「自分自身の正義を疑う事」をした方が良いなと思うことが最近よくあるという話

最近の個人の感触としてSNSなどのネットの空気が殺伐したものになっているのを感じる事がある。
目に見えない大きな脅威に対してもそうだし、YouTube周りのことでもそれを感じてしまう事がある。

その上で言葉を発する時や表現をするときに今一度、立ち止まってから考える必要が大きくなっているのを感じている。

何かに出くわしたり事件が起こった時は個人的にまず一度「自分自身の正義を疑う事」をする。なんでも鵜呑みにするのではなく、早押しみたいにすぐに言葉にするのではなく、「一度持ち帰る、考える」事をする。
自分自身が絶対だという事はない、人間なので当然間違うという事がある。

表現をするにしてもやり方を間違えたり、目的を見誤るとどれだけ正しくても届かないし、誤解を招いてしまうことも十二分に考えられる。

損しなくて良いところで損をしてしまうのはもったいないと個人的には思う。

その上で「この言葉を外に出しても良いのか?」「数年後見た時に残っても大丈夫なのか?」「自分に言われた時にどう思うのか?」という事などのフィルターを通して言葉を発する。

匿名だからといって、発した言葉は早かれ遅かれ自分自身に帰ってくる。
その時に自分自身で責任が取れるのか、反省ができるのか、総括して自分自身の向上に繋げられるのか、そこを意識して発言をした方がいいと個人的には思う。

かといって、人間誰しも間違いはあるし、失敗もする。その時にちゃんと反省したり謝罪したりしてリカバーのために動けるのかどうか、そこに尽きていく。
無責任に投げ出したり、開き直ってしまうのは良いとは言えない。

その中でリアクションをするにしても、正義を振りかざしてや良かれと思ってという事も見受けられるが、「これってやりすぎじゃない?」という事がほとんどだなと感じている。
「あなたのためを思って」というのも「本当にそうなのか?」と立ち止まって考える必要があると思う。

ネットでの諸々に限らず、様々な事であったり

「何も考えるな」でもなく、「何も発するな」でもない。
今一度「自分の正義を疑う」事が必要だと思う。
物事に遭遇をして沸騰した時ほどそう思う。

自分自身も万能ではないし、絶対正義があるなんてこれっぽっちも思っていない。
(そう考えるのは少なくとも自分自身の成長や時間が進んで時代が変わるときなどには特に危険だと思う)
その上で迷いながら考えながら戸惑いながら間違えながら失敗をしながら学びながら、考える力と当事者として動ける力をつけられるし、しなやかに動き続けられるというのを感じている。

その上で言葉を発したり、表現をするにあたって「自分の正義を疑うクセをつける」「自分自身を絶対だとは思わない」というのを念頭に入れて、発したり表現したりする前に一呼吸ワンクッションつける事がどんどんと必要になっていくと思う。

それが出来ると後悔が小さくなるので、もっと精進していきます。

追記→その上で知識や経験を磨くのも大事だなと個人的には思っていて、それが自分自身の考えや決める事に対してすごく助けになってくれる。それらを備えた上で「自分自身の正義を疑う」事を始めとした今回書いた事がより力になると感じています。

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