畏怖

畏怖とはなにか?

そう聞かれて、辞書的な意味を答えてしまうことが多いだろう。

だから、畏れることであったり、怖さを感じることであったりを想起するケースが多いように思える。

もちろん、これらは間違っていないし、むしろ合っているとさえ思う。

でも、こんな単純に決めてしまうのはもったいないので、改めて畏怖という感情を考えてみたい。

畏れる

この畏れるには、どんな意味があるのだろうか?

気になって調べてみると、どうやら『相手の力に押されて心が弱くなること』を意味するらしい。

つまり、相手から何らかの圧力を感じ取って、動きが弱くなったり、動く気力がなくなったりすることこそ、その相手に対して『畏れ』を感じているのだろう。

恐れ

この恐れについても辞書で調べてみることにした。

どうやら、恐れとは『不安を感じている様子をあらわす』言葉であるらしい。

つまり、『原因を問わず、不安を感じている時』人はそのものに対して恐れていることになる。

畏怖

ここまでを踏まえて、畏怖について捉えてみると、「『畏れ』と『恐れ』どちらが先に起こっているのか?」という疑問が浮かんできた。

おそらく、相関関係はあるだろうが、『畏れ』と『恐れ』との間に、因果関係はないだろう。

例えば、指導教官の言葉の圧力に対して心がやられてしまうことで、畏れをなしてしまい、不安な気持ちを抱くからこそ『畏怖』を感じる。

ほかにも、過去の失敗を責められた経験から、いまだに挑戦したことのないものについてまでも『できないんじゃないか?』という不安を覚え、そんな不安が心を弱めてしまった時にも、ある意味『畏怖』を感じている。

『心が弱くなること』という基準によって、畏れをなすのか?はたまた恐れになるのか?は変わる可能性はあるが、心が弱くなるほど押されている状況ということが、畏怖という言葉を使うことがよいのだろう。

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