220425『なんで?を考えなくなった大人たち』
おはようございます☀
入力のためにキーポードを購入したものの、noteの投稿するときには、縦画面にしか対応していないことに気がついた
『小学2年生から後輩と呼ばれている男』ふらっとです。
さて。
今日は午後から学童だったので、午前中はのんびりと過ごしていました。
お昼に釜玉うどんを食べたあと、Facebookのグループでこのようなことをつぶやいてみました。
この質問を投げかけると、予想通りこんな質問が返ってきました。
グループの中では答えなかったのですが、このnoteでは書いておこうと思います。
先月このようなやりとりを子どもとしたんです。
それはね、空には雲があるでしょ。雲は水でできているのね。その水が耐えられないよう〜って落ちてくる。それが雨だよ。と答えたのですが、こどもはへぇ〜という感じ。
おそらくわかったような気もするし、よくわかっていないと思う。けれども、その子どもにとって、最善手だったと思っている。
もちろん、時間があれば「一緒に調べてみよう」と言うこともできるし、図書館に行くことだってできる。
でも、そのときはできない。いや、しない。
その子にとって、ベストではないからだ。
時には自分で調べることも必要かもしれないけれど、その瞬間では絶対に不適切。
じゃあ、いいや。と調べることはおろか、その疑問すら忘れてしまうはずだ。
そしてなによりもその子は、『疑問に感じることそのもの』すら減ってしまうのだ。
もしも、ぼく以外の誰かがそのように質問を受けた時、このように答えることもあるだろう。
「雨なんて降るものなんだよ。そういうものなんだ。」
控えめに言って、クソだ。
子どもの疑問を否定し、感情すら否定している。
申し訳ないけれど、子どもの前に立たないでほしいとすら感じる。
しかし、ぼくがなぜこのような発言をしているのかというと、過去に少なくとも一回はそのような対応を受けてきたからである。
だからこそ、問うのである。
そうすることで、何か変わるかもしれないし、何も変わらないかもしれない。
けれども、何も変わらないのであればなぜ変わらないのか?
変わったのであれば、何がどのように、どうして変わったのかを考えてみるといいんじゃないかと。
ぶわぁと考えての投稿だったので、うまく書ききれていないかもしれないけれど、投稿したきっかけはこんな感じ。
今日noteを読んでくださっている方も、よければ教えてください。
あなたが「なんで?」「どうして?」と思ったことはなんですか?
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