今までの想い
まえがき
学び創造舎ムゲンダイを構想し半年が経った。ここでは、これまでの自分自身の想いの変化、これからの目指したいと思っている方向性、今からできると信じていることについて書き残すことで、今後の自分へのメッセージとして届けること、又この想いに共感してくださる方との情報等の共有をすることができると信じている。
第1章 -コロナショック-
2020年1月。新たなウイルスが中国で蔓延し、日本には来ないだろうなぁと思っていた矢先、日本へも上陸した。
上陸したら拡がるのはあっという間で、2020年2月27日午後6時頃、当時の安倍前総理大臣から全国一斉休校の要請が入った。
当時、授業の流れを練っていたわたしは、ほかの先生が「えっ、明日から全国で一斉休校だって!!」と職員室の中でつぶやいたのを耳にした。わたしは耳を疑った。「えっ、明日から休校?」職員室は騒然となり、教頭先生がテレビをつけた。報道の内容は同じだった。
授業?いや、思い出づくりだ
その後、授業の流れではなく、授業を組み直した。翌日以降、テストができないかもしれない。子どもたちと会えないかもしれない。そう思いながら時間割を組み立てて帰路についた。そして帰宅後、朝の3:30まで子どもたちへの手紙を書く時間をつくった。朝の5:30まで寝床に着いていたが、1時間後には学校にいた。
テストを合わせて6枚解いてもらい、ぼくは残りの時間を遊ぶ時間、荷物をまとめる時間とした。結局、この選択肢が正解だったなぁと思った。というのもその後翌週から一斉休校が決定したからだ。しかし、想いを綴った手紙は、他の先生にも相談し、その日には配布しなかった。結局、休校になってから1ヶ月間。学校が再開されることはなく、通知票に同封して、手紙を渡すことになった。子どもたちは驚いていたが、読んでくれていたように見られた。
この休校期間中、ぼくにはどうしても納得できないことがあった。親の事情で子どもを預かることになったのだ。さらには子どもを預かっていても教員は授業をできないのだ。
「何のための教員なんだろう?」ぼくは考えた。うんと考えた。ずっと考えた。どうして子どもたちが学べないんだろう?どうして子どもたちが遊べないんだろう?って考えたけれど、ぼくにはわからなかった。
どうして子どもたちが学べないんだ?
そんなモヤモヤとしていたとき、神前さん(以降、ざるさん)からDMが届いた。
こんばんは^ ^
教育プラットフォーム設立のチャレンジをスタートしました!
共感していただけましたら、各種SNSでのシェアやお知り合いへの紹介に協力していただけるとうれしいです。
よろしくお願いいたします🙇♂️
当時の私自身はクラウドファンディングなんてことを知る由もなく、500円たりとも支援しなかった。ただ、ふとしたことをきっかけにぼくはクラファンによって、人生初めての支援をした。そのリターンはオンラインセミナーの参加権だった。その時は18個のオンラインセミナーに3300円で参加することができる。というものにお得感を抱いて購入していたのだが、今となってはこの選択がなければ今の私なんて存在しないし、なんなら先生としてつぶれてしまって、多分病院にいる。
気付き 〜理想の教育観〜
ついに私は、ざるさんのクラファンに支援をした。そして支援したことをきっかけに、どんどんわたしは学び続けた。様々なクラウドファンディングによる支援をし続け、今となっては30件以上になる。オンラインでのセミナーにも参加し続け、今となっては100回以上になる。
沢山のセミナーに参加していったのだが、私はお盆の真っ只中に開催されたイベントの中で『学び創造舎ムゲンダイ』への自身の想いに気付くことができた。
学びたい人が 学びたい人から
学びたい人と 学びたいことを
学びたい時に 学びたい場所で
学びたい方法で 学ぶことができる
詳しくは、第3章 -わたしの夢- に書くので、読んでいただきたい。
第2章 -学びの三密-
2020年5月。ざるさんから紹介されて2ヶ月経ったある日のことだった。ぼくは支援をした。
18講座で3300円ならお得!
登壇された方々は、どの方も面白くて今も繋がっている方がたくさんいる。
takuyaさん、チャーリーさん、ジーコさん、じんぺーさん、あゆみんなど、たくさんいるのだが、学校の先生じゃない率の高さよ。
そんな登壇者の話は学べることばかりで、学校なんかじゃ学べないことばかりだった。多くの学びがあったので、ここでは二つだけ取り上げようと思う。
学生という立場で『教育』と向き合う
一つ目は、TeacherAideとlightfulを紹介したいと思う。
TeacherAideは、じんぺーさんとかんのすけさんが共同代表を務める【教員1人ひとりを幸せにする】という究極のビジョンを掲げた学生団体だ。
lightfulは、あゆみんが代表を務める【生徒一人一人にスポットライトを】というビジョンを掲げた一般社団法人だ。
なんという偶然か、じんぺーさんもかんのすけさんも亥年生まれだそうだ。昨年度も学校の外で学んでいたが、その中にも亥年が多いのだ。なんだか、それだけでおもしろい笑
先生、学校って行かなきゃいけないの?
この記事を読んでいる方は、どんな方なのだろう?学校の先生だろうか?学童の支援員だろうか?学生だろうか?サラリーマンだろうか?ママさんだろうか?パパさんだろうか?どんな方であっても、今一度問いたい。「学校って行かなきゃいけないの?」って、子どもに聞かれたらどうしますか?
ぼくだったらなんてこたえるんだろう?
うーん。行かなくてもいいんだろうけど、行かないで何をするの?
どうしたの?なにか学校であったの?
こんな感じかなぁ?みんななら、どうやって答えるのかな?
どうして?学校に行きなさい。
なにかあったの?なんにもないなら行きなよ。
じゃあ、とりあえず今日だけね。
どうやって返事する?
人生を変えた問い
わたしは、学生やフリースクールの代表、学童支援員、放課後等デイサービス職員、支援員など様々な立場の人たちと学び続けていた。ほぼ毎週のように話を聞いては記録を取っていた。そして、あるとき気がついた。「あれ?みんな同じようなこと言ってない?」そして、ふと思った。ぼくはいろいろな人から学んでいるように感じるのだけど、ざるさんが紹介してくれた人から学んでいる。すごく楽しい。
学びって、
学ぼうって思うから
学ぶんじゃないだろうか?
そして8月。わたしの想いに問いかけた。
ふらっとくんの理想の教育ってなに?
みなさんはどんな教育だろうか?
はじめわたしは「島流し教育をしたい。」といっていた。制限されていても、それらの活動の中にはさまざまな発見があるだろう。その活動の中に学んでいくことはたくさんあるだろう。と思っていたからだ。そして、少しずつ考えて、自分の中にひとつ浮かんだのだった。
第3章 ー主体的に学ぶー
【主体的・対話的で深い学び】という言葉を聞いたことのない教育関係者は少ないだろう。では、主体的な学び、対話的な学び、深い学びとはそれぞれなんだろうか?
対話的な学びは、子どもたち同士で意見を出し合い、子どもたちが活動していくことで学びが展開されていくイメージですね。
深い学びは、ある問題を解決していく際に、調べたり体験していくことで新たな問題を発見し、それらの問題を解決していくイメージですね。どんどん深いところまで学んでいきます。
主体的な学びは、子どもたちが自ら学習し、活動していくことで行えるイメージです。わたしがここで問いたいのは、学校で行っている学習は本当に主体的に学んでいるのか?ということです。
授業のある一つの場面を思い出してほしいです。あなたは挨拶の後、今日は子どもたちが興味をもつことができるようにするために、授業の導入に力を注いでいませんか?もちろん、子どもたちが「まったくわからない」状態のものを「ほとんどわからない」状態にし、「なんとなくわかる」状態まで到達できるサポートが必要かもしれません。ですが、毎回のように授業の導入を考え、展開も終末も考える。すごく理想的な学校教育かもしれません。
一回立ち止まって考えてみてください。
「毎時間・毎日・毎週・毎月、一年間同じクオリティを全科目で行うことができますか?」
会議も成績処理もあるのに
できるわけないじゃん
そう思いませんでしたか?そうなんですよ。できるわけがないんですよ。うまく仕事を処理しない限り。
そもそも毎回同じクオリティを
出せって無理でしょ?
ぼくは毎回同じだけのクオリティ。いや、毎回少しずつ高くなっているクオリティを目指したいですよ。でも、無理ですよね。
学校をやめることにした……
ぼくは学校教育の中に、難しさを感じました。これはネガティブな理由に捉えられるかもしれません。だからこそ、ぼくはもっとポジティブな理由を見つけようと思うようになりました。なぜ、学校の先生を辞めてまで学び創造舎ムゲンダイを立ち上げようと思ったのか?
ふと思い出しました。
ぼくは小学生の時に「ゲームクリエイター」になりたかったな。その夢って、どうしてあきらめちゃったんだろう?
ぼくは大学生の時に「中学校の理科の先生」になりたかったな。その夢って、どうしてあきらめちゃったんだろう?
子どもたちに夢は何ですか?と質問をする。すると、子どもたちは「わからない」と答える。別に、決まった職業なんて言わなくてもいいはずなのに、「わからない」と答えると質問した人は「なりたい仕事が見つかるといいね」と笑顔で伝える。
あれ?将来の夢って「なりたい仕事」を答えないといけないんだっけ?
夢を伝えること…
「ぼくはこんなことをしたいんだ。」と気軽に子どもたちが伝えることはできているだろうか?そして、その想いをできる限り受け入れて叶えることはできているのだろうか?叶えることはできなくても、受け止めることはできているのだろうか?と考えてみる。
受け止めると受け入れるは言葉としては似ているけれども、似て非なるものだ。受け入れるとは相手の言葉や行動をそのまま了承することを示し、受け止めるとは相手の言葉や行動は理解するが了承はしないことを示す。
果たして、今までの自分の体験を振り返ってほしい。こんなことをしてみたい。と誰かに伝えたことがあるだろうか?そして、その想いを全力で受け止めてくれる人がいただろうか?その受け止めることをあなたの子どもにしてあげただろうか?ときには想いを受け入れて一緒に行動していっただろうか?
これらをやろう!と思った時、いろいろな問題が発生することは目に見えていた。資金面の問題、時間的な問題、空間的な問題、法律的な問題、社会的な問題などわたしにまだ見えていない問題は山ほどあるはずだ。だが、今の状況が再就職に不利だとか、経済が回っていないだとかいう状況であっても、子どもたちの学びを止めてはいけないのは不変の事実のはずだ。
子どもたちの学びを止めないためには、まずは私たちが学んでいくことが必要で、学んでいく姿(ロールモデル)を示していき、ぼくもやりたいを引き出した方が面白くなるはずだ。
たぶん、子どもたちは子ども同士で学び合い、高め合い、支え合う力をすでに持っている。何もしなくても子どもたちだけで何とかできるだけの力を持っているはずでその力を十二分に引き出したほうが、奇想天外の意見を出して、「なんかいい」が生み出されるかもしれない。その可能性にかけてみたい。無限に広がる可能性を信じ、子どもたちと一緒に「それイイね!」「えっなんか違くない?」と対等な立場で関わりたいと思った。
それらを叶えるには、ものすごく膨大な時間を一人一人に注いでいかないとならないかもしれない。やったことないから多分わからない。けれど、ここには無限の可能性がある。子どもたちの夢が形として現れるかもしれない。
けれども、一度子どもたちが「こんなことをしたいんだ!」ということを一緒に叶えていったら、頭の冴える子どもたちのことだから、アレってここに使えるよね。と次第にできるようになってくるはずだ。難しければ、それを一緒にやってみたらいいんだと思った。多少間違えたって死なないんだから大丈夫。楽しみたいじゃん。
だからぼくは学校の先生を辞めることにした。お金を手に入れたり、時間をつくったりするには、公立の学校の先生というのは非常に不都合だからだ。立場は守られているかもしれないが、面白さが激減している。と感じたのだ。そしてぼくはプラットフォームをつくることにした。「やりたい」を伴創する学び舎として、学び創造舎ムゲンダイを立ち上げたのだ。
第4章 ーつながりー
学び創造舎ムゲンダイを立ち上げるにあたって、さまざまな人が関わってくれた。
・どうしてぼくはこの場所をつくりたいのか?具体的な想いを引き出してくれた人がいる。
・学び創造舎ムゲンダイのロゴをつくってほしい!と連絡を取り、時間を見つけて何案も示してくれた人がいる。しかも、ホームページ作成に向けて必要な素材を追加で用意してくれた。
・学び創造舎ムゲンダイのCMを作ってほしい!と依頼し、忙しい中時間を見つけて素材を見つけ出し、素敵なCMを編集してくれた。
・学び創造舎ムゲンダイのCMを掲載するためのチャンネルを作成し、1人目のチャンネル登録者になってくれた。
・学び創造舎ムゲンダイのHPをリニューアルするために、一生懸命にいろいろな提案をしたりイラストを描いてくれたりした。
・学び創造舎ムゲンダイのクラウドファンディングに支援をしてくれたり、広めてくれたりした。
関わり方は多種多様で、その瞬間に必要なことをぼくの仲間たちは手伝ってくれたし、支えてくれた。本当にありがとう。
そして、今までもたくさんの人に支えてもらって、応援してもらったので、わたし自身が成長できたのだが、この支えてもらった、応援してもらったことで終わりではなく、子どもたちにも同じようにしてみたい。
その子にとって必要な応援を、必要な時に、必要な量だけ提供できる人でありたい。
応援のプロになろう
応援といっても、方法はひとつじゃない。
①金銭的な支援
クラウドファンディングや募金活動がここに当てはまる。活動を行うのに必要なお金を支援する。
②空間的な支援
場所を提供する方法だ。あらゆる活動をするには場所が必要となる。「そんな場所をどうぞ」と提供する支援もあっていい。
③物資的な支援
あらゆる装置や物品を提供する方法だ。実験をする際の装置はときには何百万、何億円と言う単位で必要になってくる。それを買うとなると、もう個人でどうにかなる領域ではない。そこを支えてくれる人がいたっていいと思う。
④心理的な支援
何よりもここが大切だと思う。あなただから応援しているよ。どんな状況であっても、自分が嫌われるリスクを抱えてでもサポートすることのできる人。その人が応援してくれたら強くなる。最強の仲間をもったといってもいいと思う。仲間がいれば、なぜか頑張れてしまうのが人間で、そのとき可能性がグーンとあがると信じている。
もしかしたら他にもあるかもしれないけれど、ぼくに今見えているのはこれらの応援のスタイル。ぼくは相手がいいなって思ったら応援していく。時に、あれ?思ったのと違うと感じることが有る。それは一種の学習に必要なお金だったと考えてみるのもありかも思った。
ただ、ぼくは感じた。あれ?なんか違う?と思ったら、その人の信頼もなんか減ってしまうことに。
そして、応援することのできる仲間を見つけると会いたくなる。そして、実際に会うと何だか居心地が良いのだ。これがら本当の居場所なのかもしれない。そう思った。
そして、今わたしは仲間の大切さ、仲間が実は近くにいたんだということ。ぼくが信じきれていなかったのだということ。を感じるようになってきた。
今いる仲間を大切にしたい。と言いながら、信じることができていない。ぼくはそこをもう少し改善していきたいと思った。信じなければ、信じてもらえない。ぼくはこれから信じていこうと思った。これを書くと、読者はどう思うだろうか?けれど、ここまでの文章を読んでくれる人なら信じられる。だって、ぼくの思いを読んでくれている。その思いが受け止められるのか、受け入れられるのかわからない。けれど、時間を費やして読んでくれたあなたに感謝したい。ありがとう。
ぼくは今まで思いを十分に伝えきれていなかった。好きな人に好きと言えなかった。わからないのに「はい」とわかったふりをしていた。できないことを受け入れていた。
それは結構大変で、つらくて、逃げ出したいこともあった。なんとかもがいてもがいて、改善しようと思ったけれど、よくできなかった気がしている。
けれど、この記事を読んでくれている人となら、がんばれる。いや、がんばりたい。いや、読んでくれているあなたと一緒に楽しみたい。
今まで応援してくれてありがとう。そして、これからも応援してください。応援してくれるあなたのことをぼくも応援したい。だから応援してくれる人は思いをぼくに伝えてほしい。ぼくも応援したいから。できるだけ楽しみたい。おねがいします。
じゃあ、またね。
(7,035文字)
2021年4月2日 ふらっと