私たちには、与えるということしかできない
それは悲痛な叫び声のように聴こえた。
事故、事件、病気、、、。
身近な誰かに、何かが起こった時。
身近であればある程、心も体も、生活もかき乱される。
どうにかしよう、なんとかしたいと必死にもがき苦しむ。
神も仏もいない。
人生は自分で決めたって?!冗談も程々にしろ!と怒り狂う。
心が締め付けられ、何かに押しつぶされそうになりながらも、ピンと張り詰めた気合いで自身を支えながら。
私は叫んだ。
この状況を何とかしてくれないならば、もう何も信じない。
神様が何だ!
自然が何だ!
精神性?!が何になる!
すると、同じくらいの悲痛な叫び声が返ってきた。
『私たちには、与えるということしかできないのです!』
『奪うことも、叶えることもできないのです!』
悲痛な叫びは続く
『人間は、相手を思って手を差し伸べることができる。』
『必死に願って、必要な物のために奔走することもできる。』
『私たちにはただ、与えるということしかできないのです。』
それは、木々の葉の擦れる音と共に、、、神様の叫び声だったのかもしれない。
事故、事件、病気は、大切な何かを思い出すためのお知らせなんだという。
今、振り返ってみる。
その渦中にいた身近な人々に、それまで願っていたよりも、ずっと、大きなかけがえのない変容をもたらしていたことに気がつく。
確実に、自らの意思をもって、自身が変化することに躊躇なく。
誰かを変えるのではなく、自身が変化していることに気がついた時、たくさん与えられていたことに思い至る。
今、誰かを思って、心を締め付けられる思いを抱いているあなたへ。
私は伝えたい。
私たちには、差し伸べる手がある。
奔走する足もある。
できることを、悔いのないよう精一杯やり遂げて。
苦しいなら、時に誰かに助けてもらえばいい。
愛を表現できる、人間である今に、心からありがとう。
そう言える日まで、、、。
あなたに愛を、贈ります。