違和感を見逃さないことの大切さ

ここ最近の話なのですが、改めて違和感を見逃さないでいるのが大事だなと感じる事がありました。
元々以前から色々な違和感を感じていたのですが、ここ最近で言葉に出来る出来事が重なりました。

特に違和感を強く感じるようになったのは2020年から。

2020年から広く各種感染症が猛威を振るっています。
一時は広く感染症対策が取られ、インフルエンザなどの今まで多く発生していた感染症がほぼない状態になっていましたが、
2023年以降の5類化やマスクの任意化などで広く取られていた感染症対策が狭くなってしまい、現状の各種感染症が猛威を振るっている状態です。

その状況下で感染症対策を続けているが、個人的にモヤがかかった事がいくつかあったが、うまく言語化ができていなかった部分がありました。
違和感に関しては陰謀論的な意味合いではなく、生活を続けていく中でどんどんと膨らんでいきました。

2024年の10月ごろから立て続けに今回のnoteを書くことにつながっていることがいくつか起こった。

例えば、SNSでファッションイベントでのアイドルのウォーキングでの事や、
(こちらに関しては記事にしています)

大物お笑い芸人が裁判を取り下げたことや、アメリカの大統領選やとある県の知事選に関することであったり、
色々な極論がSNSやネットで繰り広げられる中で、現実を見ると何事もないように回っているように見える。

そういった中で、どこかに違和感を感じる。
「ネットの中に真実がある」とか、「マスメディアに真実がある」というような話ではなく、
「この違和感の中にモヤを解く鍵が隠されているのでは」という事です。

SNSや各種動画メディアなどのネットにも、テレビや新聞のマスメディアにも情報はあるのですが、どちらにも真実があるというわけではないです

それらの中にある違和感を見逃さず言葉にしていく事が必要だと考えます。
具体的でなくても、単語だけでも、場合によっては絵であったり、記号であったりでも、何かしらを残すことが大事だと思います。

そこから先はそれぞれで、調べて掘り下げたり、自分の頭や生活などで考えて知見を溜めたり、
その上でこういった文章をネットに出す形でのアウトプットになるのか、動画でのアウトプットになるのか、それとも身近な人たちに伝えるのかなどさまざまなルートがあります。

少なくとも違和感を見逃さずに、自分の中で言葉などの何かしらの形にできることは必要だと考えます。

その上でそれを丁寧に怒鳴り上げずに伝えることを続けていけるようにしていきたいとも思うようになりました。

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