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白黒つけられない、菜食と肉食の迫間で

おそらく、ものごとに絶対的な善悪はない。
光を当てる方向を変えれば、影が落ちる方向も変わってしまう。

この部屋で幾人のものづくりの担い手をお迎えしてきた、聞き手のキルタと書き手のはし かよこ。そのふたりが、この日は話し手になった。

テーマは、「お肉を食べること」について。
少し前まで普通にお肉を食べていた2人が、今感じている肉食への違和感。二項対立に陥りがちなトピックに、さまざまな方向から光を当てながら、素直に今感じていることについて語り合った。

答えのない問題を、この部屋はただただ黙って包み込んでくれる。
とある日の『Flat Share Magazine』。

ドキュメンタリー映画『Dominion』の衝撃

はし かよこ(以下、かよこ):キルタくんはなんでお肉を食べなくなっていったんだっけ?

キルタ:1年くらい前までは、糖質制限とか気にして、サラダチキンとかローストビーフとか逆にタンパク質求めて肉ばっか食ってたんだよね。『WWF Japan』とのお仕事が結構大きなきっかけでもあるのかな、環境問題について色々考えるようになって。その前からも『エシカルスピリッツ』『罠ブラザーズ』とか、エシカルやサステナブルに向き合ってる人との仕事が増えていて。

かよこ:なるほど。

キルタ:それで自分の中でも、環境や動物との関係について考える機会が増えていったって感じかな。

かよこ:考えるようになったのは、肉食 = 環境に負担がかかるみたいな話?

キルタ:どちらかというと環境問題の話が先だったかな。正解はないということについて、いろいろ調べていく中考えたね。

例えば、プラスチックの問題ひとつ取っても、実は紙ストローにするだけが正しいわけではなかったり、全部を紙ストローにすることよりも、ちゃんと分別することの方がもっと大事だったりとか。

かよこ:絶対的な正解があるわけじゃない、と。

キルタ:本当に突き詰めて考えてる人たちと仕事をすると、絶対に正しい答えなんてないことが分かるからさ。1回のアクションとか1回のキャンペーンやPRで解決できない問題だけど、ただただやる。終わらないマラソンというか。ずっと考え続けていかなきゃいけないんだなっていうのが、常にある。

かよこ:そうだよね、複雑。

キルタ:で、だんだんと環境や動物への意識が高まってきてた中で『Dominion(主に豪州の畜産業界の裏側を捉えたドキュメンタリー映像)』を見て。

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かよこ:『Dominion』、強烈だったもんね。

キルタ:そう、それが強烈すぎて。

かよこ:『Dominion』を見た日を境に、肉食に対してのスタンスが変わったっていう感じなの?

キルタ:変わったよ。変わったというか、もうあれが決定打かな。

かよこ:コップに水が溜まってたところに、最後の一滴を落とされたみたいな感じだ。

キルタ:そうそう。『Dominion』はかよちゃんから教えてもらって、いつか見たいなと思ってて。それまでにも、YouTubeで家畜の映像は見たことがあったけど、まだそれはただの映像だから。『Dominion』はナレーションとかもあるし問いかけてるしね。

かよこ:ドキュメンタリーだもんね。

キルタ:そうそう、メッセージ性があるから。えるちゃん(この部屋の住人の一人でもある 赤澤える )と一緒に見たんだけど、その日を境にだね。

そこで出てきた家畜のお肉って、栄養価としては問題ないし、食べたら美味しいのかもしれないけど、倫理的でないプロセスで処理された肉を自分の体に入れること自体が...。ちょっと気分が悪いというか...。

ミートボールとかつくねとか、ウインナーとかが、もういろんな魂の破片がぐちゃぐちゃにまとめられて蠢いている感じに見えちゃって。

かよこ:そういう見方をすると確かに食べられないね。

キルタ:生まれる前から食べられることを目的に人間の手で作られた命で、遺伝子操作されて太るように改造されてたりとか、そのせいで成長すると自分の重みに耐えきれなくて歩けない状態になっちゃうとか...。

だから、食べたくないというより、なるべく食べないようにしていて。お店に行っても自分では肉料理は選ばない。ってなると、もう外食の選択肢がないわけよ。

かよこ:本当に選択肢ないよね。おかずがなくなっちゃう。

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キルタ:豆とか野菜でお腹いっぱいにするのも難しいじゃん。だから食欲も湧かなくなってくるし、食べるのも面倒みたいな。ちょっと前までは本当にそんな状態で食べてなかったけど、今は自分ではフレキシタリアン(時には肉や魚も食べる柔軟なベジタリアンスタイル)だなと思ってるけど。そうせざるを得ない場合以外は食べたいとは中々思えないかな、今は。

かよこ:ちなみに、大切に育てられた家畜もNG?

食べていい動物と食べちゃいけない動物?

かよこ:『100日後に食べられる豚(ペットのミニ豚を100日後に飼い主自らが食べるというフィクション映像)』っていう映像があったけど、あれはどう思った?大切に育てられてたけど。

キルタ:それで言うと、ちょうど肉を食べなくなった時期にマイクロブタの輸入業をやってる人に出会って。マイクロブタっていうのは、普通より小さい愛玩用の豚で、それも作られた品種ではあるんだけど...その方はマイクロブタカフェを運営してて。

かよこ:マイクロブタカフェ?

キルタ:いわゆる猫カフェのマイクロブタ版というか。ぶっちゃけ行くまでは少しだけ抵抗があったんだよね。お肉食べれなくなる前からだけど、動物園にもちょっと抵抗があって。人間が動物にそこにいることを強いてる感じが辛くて。

かよこ:動物を娯楽にしてるみたいな?

キルタ:そう。でも、その方には考えがあって。

豚・牛・鶏って、俺らは“食べ物”として教育されるじゃん。でも、犬・猫は“ペット”っていうラベルでインプットされる。だから、犬と猫を食べるって聞いたら「えっ!?」ってなるし、逆に豚や牛を飼うって聞いたら「へぇ〜珍しい」ってなるじゃん。同じ動物なのに、全く違う視点から動物を扱ってる。それってなんか偏ってない?っていうのが、その人の問いかけで。

愛玩用としての豚もあっていいはずだし、それが当たり前にならない限り、豚・牛・鶏はずっと食べ物としての動物になっちゃうよねっていう。確かにそういう考え方だとこのお店は良い機会でもあるなと思いつつ... この辺の問題はいろんな捉え方があるな...と。

『100日後に食べられる豚』は、その人から教えてもらって。70日目くらいから見てたんだよね。結局、あの動画は(たぶん)フィクションだったんだけど、個人的にはちょっとね、100日目の動画は...

かよこ:きつかった?

キルタ:きつすぎでしょ。自分が育ててきたペットに、塩胡椒とかかけられなくない?

かよこ:そうね...。

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キルタ:でも、これまで育ってきた環境、今住んでる国とか時代とか、色んなバイアスによってそう見えてるだけなのかな、とも思う。
人を生贄にしたり、死んだ人を食べるような文化が、もしかしたらあるかもしれないじゃん。だから、愛する者を殺して食べるって倫理的にどうなの?って僕らは考えちゃうけど、それは今のこの時代のこの文化の中にある倫理観なだけで。
仮にね、もし家族や大切な故人を愛を持って食す文化がある人たちがいたとしたら、その人たちにとっては全然変なことじゃない。

だから、これも解釈というか、どんな価値観から見るかっていうことだと思っていて。

かよこ:なるほど。どの視点で見るかっていう話でいうと、肉を生産する側の視点っていうのもあるよね。


食肉加工場で働く人々のこと

かよこ:キルタくんにも紹介したけどさ、『焼肉を食べる前に』っていう本があって。この本は、絵本作家さんが食肉加工場の現場で働いてる人たちを何人かインタビューしたインタビュー集なんだけど。

私も『Dominion』を見てから、屠殺場での動物の扱われ方ってすごい違和感があって。でも、一方で『罠ブラザーズ(鹿猟の罠オーナーになれるサービス)』で鹿猟の現場を実際に見たときは、何も違和感を持たなかった。目の前で鹿が仕留められる瞬間も、私は鹿に対してかわいそうっていう感情はあまり沸かなくて。それは、『Dominion』の中に出てきた家畜が殺されていくのを見たときの感情とはやっぱり違うな〜って思ってたの。

って、思ってたんだけど、『焼肉を食べる前に』を読んで、また考え方が変わって。加工の現場で働いてる人のことってあんまり自分は考えれてこなかったなと思って。自分は、アニマルウェルフェアや環境問題の観点からしか食肉について考えてなかったって気づいたの。

キルタ:確かに、『Dominion』では屠殺の現場ってすごく残酷な描かれ方をしてたけど、そういう現場があるのは、そこで働いている人のせいじゃないしね。

かよこ:結局私たちって食べないと生きていけないわけで。最近でこそ、私も色々考えて肉を食べる機会を減らしてるんだけど、生まれてから今まで、30年くらいさんざんお肉を食べてきたわけじゃん。そのおかげで、今の自分のこの体があって生きてるわけだよね。それって、誰が作ってくれてたのかというと、屠殺という作業をした人がいるから。

『Dominion』は、工業畜産やめよう、肉食やめよう、っていうメッセージを伝えるために編集されてる部分もあるから、そこで働いてる人間もかなり悪として描かれていたけど、『焼肉を食べる前に』のインタビューの中には、「お肉を食べてくれたお客さんが美味しいと言ってくれたときに、自分はその牛の顔が浮かびます。」ってお話ししてる人もいて。

キルタ:それって、『罠ブラザーズ』で仕留めた鹿の肉を食べるときに、鹿の顔が浮かぶっていう話と一緒なのかな。

かよこ:そうなんだよ。一緒なの。

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プロセスを知ることで見える景色

かよこ:本当に、肉食やヴィーガンを語るときっていろんな観点があるよね。畜産そのものが土地も水もめちゃめちゃ使うから環境問題にも繋がっているし、牛から出るメタンガスが気候変動にも繋がってるし。アニマルウェルフェアの問題もあるし。でも、一方で畜産を生業にしている人たちもいるし。

キルタ:そうだね。善悪をはっきり分けようとすると、畜産業界の人、肉を食べてる全ての人たちのことも全員否定することになりかねないから、それはちょっと違うよね。

ある意味逃げかもしれないけど、考えたり知ったりする機会が大事だから、子供には「肉を食べるのは良くない」って伝えるとかではなくて、もっとそのプロセスを知ってもらう機会を提供したいな。

かよこ:肉に限らずね、いろんなものが本当はどこから来てるのかっていうのは、知っていくべきだよね。

生命の循環や資源の循環を円で捉えるとしたら、我々ってもはや15度くらいの狭い範囲で生きてる。やっぱり、もっと知らないといけないし、知った上でこうやって人と話したりできる場がもっとあるべきだと思う。俺もだってまだまだ知らないと思うし。

かよこ:『TSUMUGI』ではね、まさにそういう循環を知る体験をしていきたいと思ってて、ちょうど今はお米を自分たちで作ってるんだけど、その中ですごい発見があって!

田んぼの風景って、もちろん見たことあるじゃん。すごい綺麗じゃん、苗が規則正しく、サーッと並んでて。でも、自分たちでやってみてわかったけど、無農薬で手植えだとああいう風にはならなくて。めちゃくちゃ雑草生えてきたの。

キルタ:そうだよね。

かよこ:本当に原っぱみたいなレベルで雑草生えてくるし、手植えだと真っ直ぐに植えるのも難しいし、真っ直ぐに植えてないと稲刈りするときも効率が悪くなっちゃって大変だったりとか...。今まで田んぼとして認識してたものと、実際自分たちでやってみた田んぼって全然違うなと。

畑も同じで。今、パーマカルチャーについても学んでいるんだけど...パーマカルチャーって、一言でいうと「持続可能な暮らし方」みたいなことなんだけど、パーマカルチャーの考え方で畑をデザインしようと思うと、ひとつの種類の作物をバーッて並べて育てたりはしないんだよね。

よく考えたら当たり前なんだけど、自然の中には一ヶ所にレタスだけがワーッて育ってる状況ってないじゃない?

キルタ:確かに。
富士の樹海みたいな人の手が入ってない森がすごい好きなんだけど。色んな木があったり、倒れてる木の上にまたなにか被さってたり... どこが地面が分からないくらいいろんなものが生えてたり。

かよこ:そうだよね。いろんな植生があるわけで。そのおかげで、森の中の植物たちは人間が肥料をやったり、耕したりとかしなくても、森の中でうまく生かし合いながら循環して、勝手に育っていくわけじゃん。

畑って、基本的には人間が食べたいものしか存在しなくて、その循環がないから、肥料を足したり、農薬撒いたりしないといけない。一方で、パーマカルチャーの畑って、なんだか一見畑に見えないんだよね。説明してもらわないと、どこに何が植わってるのかとか全然分からないんだけど、実はすごく綿密にデザインされてて。例えばこの子は虫が嫌いだから、この子の隣に虫が嫌いな香りを出す植物を植えてあげるとか。背の高い木の側には日陰が好きな子を植えてあげるとか。

うまく自然の中の循環のパターンを読み解いて、そのパターンを畑の中に再現するんだけど、そんなやり方を知った後に普通の畑を見ると、これって人の手が介在しないとあり得ない姿なんだなって改めて思ったり。でも、そのやり方じゃないと安定的に多くの人に野菜を届けるのはほとんど不可能だと思う。

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キルタ:そういうのを知ると全部を本当の意味での “オーガニック” で生産するってかなり難しいって分かるよね。だからやっぱり一概に農薬が良い/悪いとか、肉食が良い/悪いとか、善悪の判断ってできない。

かよこ:うん、知れば知るほど単純な話じゃなくなる。

キルタ:そこで自分の意見を持つことが大事なんだと思うけど、まだ俺の中では意見になってないんだよなあ... それでモヤモヤしてるのがここ最近。

かよこ:それは、ずっとモヤモヤするものなんじゃない...?

キルタ:その人の中での自分なりの答えを出してる人もいるじゃん。

そうやって色んなことを知ってくうちに、考えすぎて体調悪くなったりしちゃうのも良くないから、なるべく目を背けないように受け入れつつも、食肉になるまでのプロセスや命に感謝しつつ積極的に肉を食べるっていうことも一度やってみたりした。でも、答えはやっぱり分からないね。

かよこ:自分の健やかさが損なわれるのもやっぱり違うよね。周りの犠牲も、自分の犠牲も、できるだけどっちの犠牲も少なくて済む選択肢を常に考え続けたいっていうのは思うかな。

キルタ:自己犠牲ってのは違うよね。親の考え方で子供がお肉を食べずに育てたら、なかなか今の学校生活だと生きづらいだろうし。

だから、自分の子供に対してはどっちも知ってほしいと思う。食べるな、って言うのも違うし。やっぱり知ることが大事だね。でもある意味『Dominion』は見て欲しいなとも思う。ちょっとグロテスクってのもあるかもしれないけど、小学生のうちから知るべきだと思うよね。だって、事実だから。どういうプロセスで出来上がったものなのか、知らないで食べてる方がおかしいじゃん。

かよこ:もっと欲を言えばさ、あれってメッセージが入って編集されたものだから、できれば1次情報を取りに行きたいよね。自分の目でね。

キルタ:うん、命の授業をしたいわけではないんだけど、やっぱりこういう話をもっと自然できる世の中にはなって欲しいよね。

かよこ:普通はこういう話自体しないもんね。

キルタ:やっぱり話さないと考えないし、考えないとどうするべきかも分からないもんね。全ては話すきっかけがないと何も始まらないからさ。

かよこ:うん、答えが見つからないうちはモヤモヤすると思うけど、定期的にこうやって話すことが自分の考えを整理したりアップデートしたりするのに大事かも。

キルタ:隠さずに、早く答えを出すということもせずにいこうかなとは思ってるけど。

かよこ:そういう意味で、今回のこの話も隠さず素直に記事として出してみるっていうことだもんね。

キルタ:なにか考えるきっかけ、会話のきっかけになったらいいね。

かよこ:そうだね、今日はありがとう!


Photo by Kei Fujiwara

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