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「美しい世界」とは

観劇してからしばらく経ってしまいましたが・・・。

6月16日に、東京芸術劇場にて、
モダンスイマーズ「ビューティフルワールド」を観てきました。

生まれてから何をやっても冴えない男がいた。もう40を越えていた。彼女もいない。仕事がデキるわけでもない。友達もいない。家では専らゲーム。アニメ鑑賞。このまま人生が終わり死んで行くのだろう。そう思っていた。

長年連れ添った夫から全く愛されていない妻がいた。日常から謂れのない言葉をぶつけられる。これは世にいうモラハラ、パワハラというやつではないか。言葉のDVではないか。いや、実際小突かれたりするときもある。DVだ。私は全く愛されていない。娘も私を馬鹿にしている。このまま人生が終わり死んでいくのだろう。そう思っていた。

二人は職場が同じだった。そこは女の夫が経営している職場だった。休憩の時に少し話すくらいの関係だ。次第に少しずつ関係を深めていく二人。女は家を飛び出し、男の部屋で住むようになる。セカイの片隅で寄り添うように暮らしていく二人。
純愛。

この二人のセカイに何が残るのか。

(画像・テキスト共に http://www.modernswimmers.com/nextstage/より)

なんて世界だ

生きていると、時々目の前の現実から逃げたくなる。隣の芝が青く見えることがある。そんな時は、虚構の世界に向かう。美しい世界を見る。そうして自分が生きる世界へ戻っていく。自分の世界も、きっと本当は美しいはずだと願いを込めながら。

だけど、虚構の世界が美しさが強くなるほど、自分が生きる世界は汚く厳しく辛い場所に見えてくることがある。戻ってくることが嫌になる。逃げ続けたくなる。それでも戻らないと食べていけないので、目の前にある現実を細目でにらみつけるように戻ってくる。

あれ、おかしいな。きれいな世界を見に行ったはずなのに、目も心も、かえって少し淀んでいる気がする。

彼も、ずっと現実から逃げ続けている。何をやってもできないから、自分は何もしないほうが、関わらないほうが人のためになる。死ぬ気にもなれない。だからこうして引きこもっていることが一番いいんだ、と。

劣等感。それを許さないプライドが、現実世界へ戻ることを拒絶する。

**

現実に現れた虚構**

職場で怒鳴られ、家でも拒絶される日々。でもその中で、ただ一人優しくしてくれる人がいた。

彼女は、かつて優しく愛してくれていたはずの人から、受けるいわれのない罵声と暴力を受け続けていた。挙句の果てに、自分の家族が守ってきた店を台無しにされ、その責任すらも押し付けられた。娘にも変人扱いされ、意味が分からない、理解できないと言われる日々。それは反抗期というにはあまりにもひどい、存在を否定するかのような言葉の数々だった。

彼女も時々、現実から逃げるように虚構の世界に入る。音の波と言の葉に身も心もゆだねる。もう何回も聴いているから、辛いときはいつだって頭の中で再生できる。声に漏れ出ることもあるけれど、そんなことは気にしない。

現実時々虚構。虚構時々現実。
そんな日々を過ごしていた二人が出会う。言葉を交わし、時間を過ごすごとに、お互いがお互いを必要な存在になっていく。
虚構にしかなかったきれいな世界が、目の前の現実に広がり始めていた。

滲み始めた現実と虚構

きれいな世界は、彼の中で広がり続ける。
気がつくと、周りの人たちにとって、「何もしていない彼」が心のほぐしどころになっていた。何も知らないからこそ、言えることもある。

きれいな世界とそうでない世界の違いは何だろう。
一つ言えることは「きれいなもの」を見出せるかどうかだ。

かつてはきれいに見えていた世界でも、そうではなくなってくることがある。きれいさとは相対的だ。輝きに慣れてしまうと見出すことが難しくなる。

彼はすでに、ひとつの輝きに慣れ始めてしまっていた。

きれいな世界が、汚く厳しく辛い世界に変わる瞬間である。

なんて世界だ、でも、、、

彼が踏み出すのを恐れていた現実の世界。汚く厳しく辛くとも、そこで頑張って生きている人たちに、彼はどこか美しさを見出していたのかもしれない。
虚構でしか生きられない自分に汚さを覚え、現実世界こそ美しく、自分が居座るべき世界ではない、あきらめに似た感情を覚えていたのかもしれない。

そんな美しい「と思い込んでいた」現実世界は、彼の目の前で崩壊した。
人間の醜さがぶつかりあう光景。ドロドロで、でも後味は悪くない。
それを見た彼は、かつてないくらいの高揚感にあふれていた。

そして彼は、すべての虚構から全力で逃げた。

現実と虚構を何度も往来し、最後にたどり着いた世界。
その世界をどう思ったのか、彼は一言で答える。

美しい世界の、幕が閉じた。


というような印象を受けた作品でした。
モダンスイマーズさんの作品を見たのは今回で2回目でした。
(1回目の感想はこちら

今回の作品も自分の中で咀嚼することに時間がかかりましたが、
こうして書きだして追体験することで、少しだけまとまったような気がします。

美しいものって色々あるんじゃないかなと。
「美しい」ものと「きれいな」ものって必ずしも同じではなくて。
「生々しい」ものも「美しい」と思う時があるんじゃないかなと思いました。
きれいなものと、汚くて厳しくて辛いもの。この二つの存在があるからこそ「美しい」という感情が生まれるのではないでしょうか。

だから、この世界は美しい。

でもきっと、そんな世界を美しいなんて思い続けるのは簡単じゃない。

そうであれば、

「この世界も、悪くない。」

と思えるくらいが幸せなのかもしれません。

モダンスイマーズさんの作品はまだ2つしか見たことがありませんが、
共通しているなあと思ったのは、
限りなくリアリティのある、きれいだけじゃない世界の中に、人の心の美しさを垣間見れるということ。

単純に観て楽しい、面白い演劇も好きですが、
こういう演劇作品のほうが、実は個人的には好きなのかもしれません。
そう思えた作品でした。観れてよかった!

本日はここまで!
最後まで読んでいただいたあなたへ、些少ながらの感謝を。


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