#0917『話すのが大好きなふらっと』
おはようございます。
そもそもとして、ある場所が居心地のよい場所にならなければ、何にもできないよなぁと感じました夕方を過ごしていました。
めちゃくちゃ喋った1日
さて、昨日はですね。たくさん喋った1日でした。
午前中、友人とひたすら居場所や仲間について哲学チックな対話をしました。
居場所ってどんな場所?改めて考えてみると、「高校生の時の○○は居場所になっていたなぁ」と、なくなってから気づく。
だからこそ、人は居場所を求め続けているのかもしれない。じゃあ、どんな場所がいいんだろう?って思った時、それは恩送りが行われている場所なのかもしれない。
恩送りはgive&takeが双方向で行われていること。でも、この恩送りには一つの大切な要素があると思った。それは「余計なお世話だけど…」と送る側が思うこと。
あくまで自分がそうしたい!と思うから行動しているのであって、相手にとって求めているものとは限らない。例えば、本人が1人でやりたい!と思っているところに手を貸したとしても、はっきり言って邪魔なことだってあるからだ。
としたら、その恩送り(give)というのは錯覚で、単なる贈り物(gift)に過ぎない。おそらく、求められているのはgiftではなく、giveであるから、受け取ってくれてありがとうっていう感謝の気持ちも忘れずにいたい。
で、その後は『好きだから魅力を感じるのか。魅力があるから好きだと感じるのか?』というテーマで哲学対話をしました。
ぼくは『この人なんかかわいいな』って思うことがあって、そのかわいいって思うことは『魅力がある』のかもなぁって、今は感じています。『その人のことをもっと知りたいなぁって思うのはなぜだろう?あ、それって好きだから?』っていう考えにもなります。
昨日の話の中で、好きだっていう想いも、この人いいなぁっていう魅力も同時に出てくるよね。っていう話も出てきて、好きだから魅力を感じるし、魅力を感じるから好きだと感じるし、その両方なのかもしれません。
ただ一つ、事実として言えるのは『その人が頭の中から離れてくれないこと』忘れたいのに、どうして頭から離れないの!?というのはそういうことなのかもしれません。
でも、あいつのこと嫌いなのに!という言葉もあるように、それって頭の中を離れていないんですよね。だからこそ、好きの反対は嫌いではなく、無関心なんですよね。好きと嫌いは紙一重ってきっとそういうことなんです。
で、その後は学習支援教室に行きました。7〜8人くらい来る予定が2人しか来ませんでした。『1人は外の風に当たったら爆発するから』という理由もあって、なんだかなぁという感じです。
子どもから「知らない人ばっかりだし…」という言葉や「高校説明会行ってないんだよね。」という話を聞いても、具体的な子どもへの対応を迅速に行なえない。どう考えたって、子どもにとっての居心地のよい場所になっていません。
『親に行かされている』と思わせたら負けで、なんとしても『親が行かせてくれている』と思わせたら勝ちです。そもそも、それが成り立っていない場所で『教育』が成り立つわけがありません。成り立っていない場所には『勉強』があったとしても、『学び』が最大限発揮される場は存在しません。中学生は想いを伝えられます。周りの大人によってそれを制限されているだけに過ぎない。
学校での活動が減った今だからこそ、求められるものってあるんじゃないでしょうか?
命があってこその学びというのはわかりますが、だからといって学びを放棄してはいけないとぼくは思う。
その後は、HILLOCKの座談会に参加したり、理事会に参加したりしました。述べ10時間くらい人としゃべっていて、声を出していない方が珍しいのかもしれません笑
テーマ『仕事』
仕事とは『価値のあるものを用意し、受け取り手にそれを認めてもらうこと』です。
で、『価値のあるもの』は、相手に感じてもらえばいいじゃん。ってずっと思っていました。でも本当は違うなと最近感じています。
『価値』は考える以上、次の義務や権利が同時多発的に生まれてきます。
選んでもらう人に価値を示す義務がある。
その価値を見て、選ぶ権利がある。
示した人に理解してもらう義務がある。
価値を知るために、理解しようとする権利がある。
選んでもらった人に体感してもらう義務がある。
価値がある可能性を認め、体感する権利がある。
フィードバックを受けようとする義務がある。
体感しフィードバックを行う権利がある。
それらを適時対応していくことが仕事なのではないか?と思います。
みなさんはどう思いますか?
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