うた
今日もなんとなく最近思うことを書くだけのnoteです。
歌会始の儀
歌会始の儀をご存知でしょうか。テレビでご覧になったことがある方もいるかもしれません。
年に一度和歌を詠む、歴史的文化的行事の一つですが、簡単に説明すると次のような感じかなと思います。
奈良時代から続く「歌会始」は、和歌の会で、鎌倉時代には歌御会始として確立しました。江戸時代を通じて毎年催され、明治時代に国民も参加できるようになりました。歌御会始は徐々に改革を経て、歌の公表が新聞や官報で行われ、国民参加が拡大。皇室と国民の交流の場となり、現在も続く歌会始は、日本の伝統文化を世界に広めています。
詳しくは宮内庁HPの「歌会始」や政府広報オンライン2021年6月の記事「歌会始の儀」をご覧になると良さそうです。
和
今年のテーマは「和」でした。
「令和六年歌会始御製御歌及び詠進歌」では解説もあり、とてもわかりやすく書かれています。
私が気になったのは「選歌」。宮内庁HPによりますと15,736首の一般応募の中から10首が選ばれたようです。すごいですね。歌に詠む場合はテーマの文字が詠み込まれていればよく、熟語にしても訓読しても差し支えないそうです。私の心に留まったのは次の一首でした。
違和感を感じた時、どういう行動を取るのでしょうか。
自分自身を振り返ってみると、最初は跳ね返そうとしている気がします。それから受け入れるようとして、視点や自分自身の形を変えたり。もっと噛み砕いて小さな粒にして飲み込みやすくしてみたり。そうやって小さく受け入れていく。受け入れない場合は、違和感の粒と自ら持つ粒が影響されて、共鳴しながら、新たな自分が作られていく。
違和感はとても大事なシグナルの一つと考えていますが、粒になって自分が作られていく発想は、とても素敵な考え方だなぁと感じました。
歌会始の儀。来年のテーマは「夢」です。前述したように毎年行われています。詳細は歌会始の詠進要領(令和7年)に記載があります。
和歌にご興味があれば応募してみるのもいいかもしれません。
霞始靆(かすみはじめてたなびく)
今日の季節は霞始めて靆く、という季節。野山にぼんやりと春霞がたなびき、幻想的な風景に出会えることも多いはず。一方で、景色は綺麗だけども視界も悪くなったりします。
個人的には風景だけでなく、私自身の心の視界も少々悪いようです。三寒四温にやられちゃったのかもしれません。そういう季節だと思って、そっとやり過ごすことも、時には必要なんでしょうね。
足すことを辞めて、いろんなものを引きながら。時にはきちんと断って、適切に捨てて、適度に離れないと、大事なものが見えなくなってしまうように思います。大変残念なことに、私はたくさん持ちきれないようです。
そうやって一つ一つ大事に諦めながら、いろんなものからそっと離れたら、心にうつりゆく感情や思考を眺めて今はやり過ごそうと思います。
もしかしたらこの心の霞は小さな違和感の一つで、未来の私のための大事な粒の一つになるかもしれません。