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「日本昔話再生機構」ものがたり 第2話 沙知の危機 2. 秘 策

『クローン・キャスト沙知の危機 第1回』からつづく。

 沙知は狭い機織り場で布を織り続けていた。羽を一本抜くたびに全身を激痛が貫き、目がくらんだ。
 機織り機の傍らには布一反を織りあげられる程度の絹糸が用意してある。ヘルプデスク担当から言われたように、これ以上羽を抜くのは止めて絹糸で布を織ろうか? いや、明日の朝、いつもと違う布をみたときの男の怒りが怖い。沙知は羽を抜くたびに小さな悲鳴をあげながら、機織り機を動かし続けた。

  脳内の時空超越通信装置が起動した。ヘルプデスク担当からの連絡に違いない。そういえば、あの人はなんという愛称だったっけ? 相手の名前も覚えられないほど、沙知は消耗しきっていた。
「沙知さん、ヘルプデスクのコーイチです。あなたを救出する作戦を立てました。よく聞いてください」
通信装置から落ち着いた男性の声が流れ出した。
 救出? 私は、ここから逃げられる? 消えかけていた希望の灯りが揺れて、少し大きくなる。

「沙知さんは、織った布を、毎朝機織り部屋の外に出しておくのですよね?」
「そうです。酔いどれて町から戻ってきた男は、布を取り上げて囲炉裏のある部屋に行き、そのまま午後遅くまで寝ます。で、夕方になると私が織った布を持って町に下りてく。飲み屋『あさぎ』の女将といちゃつきに行くんです。そんなことのために、私は、毎日、毎日、機織りして。一日で一枚織るのって、本当に、ものすごくキツイんです。だから、私の身体は、こんなボロボロに。早く助けてください」
 沙知は、自分が相手を責める口調になっているのに気づいた。自分を助けてくれているヘルプデスク担当者に怒りをぶつけてはいけないと思うが、他に、誰も感情を打ち明けられる相手がいないのだから、仕方がない。

「分かりました」
と答えるヘルプデスクの男性からは、気分を害した気配はうかがえなかった。
「もし、明日の朝、機織り部屋の外に布が出ていなかったら、どうなると思いますか?」
「えっ?」
思いがけない質問に、沙知は答えが浮かばない。毎朝、布を機織り部屋の外に出すのは、沙知にとって、太陽が東から昇り西に沈むのと同じくらい当たり前のことになっていた。

 ヘルプデスクの男性が、沙知の答えを待たずに続ける。
「私が男だったら、あてにしていた布がないことに怒ると思います」
沙知は、ヘルプデスク担当が沙知にとてつもなく危険な試みを持ちかけていることに気づいた。
「なんてことを言うんですか! そんなことしたら、私は、あの男に殺されます!」
「男が機織り部屋に入って来るということですね」
「もちろんです。あいつは、山の木を切り倒す斧を持ってる。その斧で、私を殺しに来る」
「そうでしょうか? 沙知さんは、男にとっては飲み代を稼いでくれる金の卵ですよ。一度布が出来ていなかったくらいで、沙知さんを殺したりするでしょうか?」

 沙知の頭に怒りが突き上げてきた。
「あなたは、あの男を知らないから、そんな呑気なことを言う。あいつは、カッとなったら、見境つかなくなるんです」
「なるほど、男は凶悪なのですね」
「当り前じゃないですか。だから、こうして私を監禁して機織りさせてるのです」
と言っておいて、沙知は自分が言っているのはちょっと違うんではないかと思った。沙知をここに引き留めているのは男ではなく、プロジェクト管理部長ではないか? いや、管理部長の命令は絶対だと思っている自分が自分を苦しめているんじゃないか?
 そこまで来て、沙知の思考は止まった。疲れ切った沙知は、とても込み入った思考に耐えられる状態にはない。
「あの男を怒らせるようなことは、絶対に、しません!」
沙知はきつい口調で言い切った。

 ヘルプデスク担当から、返事がなかった。通信装置の向こうは無音になり、それが続いた。沙知は、自分が怒りをぶつけすぎて相手に通信を切られたのではないかと心配になり出した。
「もしもし、まだそこにいますか?」
沙知は、恐る恐る相手に声をかけた。
「はい」
ヘルプデスク担当が沈んだ声で答えた。
「私がここから出られる他の方法を考えてください」
沙知はできるだけ穏やかな調子を心がけて、相手に頼む。
「他には何も思いつかないのです」
「えぇっ! ヘルプデスクなのに、思いつかないのですか」
また、相手を責める口調になってしまう。
「しかし、私は、このままでは沙知さんの命が危ないと心配しています」
「それは、私がいちばん心配してるわよ!」と言い返しそうになって、沙知は言葉を飲み込んだ。この状況で沙知の味方になってくれそうなのは、この男性しかいない。怒らせるのは自分の得にならない。疲れ切った頭の中で辛うじて理性が働いたのだ。

「私は、『鶴の恩返し』の《虎の巻》を何度も読み直しました。まず気がついたのは、男が自分から機織り場をのぞくのであれば、男の動機はなんでもいいということです。怒りからのぞくんでも、いいのです。次に気がついたのは、鶴が機織り機に向かっている姿を見て、驚かない男はいないことです。みんな、固まってしまって言葉が出ないんです。腰を抜かした例もありました」
「ここの男は、普通の『鶴の恩返し』キャラじゃないんです。鶴の私を見たからって、驚くはずがない」
「そうでしょうか? 私は、驚くと思います。腰は抜かさないかもしれませんが、一瞬、身体が凍ると思います。そのすきに、あなたは機織り部屋から逃げ出すんです」
「こんなに羽が減ってるんです。私は、まともに飛べません」
「その家から逃げ出し山に隠れさえすればいい。時空転移装置で回収します」
「山の中に時空転移装置は着陸できません」

「あなを周りの空間ごとハイパーエナジーバブル転移で開けた場所に移動させます。移動先であなたは時空転移装置に乗り込み、ラムネ星に帰還するのです」
 沙知は驚いた。ハイパーエナジーバブル転移とは、時空転移装置の駆動エネルギーを外部に放出して一定規模の空間をエネルギーのバブルに包み、空間まるごと別の場所に瞬間移動させることだ。「日本昔話再生支援機構」では数年に1回しか使われることのない荒業だ。

「ハイパーエナジーバブル転移は、究極の非常事態にしか使用されないと聞いています」
沙知はヘルプデスク担当に訊き返す。
「今の沙知さんの状況を究極の非常事態と言わなかったら、他にどんな究極の非常事態があるのですか?」
「でも、そんなことをしたら、あなたが……」
ハイパーエナジーバブル転移は緊急時対応だから、ヘルプデスク担当者の判断でプロジェクト管理部長の承認なしで使えると聞いている。その代り、事後に使用の必要性があったのか厳しく審理され、ほぼ100パーセントの場合、使用不要だったと判定され、ヘルプデスク担当者は厳しく処分されると聞いている。

「今回は、誰がどんな審理をしても、使用が必要だったと認められることは間違いありません。ですから、私のことは、一切ご心配なく。それよりも、沙知さん、これはあなたにとって生きるか死ぬかの大勝負です。どうなさいますか?」
 沙知は、ハイパーエナジーバブル転移を使うというヘルプデスク担当の心意気に動かされた。
「やります」
力強く答えた。
「では、今日の機織りはここで止めてください。明日の朝の作戦決行に備えて少しでも体力を温存するのです」
「わかりました」

 沙知は自分が後戻りのつかない決意をしたことを知っていた。だが、それを悔やむ気持ちはまったくなかった。ヘルプデスク担当も、沙知を救うために後戻りのつかない決定をしている。その心意気に沙知も答えるのが当然だ。それが、クローン・キャスト同士の絆というものなのだ。

〈『クローン・キャスト沙知の危機 第3回』につづく〉