花と灯
今日もダラダラ書き連ねるnoteです。
お役目
この歳になってようやく、人間誰しも生まれてきたからには何か果たすべきお役目があるのではなかろうかと実感するようになりました。
きついこと、辛いこと、望んでいないこと、色々ありますが、そんな場面に直面した時、どうしようもない自分をそのまま受け入れ、お役目であると受け止められるか。そう自分に突き詰められているような気がしました。もちろん色々ちゃんとできている自信はほぼありませんが。
先日、祖父を亡くしました。海外旅行中の突然の出来事でした。たくさんの方にご心配やご迷惑をおかけしました。そして、現地の日本大使館やホテル、病院、祖父の友人の皆さまなど本当にたくさんの方々にご協力いただきました。心から御礼申し上げます。至らぬ点が多々あり大変申し訳なかったのですが、多くの方のおかげで家族の元に届けることができました。
祖父の突然の入院の知らせを聞いてからというもの、目を丸くするような出来事の連続でした。たくさんのことが一気に降ってきて、驚く暇もありません。でも心の中で「お役目だ」と唱えて、できること探したり行動してみたりしました。その時のわたしは体が勝手に動いた、まるで自動運転に近い状態。今考えたら、たぶんいい策は他にもいっぱいあったとは思いますが、他にはどうすることもできませんでした。
龍の背中
どうして体が勝手に動いたのかはよくわかりません。よくわからないけれど、心も体もふわっとしていました。烏滸がましいのかもしれませんが、まるで龍の背中に乗せてもらって、人生の最期を迎えてしまうかもしれない家族に、ただ愛と感謝を伝えに行かせてもらったような不思議な感覚でした。
現地で不思議と仲良くなったタクシーの運転手さんがいました。現地の言葉は喋れないし、唯一できるのはカタコトの英語だけ。困ったらLINEして迎えにきてもらい、何度も助けてもらいました。相手はただのビジネスと捉えているのだと思いますが、それでも初めて一人で訪れた土地で安心することができました。とてもとてもありがたいことでした。
誰かの人生の最期に直面して思ったことは、人生の最期の様々な決断たちは、きっと本人のためではなく、本人の周りで生き残っていく人々のための決断であるんじゃないか、ということでした。
もっと早く気づいていれば。あの書類にサインさえしなければ。もっとお金がたくさんあったのならば。いくらでも言える「たられば」は、邪魔になりました。そんなこと言っている暇があるならば、少しでも良い選択ができるよう全力を注ぎたかった。無駄な思考は削ぎ落としたかったのです。
今回様々な決断を迫られました。胸を抉られるような、なんとも言えない出来事の連続でした。正解を出せたのかなんて全く自信はありません。それでも生き残っていく家族のための選択を積み重ねていきました。半信半疑で。
花を飾ろう、そして灯りをともそう
少し落ち着いた今思うことは、花を飾ろう、それからろうそくにそっとあかりを灯して、誰かに愛と感謝を伝えよう。そんなことだけです。
私は完璧な人間ではないし、いつも誰かに迷惑をかけてばかり。でも、そんな迷惑かけてばかりの人間だからこそ、誰かにかけられた迷惑はそっと受け止めて行動するのもいいのかもしれません。
死を悼むというよりも、新たな旅への出発を見送るような、ささやかなお見送りとなりました。彼の魂の旅路に心からの愛と感謝を贈りたいと思います。
R.I.P.