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探索

今日は夜中に静かにダラダラPCを打ってみたいと思います。

春と夏の間

薄く伸びる雲の中に、もくもくとした雲が少しずつ増えてきたような、そんな空でした。

友達とSUPをする日。お昼から仕事を切り上げて、娘と二人で海に向かいました。彼女とかけ通しにかけて、友達の元に急ぎました。

着替えたら、さぁ海へ。

前回、海で波にのまれそうになった娘は「SUP怖いなぁ」といいました。それでも一緒に行ってみようと背中におんぶして、ボードに乗りました。

大海原へ出た彼女は、陸地が見えないことに怖さを感じるようでした。

そういえば、私も幼い頃、そうだったなぁ。祖父が運転する船で、釣りや海水浴に出かけていた頃を思い出しました。キスや鯛を釣ってみたり、その辺で泳いでみたりして。怖がりだった私は、いつもギャーギャー言って兄弟に怒られていました。波の揺らぎを楽しめるようになったのは、一体いつからだったでしょう。

漕いで漕いで漕いで

少し進みました。小さな彼女は私の肩の上で、ぶつぶつ文句を言っています。「深呼吸してみよー」なんて言ってそっと宥めます。私は彼女の様子を見ながら、漕ぎ続けました。

なんて私にそっくりなんだろう、今日から少しは文句を控えなきゃ。彼女を肩越しに感じながら、まるで自分の欠点を見せつけられているかのような気分でした。でも、そんな欠点も案外まぁ悪くはないか、いっか。私の気持ちは波のように揺らいでいました。それから漕いで漕いで漕いで。一体私は内面を探索しているのか、海原を探索しているのかよくわかりませんでした。

潮目が変わりそうな沖合まできた頃、娘はだいぶ慣れていました。

ふと空を見上げました。

春と夏の間のような雲の隙間から、陽の光が漏れていました。なんて美しいのでしょう。脳裏に焼き付けるように、美しい空を何度か眺めました。波の音を聞いて、深く呼吸をして。海の上に浮かび、ゆらゆらと揺れている不思議を感じました。それから、一緒に美しい景色を見ました。彼女は、この景色にどんな価値を見出すのでしょうね。

漏れる美しさ

最近は、「漏れる」ことに、美しさや愛おしさを感じるようになりました。雲の間から見える陽の光や月明かり、それから木漏れ日や鳥の鳴き声など。きっかけになったのは、こんな言葉でした。

漏れちゃう。のは本当にダメなことなのだろうか?
(中略)
工学=制御のためには境界線をきっちり引くことが好ましいけれど、それは世界に共にあるあり方として、あまりに不自然ではないか?それはとことん「外側」から世界を見る見方なのではないか?境界があまりに強固なところには、恵みも、出会いも、気配も生まれない。内部から世界を見るとき、漏れているものたちが、結果的にたくさんの縁を結んでいることに気がつく。漏れているものたちは、私たちに、それを手当せよ、創造性に参加せよ、と呼びかけているのかもしれない。「漏れなくすること」も大事だけど、「漏れること」の価値もある。
                            

RITA MAGAZINE テクノロジーに利他はあるのか? 未来の人類研究センター編

現代の一つの価値観ではダメとされていることも、見方を変えれば大事なヒントが隠れているのかもしれません。

梅雨

さて、日曜日からの季節は「梅の子黄ばむ」という季節。

本格的な梅雨の時期が始まりそうです。今年はどんな梅雨になるでしょうか。大雨に備えて防災品の点検でもしようかなと思います。

どうぞ素敵な週末をお過ごしください。


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