくらい自分の考えを持てるようになるために、まず最初は素直にどんな意見・知識も素直に受け取ることが重要だなと思います。
最初言った通り、自分は新しい知識を学ぶ時は素直に受け入れてる方で、どんな反対意見も賛成意見も「へーそうなんだ」と受け取っていた感じです。
最近読書をしていますが、同じ本を読んでいる人に感想を聞いた時、その人は全てを素直に受け入れているのではなく、根拠ある批判的な感想もありました。その人はずっと読書をしていた人なので、たくさんの本からの知識を吸収していたと思います。
本はよく同じ題材を扱っていても筆者によって全然違う意見を展開しているということはよくある話です。だからこそいろんな考え方を持つ筆者の本を読むことで、考えに偏りのない真実をより理解できます。その人はそんな多くの本を読むことで、自分自身の知識や考え方が確立されつつあるのでしょう。自分はその時、様々な意見の批評ができるってすごいことだなって思いました。
でもその人はきっと最初からどんな意見にも批判ができたわけではないと思います。いろんな知識をまず最初は素直に新しい知識として吸収し、自分の考えを持てるまでの知識が十分に整ってから段々と自分の意見が確立したのだと思います。
自分の考えを確立するためにまずはどんな意見も素直に受け入れようとする。この姿勢が自分の視野を広くさせ、勉強することで始めて立派な批判ができるのだと思います。




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