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人間の本性って、本当は○○の時に見えると個人的に確信した話
人間の本性に関して、最近実感した事柄から、以前から考えていた事が確信に変わった出来事がありました。
先日の話になるのですが、仕事の対応で恥ずかしながら相手方と揉めた時がありました。
こちらは伝わるように説明していたのですが、相手方に伝わっておらず温度感が高くなる一方。
こちらも冷静に努めていたのですが、少しずつヒートアップしていくのが自分でもわかりました。
双方の温度感を覚ますために、上司から「時間をおいて対応すること」の提案をもらい、一旦はブレイク。
ブレイクの間に息を落ち着けて、説明することをまとめることにしました。
その時に、前日にたまたま読んでいた藤井青銅さんの『トークの教室 「面白いトーク」はどのように生まれるのか』の中にあったメモの書き方を思い出し、その中に書いてあった「あえてキチンとした文章にしない」というのを思い出しました。
(個人的に最近また読み返しております)
この後再度説明する時に、「緊張しないために、また相手と揉めないために、ちゃんと説明する内容を描かなきゃ」と考えていたのですが、
それだとまたパニックになってしまった時に、同じ相手方と2度揉めてしまうということは「詰み」になってしまうと考えた時にそういえばと、先ほどの「あえてキチンとした文章にしない」ということを思い出し、
説明が必要な骨組みとワードを打ち込んで、再度相手の対応に当たりました。
先ほどまで温度感が高かった相手方が少し冷静になっていました。
そこで改めて必要な説明をさせていただきたい事を話したところ、承諾してくれました。
そこから案内していたことはもともと説明していたことと同じだったのですが、相手の方はしっかりと操作も含めて協力的な態度になってくれていました。
ちゃんと相手方が希望した状態に変わっている事を確認していただき、良い後味の形で案件を終了することができました。
対応が終わって説明のために使った骨組みとワードから、対応の履歴を残す文章を作っているときに、以前から考えていたある仮説を思い出しました。
「人間の本性って、本当は平時の時に見えるのではないか」ということです。
これは以前SNSで観た言葉ではあったのですが、「人間の本性はピンチの時や困った時に分かる」という言説があまりにも多かったからかなおのこと印象に残っていたのかもしれません。
その後に一人になった時に「人間の本性って、本当は平時の時に見えるのではないか」ということについて頭を巡らせました。
そこで思ったのは、
・ピンチの時や困った時は、平時ではない自分が出てくる。
でもそれは「本性」ではなく、「困った状況下でのパニックになった自分」というもの。
・そこに無理に「本性」を見出さなくても良いのではないか。
・その上で落ち着いて対応できた時の「丁寧で柔らかな感じの自分」に対して心地良さを抱く。
・「本性」とする自分はそちらではないのか。
これらのことから「人間の本性って、本当は平時の時に見える」と個人的に確信した次第です。
もちろんピンチの時や困った状況下で真価を発揮出来るというのも素晴らしいのですが、そこでネガティブな行動や言動を取ってしまった時に、後から反省して、良くない状況下に呑まれることなく自分自身を鍛えるということも出来ます。
そこには「そういった状態になってしまった人」のことを後ろ指ささず、嘲笑わずにいる周りの人たちの存在も大事です。
ポジティブな変化によって、自分にも周りにも良い変化をもたらして、それを続けていけることが何より大事だと思います。
(その輪が広がればなお良いですが、それはまた別の話)
そういった意味では、先日のこの出来事とそこから感じたことは忘れずにいたいなと思い、文章にしてみました。